佐高少年の灰色景色


 警告

 ごく稀に、大空いっぱいに鐘の音が響き渡ることがある。
 大抵は良く晴れた昼下がりだ。
 鐘はカンカンと高く鳴り響いたあと、唐突に終わる。
 今日も窓の外から聞こえる騒音に、俺はうんざりと頬杖をついて頭をかいた。それから机の前のカーテンを開けて、青空を見上げる。
 空は高い。雲一つなかった。
 溜息をついて、カーテンを閉める。
 いつもだったらたいして気になることじゃないが、今はテスト期間中だ。ちょっとした事が、結構カンに障る。
 俺は自分の部屋で、机に広げた数学のノートへ視線を戻した。
 数学は嫌いだ。計算ミスもするし、そもそも俺には数学的発想というものがない。大体、単なる数字の羅列から何を読み取れと? 確立や図形ならまだしも、ルートやら二次関数やら、目に見えない範囲になってくると最悪だ。総葉なんかだと円周率から美しい円の映像なんかが出てくるらしいが、俺にはただの文字にしか見えん。
 ついでに、と、まだ手を付けていないもう一つのノートを見遣る。
 英語も大の苦手だ。
 これは明らかに導入を間違った。中学で皆が英語を始めるころに学校をサボりまくり、基礎も出来ていないうちにここまで来てしまったからだ。
 今思えば、転校前の学校とは本当に水が合わなかった。
 なにしろその中学の英語教師、ローマ字も読めない俺に向かって『佐高君はクォーターだから、このぐらい出来ちゃうよねぇ』だったんだから。
 北欧人のばあさんの関係で、英語が上手そうに見られる俺は、しばしばこの誤解に苦しめられている。確かにばあさんは田舎には珍しい外国人だったが、孫の俺は生まれも育ちも日本人。インターナショナルスクールに通ったこともなければ、海外旅行経験があるわけでもない。てかな、うちのばあさん、英語圏の出身じゃねぇんだよ。
 思えば、こっちの学校の風紀に目を付けられてるのも、ばあさん譲りの色素の薄さが原因だ。
 うっかり思い出してしまった過去にイライラしながら、俺はページをめくる。
 そこに、妙なものを見つけた。
 借り物のノートに貼り付けられた、なんの変哲もないポストイット。問題はそこに記された走り書きだ。
 『コトリちゃん江。このノートには一箇所だけ重大な間違いがあります。このまんま暗記しちゃうと、確実に赤点だよーん。ってわけで、総場流間違い探しをお楽しみください』
 延々写した最後のページに、これか。
 電化製品と相性の悪い俺は、コピー機なるものが苦手だ。使うたびに紙は詰まるわ、印刷はミスるわ、変な落書きがついてくるわ。ろくなことがない。
 だから、ノートを写すときは全て手書きだ。そのポリシーを逆に利用されたらしい。
 ノートの持ち主、総葉 歴は学校の友人だが、如何せん笑えない冗談を押し付けてくることが多い。本人は楽しいらしいが、押し付けられる方の身になってみろ。水泳で息継ぎを邪魔されるぐらい鬱陶しい。
 ちなみに、文頭に書かれたコトリとは、俺のこと。佐高 小時というちょっと変わった名前なせいか、女っぽいあだ名を付けられた。非常に気に食わない呼び名だが、呼ぶ相手といえば総葉くらいしかいないから、たいした被害はない。被害がないだけで、不快なことに変わりはないが。
『あ、ついでに暗号も潜んでるから。暇だったら解読よろ〜。一粒で二度美味しいよネ』
 むかつく。
 人の自慢をしてもしょうがないが、総葉は自他共に認める理数系。というか、一家全員理工系だ。国語と歴史でなんとか食い繋いでいる俺に、そのテのゲームで相手になるわけがなかろうが。
 と思って、試しにノートを縦読みしたら『腹減ったー』とかいうくだらない文字が出てきて、気力が擦り切れそうになった。これは、馬鹿にされてるんだろうか。
 仕返しに、年賀状で総葉が度肝を抜かれたというマリモ猫をたくさん描いておくことにする。毎日うちへ昼寝しに来る灰色猫の絵なんだが、ヤツは全く理解できなくて正月休み中悩み続けたんだそうだ。実に写実的なんだが。
 ちなみに俺は、美術も二だ。



 当たり前のように、テストは散々だった。
 総葉のヤツ、一番根本的な公式を間違えておきやがったんだ。
 恨めしげに睨み付ける俺に、ヤツはあっさりと、
「だからわざわざ間違えてあげたんじゃあないか。コトリちゃん、素で間違えて覚えてたからさ、こうやって教えてあげたの。俺ってやっさしィー」
だと。
 だったら、はっきりそう言え。バカ野郎。
 後ろの席でにやにや笑う総葉は、明らかにこれを狙っていたようだ。本当に性格が悪いというか、いい性格しているというか。自分の楽しみ最優先なのはどうかと思うぞ。
 溜息をつく俺の頭上で、またも鐘の音がカンカンと鳴り響いた。教室の外から聞こえているはずなのに、眉をしかめたくなるような騒音だ。
 見ると、総葉は耳を塞ぎもせず、けろりとしている。
 俺は片耳を肩に押し付けて、うんざりと窓の向こうを見上げた。
 晴れた空には、どこぞの自家用小型飛行機が一つ。
 低くエンジン音を鳴らして去っていく様は、どこか偵察機にも似て。
 ったく。
 とっくに世の中平和なんだよ。
 口に出さずに毒づいて、そのまま首を鳴らした。
 ジャンボジェット機では絶対に鳴らないあたりが、ミソだ。



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