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   佐高少年の灰色景色


 夏休み

 休みに入って、しばらく経った頃のこと。
 クラスメイトの総葉から呼び出しがかかった。
 受話器の向こうから聞こえる声はいつも通りのアホっぽさ。
「あ、コトリちゃん? 今度の日曜、暇だからさー。遊びに行こうぜ」
 言っておくが、俺は佐高小時だ。コトキであって、コトリじゃない。俺は自分を名前呼びされるのが好きじゃないから、他人も苗字で呼ぶ。だから、大抵の相手は気を使って苗字で呼んでくれる。これはコイツ限定の、不名誉なあだ名だ。
 休み中をバイトに明け暮れるアイツと違って、俺は万年暇人。断る道理はないが、野郎と二人でどこへ出かけろと? コイツの家へは一度行ったことがあるが、二度と行きたくない。外と言っても、俺は硬派で通しているので、ナンパなんぞもっての他だ。小洒落た友人は堅苦しいとのたまうが。
 こちらが出渋っているのが分かったんだろう。総葉は電話の向こうで気色の悪い笑い方をした。
「ふっふっふ。実はその日、バイトでイベントがあってさー。人手が足りないから、一匹釣って来いって言われてんだよ。どう? お金稼がない?」
 遊びじゃねえし。しかも暇ですらないだろ、お前。
 電話越しでも不機嫌になったのが分かったんだろう。総葉は巧みな話術で俺を巻き取る。
「お前、もう高校生だし、そろそろバイトの一つでもやってみたら? ほら、若いうちの苦労は借りてでもしろっていうじゃん」
 買ってだ。
「意外とやってみるといいもんかもよ? 新しい自分に目覚めるかもしれない」
 言い知れぬ恐怖を感じる。どんなバイトだ、それは。
 俺はしばらく考え込んだ挙句、奴の申し出を受けることにした。
 よく考えたら、夏休みになってから二週間、どこにも出かけていなかったからだ。



 当日、家の鍵をかけていると、猫にじっと見られていた。
 コイツは苦手だ。餌をやろうとしても決して食わないし、撫でようとすると嫌そうに顔を背ける。威嚇されないだけましだが、どうも野良くさい。
 しかし家では良い物を与えられているらしい。毛艶がいい。見ただけで、いとこのお姉さんがどれだけ猫可愛がりしているか分かる。猫だけに。
 まあ、ペットショップでよく見るタイプの猫だし、血統書もあるんだろう。大事にされて当たり前か。
 猫は喋れるなら、「おや、君が出かけるなんて珍しいね」と言い出しそうな目つきで俺を一瞥し、興味が無いとばかりに頭を前足の上に乗せた。リラックスしているようにみせかけて、尻尾が油断なく揺らめいている。
 あえて猫を無視して、玄関の柵を閉める。頭上で猫が鳴いた。
 駅へ向かう途中の大きな屋敷で桜が咲いていた。足を止め、見上げる。いつ見ても見事な咲きようだ。
 ご婦人に目だけで挨拶し、今日も通り過ぎる。



 途中でふと、ここを曲がれば近道だと気付いて、小道へ入った。
 この街に来て三年になる。いとこの家族に今の家を勧められて、田舎の町からこっちへ越してきたのが中学二年のとき。結構ふらついたつもりだが、まだまだ知らない道がたくさんあった。
 そもそも、俺のテリトリーは狭い。学校と家に行ければそれでいい。
 民家の脇をすり抜けるように、細い小道は続いていた。
 運悪く太陽が背中側にあって、暑い。首筋がジリジリと焼ける。ずっと家の中で扇風機に当たっていたから、外に出るということがどういうことか忘れていた。汗でシャツがはり付く。顎を汗が伝った。……気持ち悪りい。
 暑さもだが、もう一つ、セミの声が耐え切れないほどうるさかった。ミンミンと鳴いているはずなのに、ジャカジャカとアフリカの民族楽器を鳴らしているようにしか聞こえない。リズムも何もない調子に、鼓膜が張り裂けそうだ。いい加減にしやがれ。
 キレそうになりながら一歩を踏み出すと、かしましい音が一瞬で止んだ。
 音そのものが消えてしまったような虚無感。突然の無音に、耳鳴りが癇に障った。
 不意に、背後から爽やかな風が通り抜ける。このうだる熱気の中、どこに隠れていたのか、ひやりと心地の良い風だ。首の汗がさっとひく。
 夏の小休止。
 暑くなるのも大変なんだな。
 なぜだかそう思った。
 何気なしに、もう一歩踏み出す。
 途端に音が戻ってきた。
 その後も怒り狂ったようなセミの鳴き声が延々と続き、頭の中をぐるぐるとかき回した。俺はもう一度あの静けさが返ってこないかと、何度も思った。
 結局、あの後は何事もなく道を抜け、予想通りかなりのショートカットをした。
 今度からは、この道を使おう。



 しかし、駅前で時計を見ると、予定よりも十五分ほど遅れていた。
 寄り道をしたつもりはない。どうも、途中で近道をしたのが仇になったらしい。
 総葉が待ち合わせの場所でイライラと俺を睨んでいる。やばい、怒らせたか。
 コイツの家は俺より駅から遠い。自転車でこればいいものを、わざわざ歩いてきたと言う。どうも午後から雨っぽい。降水確率七十%と。
 総葉は先輩ぶって俺を諭した。
「コトリちゃん、遅い。あのさ、社会に出たら遅刻とか言ってられないんだよ?」
 しかしヤツはすぐに切り替えて、切符で頭をかくと電車へ乗り込む。
「ま、予測はしてたから、今からでも遅れはしないけどさ」
 ウインクしながらそう告げてくる。
 断じて俺のせいではないのの、反論は控える。不測の事態に備えて、総葉は三十分早めに集合時刻を決めていた。完璧にこちらのパターンを読まれている。
 面倒なので、黙ってついていくことにする。
 こういうことも、間々あることだ。



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