佐高少年の灰色景色 赤い糸 何の因果か、総葉の家へ行くことになった。 バカは夏冬で風邪をひくひかないがあるそうだが、インフルエンザは関係ないらしい。なんでも先取りする性格のせいか、総葉はこの地区ではまだ流行っていない型の菌を器用に拾ってきた。 寝込むこと一週間。 溜まりに溜まった宿題やら通達やらを、俺が届けるハメになった。 ヤツの家へは以前にも行ったことがあるが、正直もう二度と行きたくない。一家揃って理数系で、何でもハイテクならそれで良しと思っている風潮があるからだ。 俺は電化製品が苦手だ。 電話を受ければ雑音が混じり、ファックスには落書される、洗濯機は白いシャツを真っ黒にするし、カメラは百発百中要らないものが写る。エレベーターは表示されない階で止まるし、テレビを見るとエキストラと目が合いすぎる上、名指しで命令されるからほとんど見ないようにしていた。これで好きになれと言うほうが無理だろう。 奴の家は“総葉科学(S.S.)”という理工系の大会社を運営している。アイツの父親が一代で築いたらしいが、今はヤツの二番目の姉が社長を務めているそうだ。 利益のほとんどが新製品、新技術の開発に当てられるというSS社は、国内のみならず世界中で自社製品を溢れかえらせている。 その製品たちが、総葉宅には隙間なく配備されているのだ。 たとえばそう。 俺は内心げんなりしながら、傍らのでかい壁を見上げた。 耳を澄ますと、遠く内側から死にかけのヤマビコのようにジリリリリという音が響いてくる。 最初の敵は警報機だ。コイツは俺の気配を察知するやいなや、場の空気も読まずにワンワンと喚きはじめる。敷地内に入る前から鳴っているそうだから、仕事熱心極まりない。 ウザい電子音を無視して、俺は塀伝いに歩き続ける。近隣最大の豪邸と言われるだけあって、総葉の家はバカでかい。幼小中高大と揃ったうちの学校の敷地と大差ない……というのは言い過ぎだが、実際そんなもんだ。俺のような庶民からすれば、見上げた先が月だろうが太陽だろうが、はたまた冥王星だろうが、遠いのは一緒だからな。 噂では庭の中にゴルフコースがいくつもあるとか聞いたが、真偽の程は知らん。ただ、玄関から車に乗らないと家に着かないってのは不便だと思う。疲れて帰ってきてすぐに靴が脱げないなんて辛かろう。 が、以前、総葉はこの件についてこう言った。 「入るのは不便だけど、出したくないときは便利だぞ。情報とか泥棒とかスパイとか」 さらっと告げられた言葉の意味が分からず、今に至る。泥棒はともかく、スパイってどこのハリウッド映画だ。この家に泥棒が入ったなんて聞いたこともないが……逆に噂にならないのは、まさか、な。 これだけのことをぐだぐだ考えきった頃、やっと玄関が見えてきた。子どもの腕ほどもあるポールが組まれた門。幾何学的に意味があるとかないとか聞いたが、常人には理解できないセンスだ。 ウィーンと小さな音がして、監視カメラがこちらを向く。今にもレーザーを発射されそうでちょっと怖い。 電話機みたいな数字のついたいかめしいインターホンを監視カメラにガン見されながら押す。ぶっちゃけ、なんで数字がついてるのか分らない。普通のインターホンとして使うときは、でっかい数字のないボタンを押すだけなんだから。一体どういう時に使うのか。 玄関の前で待つこと数分。 ちょっと不安になる。 なにしろチャイムがきちんと鳴ったのか、俺には知るすべがない。前回は軽くスルーされ、三十分も待たされた。待ちくたびれた総葉が顔を出すまで立ちっぱなしだった。 ちなみに前回はアポあり。今回は無い。放置されたらそこで終わりだ。 俺は無機質なインターホンをじっと睨む。 オートロックの玄関はこちらから決して開けられない。しばしば自動ドアにも無視される俺だから、この程度ではへこたれないが……家主にわざわざ迎えてもらうのは気が引ける。 根気強く待っていると、扉が開いた。予想より早いご登場だった。 「やっぱりコトリちゃんか。警報機がうるさいから、不審者でもいるかと思った」 その二文を一緒に言うってことは、俺を不審者と認識してるんだな。あと不審者をわざわざ見に来るんだな、お前は。 「で、なんの用?」 警戒心の欠片もない顔で、総葉がコキッと首を傾げる。キモイからやめろ。 見たところ、ヤツの具合は良さそうだった。多少声がごろついている気がしたが、顔色も悪くないし、立ち姿もしっかりとしている。邸宅から何百メートルも離れた門まで自力で様子を見に来るぐらいなんだから、きっと治りかけなんだろう。 無言で紙の束を突き出すだけで、総葉はすぐに事情を飲み込んだ。 「お、さんきゅ。すまんね、今日は大事とって休んだだけだから、明日には行くつもりだったんだけど。……ちょっとは心配してくれてたり?」 『心配』なんて言葉、たった今思い出した。 「ないよなー」 顔色一つで判断し、総葉がちょっとしょぼくれる。何を今更。お前が俺でもしなかろう。 そこで何を思ってか、奴は妙に情けない顔でへらっと笑った。 「いやさぁ。熱が四十度越えてんのに、家族全員から一ミリグラムも優しい声を掛けられないと、さすがに『俺って要らない子なのかな……』とか思い始めちゃうよね。あまつさえ枕元で遺産分配の話とかされたりすると、もっと心配になっちゃうよね」 軽く同意を求められても、俺には兄弟もいなければ、高熱を出したこともないし、配って回るような資産もない。だいたいこの年で遺産にできるようなものを持ってることが驚きだ。まあ、この家を見れば納得だが……。 あとどうでもいいが、お前、目が笑ってないぞ。 いっそツッコんでやろうかと思ったが、俺の反応なんてどうでもよかったらしい。総葉は悪夢を思い出したような顔で頭を抱えた。 「あーもうヤダこの家! 長兄はウイルス採取してほくそ笑んでるし、次兄は医者のクセに『風邪はケツに葱を挿せば治る』とか言ってタマネギ持ってくるドSだし、長姉は熱が上がる度に記録更新とかで喜んでるし、次姉なんか『風邪? 死ぬ気がないなら仕事手伝え暇人がぁ!』とか自己中なこと言ってくるし。別に暇で寝てんじゃねーっつーの! 三兄にいたっては……ゲホッ、ウゲヴォッ」 総葉は突然咳き込み……もとい、咳き込んだ途中で背中を蹴り飛ばされて吹っ飛んだ。そのまま正面へ倒れたが、ひらりと身をかわして避ける。ちなみに避けたのは俺だ。 一方の奴は軽やかに地面を転がった。半分は勢いで、もう半分はできるだけ相手から距離をとるために。 総葉はすぐには起き上がらず、えへっと、弱者の笑みを浮かべて俺の背後へ滑り込んだ。 「あ、秋ちゃん、いつから聞いて……」 「ボクがなんだって? ねえ、歴クン?」 猫じみた声色でしなやかに腕を組むのは門の向こうの御仁。俺と同じか少し小柄なくらいの、恐ろしく端正な顔をした男だった。 「イヤイヤイヤイヤなんでもございませんっ、話の流れで名前を出しただけっス! マジ、秋ちゃんが俺様ドSでいっぺん死んで来いとか、1ナノメートルも思ってないっスから!!」 でかい図体を俺で隠しつつ、なぜか体育会系口調になる総葉。そういえば前にコイツの姉といた時もこんな口調になっていた気がする。 「あはははは、ボクが俺様でドSなのー? へーうまいこと言うね、歴クン。あとで詳しく聞きたいなぁー」 相手は言いながら華奢な首を傾げ、完全なる上から目線で末弟を見下ろしていた。総葉の言葉が正しいかどうかは、楽しげに裂ける口元を見ただけで、だいたい予測がつく。 ほっんとコイツの家、ロクな人間いねぇな。 「は、ははははは……あとで。あとで、ね……嗚呼」 総葉はこのまま蒸発しそうな笑い声を上げるばかり。 「ところで」 細いあごがついと上がり、少しだけ首をねじった形で綺麗なお顔が俺へ向いた。性別も年齢もよく分らない顔つきだが、雰囲気で成人男性だと分る。 「そっちの変な毛色した子が噂のコトリちゃん?」 「そ、そーっス」 噂って何だ、噂って。 だいたい俺の名前はコトリじゃない。佐高小時だ。小時と書いてコトキと読む。一文字違いなのは認めるが、誤解を招きそうなあだ名を吹聴するな総葉が。 背後でしゃがむ総葉を一瞥すると、奴は物凄く引きつったセールススマイルを浮かべていた。 「わざわざ来てれくれてありがとう。いつも愚弟がお世話をかけてるだろうね」 社交辞令が予測の上に断定だ。事実だからどうしようもないが。 「君のことは歴がよく言ってるよ、すごく無口で面白いって。どういうことかと思ってたけど……うん、よく分った」 爽やかな笑顔で納得された。意味が分らん。 もう一度足元のバカを一瞥すると、ヤツは嵐は伏せて通り過ぎるのを待つしかないというように、相変わらず笑顔を凍らせて控えている。つーか面白いって何だ。どんな人間像を吹聴してんだこのバカは。 「で、歴クン?」 ちらり、と視線が下がって、絶対零度の色になった。 「ハイッ!」 「キミは何をしてるのかな?」 「しゃ、しゃがんでまス」 「良い心がけだね。でも、そうじゃなくて……」 にこにこと微笑んだまま、総葉兄その三が声色を急降下させた。元々寒い周りの空気が、二度は冷えた気がした。 「このボクがわざわざ薬を持ってきてあげたのに、キミはベッドを抜け出してこの寒風吹き荒ぶ中をふらふら歩いてたよね。直線距離で」 「700メートル」 「警報機がなりっぱなしで家の中がぐっちゃぐちゃなのに」 「多分誤作動じゃないかなーと」 「無防備に敷地の外まで出て、ボクを手間取らせた」 「あ、あははははは……」 「ふふふふふ……」 笑い声の余韻を残し、一切の物音が停止する。 すうっと、総葉兄の表情が消えた。 「シメる」 「勘弁―――!!」 金切り声をあげる総葉はマジだった。 カツカツと靴音を立てて相手が近づく。 「パジャマの上から亀甲縛りにして……」 「ダサ! つーかやっぱそういう趣味なんだ!?」 「使用済みク○ックルワ○パーでくすぐって」 「しよ……ッ」 地味に嫌だな。 「シャメ撮ってキミの携帯から添付メールを各官庁に」 「ごめんなさいホントすぐ帰りますんで許してくださいマジで!!」 総葉が下座でむせび泣いた。なんで官庁に送られてそこまで困るのか説明してくれ。 カツ、と音を立てて、俺の目の前で総葉の兄が足を止めた。 にやっと、無表情が崩れる。 その目は真っ直ぐ俺を捉えていた。 声色が戻る。 「本当に面白いね、コトリちゃん。この状況でツッコミ一つ入れないなんて」 「もうコイツ神の域っスよ」 合わせてぱっと総葉が顔を上げた。テメェ泣きマネかよ。 「少しは狼狽して欲しかったな。んー、これじゃあつまんないなぁー」 頼むから心中察してくれと思う俺などいざ知らず、いたずら継続中の子供の顔で美人が口を尖らせた。やっぱり年齢不詳だ。 「次はもっと良いネタ仕込んでおくね」 言って、ぱちっとウィンク。 男がウィンクすんじゃねえええ。 「じゃ」 ひらりと手を振って、美貌の男は去っていった。 ……この兄弟、意味が分らん。 「………………」 微妙な沈黙の中で、総葉が俺にまでサービス業っぽい笑顔を向ける。この顔をシメてやりたい。しめ鯖にしたら少しは気が晴れないだろうか。 「ちなみにあの三兄」 俺の苛立ちを察知したのか、総葉はピッと人差し指を立てる。エヘッと取り繕う顔がムカつく。 「あの顔で相当なガ○ダムオタクで、将来の夢はガ○ダニウム合金を量産すること」 濃いな。 さすがはこのバカと血の繋がった兄……そう思ったとき、ふと素朴な疑問に合点がいった。 ああ、だから左手の薬指に配線用の赤いビニルコードなんかつけてたのか。 |