佐高少年の灰色景色 きもだめし 夜は苦手だ。 いつもいつも、心臓に悪い。 特に月が半月以下の日の怖さといったら……見るのもおぞましい。 だから滅多なことがない限り、俺は夜中に出歩きはしないのだが。 『もしもーし? コトリちゃんいる? こっとりちゃーん!』 受話器の向こうで総葉がふざけたあだ名を連呼している。 言うまでもないことだが、あくまであだ名だ。俺の名前は佐高小時といって、決してコトリなどというメルヘンな名前ではない。 いいかげん注意してやろうと、電話口で口を開きかけたとき。 総葉が珍しく苛立った声でなじった。 『お前なぁ。みんな待ってんだぞ。今日の肝試しのこと、忘れてないか?』 その一言で俺はぴたりと動きを止めた。 残念ながら……“忘れた”ではなく。 “聞いてない”。 声を掛けられた段階でなら断ることもできただろう。総葉の強引な勧誘でも、はねのけられる自信はある。 だが当日、それも他人を待たせた状態で断りを入れることは、俺にもできなかった。 宵の入り。 俺は近年まれに見る不機嫌だった。 かすかに夕焼けの残る頃合に――といっても夏だからとうに七時を回っているが――遅れて近所の墓地へ到着した。 入り口で総葉が手を振っているが、恥ずかしいので無視する。 見渡せば、チラホラ見知った顔があった。もう大半が入ってしまったのだろう。今たむろしているメンバーは、クラスの半分にも満たなかった。 総葉に場所を聞いた時は、なぜよりによってこんな場所でと思ったものだが、これが毎年の恒例らしい。男女ペアで墓場を抜けた先の小屋まで行って、帰ってくるんだそうだ。学校主催というわけじゃないが、上級生から下級生へ受け継がれてきた伝統なんだとか。……大した歴史もないくせに。 クジ引きの結果、あまり親しくない女子と組むことになった。というか、むしろ俺には親しい女子がいない。前の学校では総葉並に変な女に付きまとわれていたから、あまり自覚がなかったが……もしかすると俺は寂しい男子高生なのか。 「やったね! 佐高くんと組めちゃった」 隣でご機嫌な女子(名前忘れた)を見る限りでは、避けられているわけではないようだ。内心ちょっとだけ安心する。 「ねえ……ちょっと佐高くん。こ、怖いから何か喋ろうよ! ね!?」 黙々と歩く俺の袖を掴んで、女子が半泣きで訴えかけてきた。まだ入り口の蛍光灯が明々と照らしてくる場所なんだが……そして俺の持っている懐中電灯は、一つ前を行く二人組みの背中を照らし出しているんだが……。 そんなに怖いなら、初めから参加しなければ良いものを。という、後でクラスの女子から非難轟々になりそうな言葉を飲み込んで、俺は話題になりそうな事を考えてみる。 そこの茂みから聞こえてくる唸り声はなんだろうな、とか。 今前を走っていった子供、こんな時間まで遊んでるなんて親の躾がなってないんじゃないか? とか。 夜だとウグイスも逆再生で鳴くんだな、とか。 そこに生えてるキノコ、いくらなんでもでかすぎるだろ。緑に白の水玉模様とか、1アップしちゃうだろ。とか。 まあ、あえて言うほどのことじゃないか。 考えに考えた結果、会話を放棄した俺へ、女子が「なんでそこで黙っちゃうかなぁ〜」と非難してきた。というか、なんか既に泣きそうになってる。……俺が悪いのか? さすがにヤバイと、本気で話題を探そうとしたとき、小道を挟む茂みの両脇がガサガサ揺れた。 「ヒャッ!?」 「…………」 「よっ!」 どうせ驚かし役のクラスメイトだろうと思ったら、総葉がシュタッと片手を上げて挨拶してきた。何だその笑顔は。要らん所で輝くな。だいたいお前、さっきクジ引いてクラス一の美人とペアになったんじゃなかったのか。 あと、お前のいる右側が揺れてたのは分かるが、一緒に揺れてた左側に誰も居ないのはなんでだ? どうせまた、変な機械でも仕掛けてたんだろうが。 と、左側を指さそうとした手を、総葉の前へ飛び出していった女子にはたき落とされる。 「レッキー! ビックリするじゃない!」 「ちっ。相変わらずコトリちゃんってば、ピクリともしねぇな」 コトリじゃねぇ、小時だ。あとお前、舌打ちがマジだったぞ。 「もー。なんでレッキーがおどかし役なのよー? あんた、うちらの3つ前に出発してたじゃない!」 まさしくプンプンと怒る女子。頬を膨らまして怒る人間をはじめて見た。漫画とかのデフォルメ表現じゃなかったのか……。なら、びっくりして毛が逆立つ奴も本当にいるんだろうか。 詰め寄られて降参とばかり、総葉が外人みたいに手の平を見せながら肩をすくめた。 「いやあさ、俺とペアんなった沢井さんさー。おどかし役の皆瀬と付き合ってるじゃん?」 「あーー……。フられたの」 「奴ら、手に手を取って逃避行しやがった。ミナッチくんめ、次会ったら鼻に五百円玉詰めこんでやる」 「うわ、しょうもない復讐」 俺が言わんとしたことを女子が棒読みでツッコんだ。 それをあえて無視し、総葉がキラキラした笑顔で自分を指差す。 「でさでさ、しょうがないから代わりに俺がおどかし役しようかなぁー」 「アンタにだけは絶対に驚かされたくない!」 「とか思ったんだけど、コトリちゃんで最後なんだよね。予想通り涼しい顔でスルーだし、つまんねぇー。大体さ、やるからには徹底的にやりたいよな。思い出すとプルプルしてカキ氷食えなくなるぐらい☆」 悪い笑顔でさわやかに歯を見せられる。 お前、そういうの得意そうだよな。人のトラウマ勝手に作ったり、塩擦りこんだり。 「や、やめてよっ。将来的にも絶対しないで!」 耳を塞いで青い顔でプルプルしだす女子。青いというか、白いか。こっちは小説的比喩だが、ほんとにあるんだな。 総葉は満足げに腰へ片手を当てて、もう一方で前の方を指差した。 「じゃ、そういうわけで行きましょか。いやあー暗いね怖いね楽しいねえ。ね、コトリちゃん?」 誘われてもいないのに一緒に行く気満々らしい。総葉が満面のニヤリ顔で手招きしてきた。何もされてないが、一発殴っておきたい気持ちになるのはなぜだ。 「んもー、お邪魔虫めっ」 その様子を口を尖らせて睨む女子。ところでそろそろ俺の左腕を開放してくれないだろうか。服の袖をつかまれたままじゃ、歩くに歩きづらいんだが。 三人になった肝試しは、もはやただの珍道中だった。 原因は主に総葉だ。奴が湧き水のようにベラベラとアホなことを喋り続けるせいで、雰囲気も何もあったもんじゃない。 しかも、おどかし役に遭遇すれば。 「ぃよう! 中井じゃん! 良いなぁーそのメイク。ついに女装に目覚めたのか?」 「チョッ、総葉っ、バラすんじゃねぇっ」 「根岸もそのハリボテまじウケるんだけど」 「な、なんで分かった!?」 「そのサイズに入れる男子は、うちのクラスにゃお前しかいねぇよ」 「くっそー、チビで悪かったな!」 「きしししししし。牛乳飲め、牛乳」 と、こうなる。 場所と格好を無視すれば、学校の昼休みと変わらない。 「……なんか、レッキーが居るだけで全然怖くないね」 序盤で泣きそうだった女子が、とてもつまらなさそうに呟いた。 全く持って同感だが、恐すぎるのも恐くなすぎるのもダメとは。女子は難しい。 しばらく行くと、妙に静かになった。 真っ暗な中、墓石だけが続いている。驚かし役の気配もない。 もしや、撤収されたんじゃないだろうな。 俺達が最終組みなのに、総葉がちんたら喋りながら歩いていったせいで、一つ前までと思い込まれたとか。 虫の音一つしないのも全く気にせず、総葉が軽い調子で話しだした。 「そういやさ、知ってる? このお墓の怖い噂」 「今言うな。このタイミングで言うな!」 俺の左腕を抱え込むようにしたまま、女子が片手で耳を塞いだ。 「ちょっと前のことなんだけどさー、この墓地、市の関係で区画整理したじゃん?」 総葉はニヤニヤと楽しげだ。こいつ、絶対サドだな。 「その時、お祓いした人が……」 「た、祟られた、とか?」 恐いながらも、好奇心が勝ったらしく、女子がぐっと身を乗り出した。 「アフロの坊さんで」 ネタかよ。 「仏教大出たばっかりの新人だとかでさあ、木魚でエイトビートが大フィーバー。通常の三倍の速さでお経をあげたとか」 「うわそれちょっと見てみたい」 女子がぐっと拳を握り締める。おい、お前流されてんぞ。 総葉は得意げに前髪を払った。 「ふっ、怖いのはここからだぜ。……新人だったからかねぇ、どうにも祓いきれてなかったらしくて。その後、役所でさ……」 「職員及び施工業者に、怪我人病人大爆発??」 目を輝かせて、女子が総葉に詰め寄った。 「ワイロや横領がバンバンすっぱ抜かれて大損害だってさ」 「夢がない!」 女子が頭を掻き毟る。 そういやニュースで騒いでたな。結構前に。 「――という、それはそれは恐ろしい祟りが巻き起こったのです」 「恐ろしさの方向性がちーがーうーー!」 華麗に話題をしめた総葉へ、女子が握り拳を振り回してブーイングした。 確かに関係者以外には全く怖くない。むしろ、いずれ明るみに出る類の話だろうが。 「で、もういっぺん別の坊さんにお払いしてもらおうってことになって、来たのが――」 「ロンゲ」 「パンチパーマで」 「ちっ」 忌々しげに舌打ちする女子。 スキンヘッドとかベタなことを言うと思った俺は、まだまだらしい。 「元ヤクザの超怖い人でさぁ。地上げ屋さん風のタンカ切ったら、怪現象、収まったらしいぜ」 はははと軽く笑う総葉。 それは怪現象じゃなく、社会の自浄作用だろうが。 あからさまに詰まらなそうに、顔の女子が肩をすくませた。 「なあんだ、結局ハッピーエンドなの?」 「怖い所もちゃーんとあるけどな。うちの会社も裏金がバレて、○億の損害が」 「コワッ」 お前な。 それじゃ怖い噂話じゃなく、嫌な裏話じゃねぇか。 結局、何事もなく肝試しは終わった。 予想通りおどろかし役が撤収していたらしい。はあ、何のために暑い中わざわざ出てきたと……まあいいが。 大体、あんな人の多い所で肝試しなんてする方がバカだ。 墓地なんていつも混雑してるじゃないか。特に夏場は。墓参りの人たちに決まってるが、そんな所でわざわざ遊んで、何が楽しいんだか。 帰ろうとする俺へ、総葉が缶ジュースを渡しながら毒づいてきた。 「コトリちゃん、全然怖くなさそうだな。せっかく変な顔が見れると思って、野郎二人でも我慢して盛り上げたのに」 野郎……二人? いや、もう一人いただろうと言おうと総葉を見上げると、間髪入れずぷっと噴き出された。コーラが顔に掛かる。 「何その変な顔〜! コトリちゃん、最後にあぶれてペアなしだったろ? だから俺が気を利かせて一緒に行ってやったのに。一人で怖い話とかしてさぁー」 あははははと腹を抱えて笑う総葉。 その横っ腹を蹴りつけて、俺はさっさと家路に着いた。 思い返せば、クラスにあんな女子はいない。名前も知らなくて当然だ。 またやられたと忌々しげに空を見上げると、猫の爪で引っかいたように細い月があった。まるで、巨大な目がうっすら目をあけているようだ。 と思った瞬間、ギョロッと月が目を見開いた。 真っ赤な瞳が俺を見下ろして、また閉じる。 一瞬のことだった。 ……だから、月夜に出歩くのは嫌なんだ。 |