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 当人の主張(No.5:レゼ)


「今期の物価推移は順調、対外貿易も乱れなし……っと」
 椅子の背もたれ側を前にして座っていた俺は、顎を背もたれの上につけた。左手で持った紙に目を通し終えると、右手で分厚い書類の束をくるっと丸めて、肩をぽんぽんと叩く。
 最近肩こりがひどい。空き時間に合わせて揉み師を呼ぶのも面倒くさいから、こういうちょっとした合間にほぐすしかなかいんだが、この程度で治るんなら最初からこってるなんて言い出さないよな。
 あー、思いっきり剣術の稽古してえ。一応毎日柄を握ってはいるが、体が鈍らない程度に振りかぶるだけで、満足するには程遠い。思いっきり汗かいて眠れば、こんな肩こり一発で治るのに。
 首を捻ってボキボキと音を鳴らしながら、欠伸をした。
「殿下、大事な書類に横着しないでください。一枚一枚はペラッペラなただの紙ですが、あたしらの血と汗と涙と飲みそこねた紅茶べにちゃへの恨み辛みの結晶なんですから」
 また中途半端な食い物の恨みだな。紅茶は眠気を払うとかいって、最近城内でも愛飲するヤツが多いが……まあ、ヤツらは食事も忘れて仕事に没頭してるから、食い物より飲み物の恨みの方が大きいんだろう。
「道理で肩が重くなるはずだ」
 ふざけた返事を返して伸びをする。
 そんな俺の態度を見かねて、近くの机で書き物をしていた若い部下たちが手をとめた。
「最近殿下、忙しそうな割にダラダラしてますよねぇ。前はもっとこう、一分の隙もなくせせこましかったのに」
「そうそう、最近はこうやって自分から書類を取りにきといて、やれ「まだ出来てないのか」とか、「俺は忙しいんだとか」、完璧小姑ですよねぇ。前はいっつも前を向いてスタタタタタタ! って歩いてて。おかげで必死に作った書類の報告が競歩しながらですよ。睡眠不足で目が回りましたよ」
 お前ら、それじゃ以前の俺すら褒めてないだろうが。
 俸給を差っ引いてやろうかと黒い計算を働かせつつ、それすら面倒になって背もたれの上で腕を組む。そうか、俺は本調子じゃないのか。
「ちょっと疲れてんだよ、色々あったから」
 白の賢者が森に現れたと思ったら、その森が炎上。結界は弟がこねくり回して無くなって、警備が根本から崩れたし。そのうえ母さんは不在で、聖女は健在。喋れない賢者は宿詞の叡智を知ってるんだかないんだか、どうにも計り知れないし、弟は弟で相変わらずだし。
 っとに、頭の痛い世の中だ。
「殿下はすねてらっしゃるんですよ。自分が構ってもらえないから」
「大事な大事なデュノ殿下を、賢者様に取られちゃいましたもんねぇ〜。淋しくって当然ですよねぇ〜」
「はあ? 何言ってんだお前ら」
 藪から棒にからかい始めた部下たちに、俺は心底あきれ返った。
 確かに双子の弟のデュノは、賢者のスウにご執心だ。
 その仲良しぶりは、はたで見ていて心配を通り越して、ある意味微笑ましいっつーか……生ぬるい気持ちになるぐらい凄まじい。こっちにはスウの言葉が聞こえないから、半分以上何を話しているのか分らないって要因もあるだろうが……気分は子供のオママゴトを眺める保育師だ。
「バカ言ってないで、ほら、サボんな」
 しっしと指先を振って促すと、部下がガキみたいに口を尖らせた。
「サボってませんよう」
「殿下が邪魔……ではなく、仕事をしに来ていらっしゃるからお相手しないとですねぇー」
「そうですよー。あ、殿下殿下、焼き菓子のお代わり要りません? 頂き物が溜まってて、早く処分しないといけないんですよー」
「お前らな、俺を言い訳にすんな。俺だって遊びに来てるわけじゃないんだぞ。この書類の確認と、ついでにそこの書類が出来上がった時にすぐ判子が押せるように、待っていてやってだなあ……」
 無理やり作った恩着せがましい台詞を言い切る前に、一際大きい咳払いが響いた。
 続いて、奥の机から嫌みったらしいオッサン達の声が届く。
「あーあ。なあーんでこんな小憎ったらしく育っちゃったんでしょうねぇ。昔は弟殿下とそっくりで、おっとりした可愛い子だったのに」
「そうそう、ちょっと怖い話するとぴゅーって逃げてって」
「よく差し入れも貰いに来てましたよねぇ。あの頃はほんと可愛かった。飴玉貰って『ありがとう〜』ですよ、『ありがとう〜』。今じゃ絶対言いませんよ」
 俺から遠く離れた部屋の隅で、年配の官僚たちが茶飲み話に花を咲かせている。昔の話を出されると俺が引き下がるしかないのを見込んでのことだ。うーあーむかつくっ。昔の話題が増えるのは年を食った証拠らしいぞ。
「まったく、何時からあんなことになってしまったんでしょうねぇ」
「デュノ殿下は今でもあんなにおっとりしてらっしゃるのに」
「……ああ?」
 不機嫌な一言で、室内が水を打ったように静まり返った。
 皆一斉に机へ向き直り、筆記のカリカリという音だけが響く。
 俺は椅子の背もたれに腕を乗せ、頬杖をつく。
「アレがおっとりして可愛いだって?」
 皮肉な呟きへ答える者はいない。
 まったく、冗談きついぞ。



 その日の夕方近く。
 いつも通りふらっと神殿へ顔を出した俺を、二人は妙にきょとんとした顔で出迎えた。
 多分俺が険しい顔をしていたからだろう。
 いや、呆れの色の方が強かったかもしれない。
 こちらとて威嚇する気は毛頭なかったんだが、寝台の上で寄り添って睦言……いや、内緒話をしているところを目撃したら、自然と眉間に力が入るのも仕方なくないか?
 仮にも王族出の司祭様が、だぞ。
「お前、ほんっと自分の立場ってモンを考えた事ないな」
 とっさに飛び出た相手には絶対通じないであろう嫌味。分っていながら口にしてしまう自分がむなしい。
 予想通り、デュノはわけが分らないという顔で抗議してきた。
「来て早々、何がそんなに気に入らないの。八つ当たりをしに来たの?」
 スウが森を出て以来、コイツの言い様が若干変わった。
 以前は俺が(実際本当に八つ当たりで)小言らしいことを口にしても、大して反論してくることはなかった。かといって助言を聞き入れるようでもない。『ふうん』と一言、泥に杭を立てるヌカにクギをうつような対応で、それがまた気に入らなかったのに。
 それが。
「ほら、スウが怯えてる――うん。うん、分ってるから大丈夫――レゼ、虫の居所が悪いんなら、また良い時に来てよね」
 この軽いあしらいよう。
 なんか、今までの色んな苦労がどっと疲れに変わるんだが。
 唯一の救いは、ヤツがさり気なく黙殺したスウの意見だろうか。言葉こそ聞こえてこないが、いたわりを込めた視線には同情の色が濃い。
 ちょいちょい、と、スウがデュノの肩に触れた。振り向いたヤツの頬に触れ、口元を動かす。真面目な顔で、いかにも意見申し上げるといった風情だ。
「うん……分った。ごめん」
 しゅんと落ち込むように視線を下げるデュノ。
「で。何しにきたの、レゼ」
 ケロッと顔を上げるときには、さっきの謝罪なんて忘れてるし。しかもお前、俺じゃなくてスウに向かって言ってたよな。結局のところ彼女の意見、聞いてないよな。
 それはスウも気づいたようで、言葉なきままにぽかんとヤツを見ている。本当に申し訳ありません、バカな弟で。
 コイツがバカなのはいつものことだと、俺は認識を改めて気を静める。
 確かに、俺は今不当に苛立っている。それも理由が分った上で、だ。
 こんなことは恥ずかしい行為だ。
「何か用事があるんでしょ?」
「べつに。時間があったから顔を見に来ただけだ。どうせ見せ付けられるんだろうなと思ってたら、ほんとに見せ付けられてどうしようかと思ったぞ」
「何を見せ付けられたの?」
「お前のバカさ」
 会話の途中で、スウが赤くなっていた。こそこそと寝台を降りようとしたところを、デュノに腕をつかまれて立ち上がりそこねる。
 バカは相変わらずバカで、その意味に気付かずぺたっと彼女にくっつく。
 結局、二人仲良く寝台の端に座ることになった。
 もう何を言う気にもならない。
「疲れた。椅子借りていいか?」
「いいよ」
 細い椅子に跨るようにして、背もたれ側を前にして座る。
 同じ姿勢になったことが影響したのか、ふとさっきの部下とのやりとりを思い出した。
「なあ」
 呼びかけると、またもや秘密話に熱中していた二人が揃ってこちらを向く。
 そのきょとんとした感じ。
 二人良く似ていると、自分の顔を忘れて思った。
「なあ、俺とお前って昔っからぜんっぜん似てないよな」
 確認するために言い切りの語尾を使う。
 こくんと頷く双子の弟。
「うん。全然違うね、性格は」
 今では一目で違いを見抜けるものの、見た目だけなら小さい頃はそっくりだった。むしろ同一と言ってもいい。
 しょっちゅう入れ替わって城内を駆け回っては、給仕や官僚をからかって遊んだ。地方からの客人なんて、顔を知られていないから最高の玩具だったしな。悪いことをした時は相手のせいだと言い張り合って、わけを分らなくするのも常套手段だった。ま、これは母さんにゲンコツ食らって終わるのが常だったんだけど。
 幼い頃の俺たちの見分けがつくのは、母さんだけだった。
 だが、性格だけならばそうでもない。
 部下の言っていたように、昔は俺も大人しくて、一見中身も同じように見えたらしいのは事実だ。しかしそれが全てじゃない。
 俺は笑顔とも呆れ顔ともつかない顔で片割れを見やる。
「お前って昔から根暗だったよな」
 相手もまた呆れ一杯の顔で見上げてきた。
「レゼは泣き虫だったよね」
「考え無しで」
「ワガママで」
「意外と薄情だし」
「時々鬱陶しいし」
「何言っても何しても反応薄いしさあ」
「何でも言った者勝ちだと思ってるし」
 はあ〜と、揃って溜息が出た。
「まったく」
「まったくさ」


「自己中だよな」
「自分中心だよね」


 同時に言い切った俺達を見て。
 スウが一人、きょとんと狐につままれたような顔をしていた。
 彼女は言ったという。
 ――そっくりなんじゃ、ないの?
 と。
 俺はそれを弟から聞いて――


 笑顔で黙殺した。


END
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