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甘い誘惑 「チェリアの実の糖蜜煮でございます」 抑揚のない声にふと目を上げると、お皿一杯のコンポートが目に入った。 「本日は花も手に入りましたので、砂糖漬けにしてお添え致しました」 淡々とした説明は、隣で口黙々と箸を動かすデュノに向けられたもの。私の存在はまったく意識されてないので、『チェリアって何ですか?』と口を挟むことなんて、とてもできない。……もっとも、タイミングが掴めたところで声が出ないから、どうしようもないのだけれど。 私を無視する給仕の人を、デュノは更に無視した。ううん、無視“する”なんて意識的なものじゃなくて、話そのものを聞いてなかった。その証拠に、私がそっと手を重ねて「チェリアって何?」と話しかけたとき、初めて我に返ったって顔できょとんと目をしばたたかせたんだから。 「チェリア?」 どれが? と、逆に聞きたそうな声。 ――これだよ。 「ああ、それか。美味しいよ。すごく甘いんだ」 にこっと微笑みかけて、デュノは真っ赤なさくらんぼ……みたいな果物をぱくり。これこそ本当に、もう、下手したら胸焼けがするぐらい――甘いんだけど、デュノは平気な顔で二粒三粒、四粒五粒。 ――デュノって……よく食べるよね。 「そう? 普通だよ」 普通の成人男性ぐらい食べるんだ。ううん、むしろ部活後の高校生ぐらい。 アーゼン式フルコースは結構な量がある。スープやサラダから煮物、揚げ物、煮魚や鳥料理、なま物、何かのゼリー寄せみたいな良くわからない料理まで。会席料理みたいな内容なのに、一皿一皿が大盛り気味で、いつも私は半分でお腹一杯になってしまうんだけど……。 この量をデュノはぺろりと平らげて、お代わりまでするんだ。三時のオヤツも食べるんだ。私の分まで食べるんだ。 この小さくて細すぎる体のどこに入ってどこへ消えているのか、いつも不思議でたまらない。 「スウは小食だよね。僕、いつか倒れるんじゃないかって心配だよ」 ――えッ!? まさかそう返ってくるとは思わなくて、お腹の底から驚いた。デュノが一瞬ぎゅっと目をつぶったけれど、そんなに声が大きかったかな。 ――私、食べ過ぎてるよ? 切実に訴える。 ここの料理は多過ぎる上に、すごく美味しい。ちょっと味付けが甘すぎる気もするけど、素材の味を殺さない程度にだし、美味しいか不味いかと言われれば絶対美味しい。 それに出された料理を残すのは……心苦しいよ。日本人として。 小さい頃から『食べ物を残すともったいないお化けが出るよ』って言われて育った私には、残す事それ自体が苦行だった。毎日本当に申し訳ないなって思う。 だからいつも無理してお腹一杯にしてるんだけど……絶対カロリーオーバーしてるよ。 自分の想像に恐れおののいていた私は、フェイさんが入ってきたことに気付かなかった。彼は大きすぎる体格とは正反対に、身のこなしがしなやかでスマート。そのせいか、いつも声を掛けられてから存在に気付くんだ。 「フェイ!」 「これは失礼しました。お食事時でしたか」 失礼したと言いながら、フェイさんは帰ろうとする素振りを見せなかった。 デュノはフェイさんとレゼに限って、食事中や入浴中の訪問でも全然気にしない。相手の方が自分よりずっと忙しいと分っているし、何よりデュノ自身の生活が不規則だから。 「いいよ、座って。あのね、今スウと話してたんだけど……」 デュノはフェイさんが腰掛けるのを待たずに問いかける。 「僕って大食らい?」 フェイさんはそれこそ、きょとんとした。 「え。いいえ、そうは見えませんが……」 「だよね」 視線で何かを交し合う二人の間に、慌てて割って入る。フェイさんには声が届かないけど。 ――で、でも。体格の割にって思ったんだけど。 そして慌ててフォローする。 ――デュノは細いから、その、そんなに食べるように見えないし。 慌てる私を、デュノがじいーっと見る。その視線がちょっと痛い。 「スウ。僕が小さいから少ししか食べないんじゃないかって思ってるの?」 ――そ、そんなつもりは……。 「良いことではないですか。デュノはたくさん食べて大きくなるのですから」 まさしく空気を読んで、フェイさんが助け舟を出してくれた。慌ててその船に乗り込む。 ――そっか、そうだよね! デュノは子ども扱いされることにちょっと敏感だ。アイとは違って、嫌がるんじゃなくて……こう、落ち込むというか、傷付くみたい。 「……まあいいけど」 「私の言う事もアテになりませんよ。アーゼンの方は小食ですから、どうも基準が違うようで」 苦笑なのか良くわからない笑みを浮かべて、フェイさんが補足する。そのフォローをどうして最初に言ってくれなかったんですか、フェイさん。 「スウはもっと小食なんだよ」 「ああ、そうですね」 言われて納得という顔で、フェイさんが私のお皿を眺めた。まったく食が進んでいないように見える……のかな。これでもすごく頑張ったんだけど。 案の定、すこしだけかわいそうなものを見る目でフェイさんが話しかけてきた。 「こちらの食事は口に合いませんか?」 ぶんぶんと、思いっきり首を振る。 「悩みなどありましたら」 もっともっと首を振る。 「何かお好きなものをお持ちしましょうか」 ピタッと私が動きを止める。 ――好きなもの……。 何だっただろう。ここでは絶対に食べられない何かが、ずっと食べたかったような気がするのだけれど。 「何か欲しいの?」 デュノが顔を覗きこむ。 ――……お味噌汁、かな。 「オミソシル?」 ころりと首が転がる勢いで、デュノが首を傾げた。 「どのようなものですか」 私が聞いたこともない料理を言うことを予測していたみたいで、フェイは穏やかに微笑む。近いものがあれば手配しようと思ってるんだろうな。 ――豆の……しょっぱいスープ……かな。 「しょっぱいの? 豆の汁物で?」 デュノがパチパチと目をしばたたく。 私は答えながら、似たような物なんてないって分ってた。 あの風味。アイが作るものも、田舎のおじさんが作るものも、それぞれが全く違う。どちらもいつ飲んでも懐かしくて、一口すするだけで心穏やかにしてくれる。私が欲しいのはその味で、代用なんてきかないんだ。 知らず暗い顔をしてしまった私へ、デュノが軽く笑いかけた。 「じゃあ、これと同じだね」 平たいヘラのようなスプーンで、デュノが今日のスープを掬った。私が口をつけなかったそれは、薄い緑色をしていて、グリーンピースのポタージュに似てる。 「はい、スウ」 笑顔で口元へ添えられて、思わず一口含んでしまった。 口に広がる不思議な風味と塩味。そして、やっぱり感じるほのかな甘み。 「おいしい?」 期待に目を輝かせて、少し首を傾げる仕草。 この子は本当に無邪気だなぁと、思う。 ――うん。 本当は全然違うのだけど。 でも、いいや。 しらず微笑み返した瞬間、 「じゃあもっと食べてね。はい、スウ」 とてつもない笑顔でスプーンを差し出された。 ――いやデュノ、それはそれとして、もうお腹が……。 「まだあるからね。はい、あーん」 ――え、ええっと……。 半ば強引にもう一口。更にもう一口。 留まるところを知らないデュノの攻撃に、私は本気で困りながら。 太る、と思った。 ちなみに数日後、フェイさんが持ってきた謎のスープで皆が悶絶したのは、秘密です。 END |
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