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 偽心安気(No.2:真彦)


 ヒキコモリ生活もサイクルさえ決まれば、なかなか過ごしやすい。

 俺の朝は昼過ぎから始まる。
 ご家人が仕事やら学校やらで出かけている間、のんびりと居間を占領させていただくというわけさ。テレビを見たり、ゲームをしたり、何か食えそうな物を漁ったり、シャワーを浴びたり。人目がないのを良いことに、究極の自堕落を実践中だ。
 家人の不在を利用してそんなことしてるなんて知られたらカッコがつかないから、一応痕跡を消してはいるが……密かに齧った菓子パンが翌日には補充されているところを見ると、どこまで隠せているかは分ったもんじゃない。
 家人が戻るのは、五割の確率で五時二十分ごろ。買い物をしてきた場合は六時過ぎがデフォルトだ。居合わせると何かとうるさいから、帰ってくる前に部屋という名の物置へ引っ込んで、山のように積まれた本を片っ端から読み始める。堅っ苦しい単語がダラダラ続く本しかないが、別に内容を楽しみたいわけじゃないから気にしてない。楽しみたいならふつーにエロ本の方が有意義だしな。
 その後は必要なら家人が寝静まった頃にお手洗いを拝借したりするが、大抵はそのまま寝落ち。初期の頃は携帯でネットとかしてたけど、ちっさいブラウザだと目がチラチラするんでやめた。最近は知り合いから連絡があると嫌なんで、携帯もずっとオフのままだ。
 こうして振り返るとまったくダメ人間の生き様だが、うまく現実逃避を併用できれば、それほど悪くない。このまま続ければ確実に禿げるけど。

 今日はうっかりゲームに熱中しているうちにお嬢らが帰ってきたせいで、シャワーが浴びられなかった。一日二日入らなくても死なないとは分かっちゃいるが、入れる時に入っとく方が賢明だ。いつここを追い出されるとも限らんし。あと俺、風呂は無駄に体力消耗するから嫌いだけど、シャワーは好きなんだよね。
 そういうわけで、深夜、俺がひっそりと風呂を済ませてバスルームを出た瞬間。
「げ」
「ッ!」
 ちっこくない方のお嬢がいた。そう、ちょっと前まで白かった方。
 隣のトイレへ向かおうとしていたらしい彼女は、寝ボケまなこを一瞬で硬直させて、その場で微動だにしなくなる。あーあ、フリーズしちゃった。この子、スペックの低いパソコンみたいに、何かあるとすぐ止まっちゃうんだよねー。昔使ってた『パソ子』とダブるんだ。無理やりOSを2Ver.上げたらめっちゃ重くなっちゃった、かわいそうなノーパソだったな、パソ子。
 しっかし、ビビられて当然か。
 バスルームから出たばっかりの俺は、パンイチならぬタオルイチ。肝心なところはギリギリセーフだけど、まさか見られるとは思ってなくて適当に巻いただけだから、よく見ればアレな感じでしょうし、もちろん上半身は裸。
 まー、仕事の舞台裏じゃあほとんど裸みたいなモンだったから、見られるのは全然気にならないんだけどさぁー。てかこれ、逆だったら多少は嬉しかったかなって程度の、俺的にはトキメキのないイベントなんだけどさぁー……。


 今の俺って、裸+ケモ耳。

 正統な変態じゃね?


「ご、ごめんなさい」
 うわ謝られた。しかもすっごい速く後ずさりされた。こう、ザザッて下がって壁にビタッって。崇ちゃんってそんな素早く動けたんだね。
「いや、お気遣いなく」
 平静を装って答えたものの、俺は地味に傷付いていた。ですよねー、どう見ても変態ですよね。びっくりって言うよりヒいてるもんね。
「すぐ出ます……今出ますから、ちょっとそこ動かないでくださイダッ!」
 俯いたまま壁伝いに下がって、思いっきりコケる崇ちゃん。
 ねえ、後ろ向いて逃げ良いからさあ。その明らかに変態通報する時のセリフだけやめて? 俺何もしてないから。存在が変態なだけだから。
 あーもう、泣いてもいいですか?


 彼女が視界から消えるやいなや、俺は素早く服を着た。
 俺の私服はいつもカラスみたいに黒尽くめだ。なんでとよく聞かれるが、別に深い意味はない。単純に似合うから、とか、なんとなく落ち着くから? とか、その程度の理由。昔誰かに『深層心理にやましいことがあるからだ』とか知ったかぶって言われたけど、“やましさ”なんて人間なら誰でもありますよねぇ。
 思考回路が自虐を通り越して卑屈になりつつも、俺は気を取り直して更衣室の扉を開けた。明日の朝から二週間はアイに変態呼ばわりされるな……とか、そんな絶望的な未来を描いて。
 その扉の先で、お嬢がぽつんと立っていた。
「えっと……」
 困惑顔で上目遣いに見上げてくる崇ちゃん。
 そっかー、更衣室通らないとトイレ入れないもんな。そんなにトイレに行きたかったなら、一言いってくれれば良かったのに。
「あ、ごめん、占領してた? 悪かったねー」
「あの」
 そそくさと退散しようとする俺を、彼女の細い手がさっと掴んだ。
 おや、積極的。
 なんてね。このお嬢には100年早いか。や、そこまでじゃないな。3年ぐらい? ここで素直に「服のびるんですけど」とか無神経なこと言ったらフラグ折っちゃうかな。や、なんのフラグとか言われても困るけど。
 なんてアホな思考で妙にリアルな数字をはじき出しつつ、俺は特に期待もせずに振り返る。
 予想通り、彼女はいつもの真摯な目で俺を見つめていた。一心に注がれる視線には悪意の欠片もなく、なぜか一生懸命。眠気で瞳が潤んでいるのか、いつもの2倍はハイライトが強い気がする。
 この目に見つめられると思わず顔を逸らしたくなる俺は、はたして“やましい”のか“やらしい”のか……それが問題だ。
「あの」
 今にも愛の告白をしそうな雰囲気を漂わせながら、彼女がゆっくりと唇を開く。
「い……」
 じっと俺を見据えながら。
「一緒に夜食しませんか」
 そうきたか。
 いつも通り2.5歩ズレた発想に思わず納得してしまい、俺は不覚にもツッコミのタイミングを逃した。
 深夜に風呂から出てきた相手へ「夜食に付き合え」なんて、どの神経系をどう繋げば出てくるんだ。さすが崇ちゃん、時々ぽろっと不思議系。
 しみじみと相手のアレっぽさを噛みしめる俺を、彼女は不安げにじーっと見上げていた。
 ああ待ってる。返事待ってる。本気で待ってる。
 例えるなら、仔犬を拾ってきたガキンチョが親に了承を得るときの顔? 自信なさげに、でも期待に満ち溢れてて、見てるだけでこっちが負けそうになる。
 つーか顔が近いです。ちょっと顎を下げたらキスできるぐらい近い。普段の対人距離よりもだいぶ近いんですけど、本人、気にも留めちゃいないんだぜ。集中してるから。
 しかしほんっとこの子、一つ何かに気をとられてると隙だらけだなぁ。しっかりしてそうに見えて、しょっちゅうボロが出るタイプだ。もっとしっかりしてくれないと、いたずらされても知らないよ? 俺に。
 って、なんで深夜に家ん中でナンパされてんだ、俺。この展開、何か嫌なものを思い出すぞ。確かヴィセさんに初めて会ったときもナンパされて、その後ひどい目にあったはずだ。
「腹いっぱいなんで結構でs」
「飲み物だけでも!」
 野生的直感で断ろうとした俺の腕をガシッと掴みなおし、崇ちゃんはそのままキッチンへ引っ張り込んだ。
 何この展開。

 ついでに、なんでこの子はこんなに頑張ってんでしょーか。




 風呂上りのビールってオツですよね。
 なーんて、好意的解釈をした俺が甘かった。
 差し出されたマグカップの中身を凝視しつつ、俺はこの無害そうな顔をした女にホイホイ着いてきた自分を心底バカだと思った。
「これは……粘菌?」
「ココアです」
 イヤイヤイヤイヤ。
 なんか黒い物体が底の方でネチョネチョぷよぷよしてるんですけど。今にも分裂して増殖しそうなんですけど、コレ。
 言っとくが、彼女の合成(あれを料理とは認めない)の腕前を知らなかったわけじゃない。俺だってこれまで何度も惨事を目撃してきた。してきたけど、まさかこんな夜更けに調合が必要なモノを選ぶなんて思いもしなかったんだ。缶ビール一本差し出されて済むと思ってたんだって!
 大体、あのセンスで何か作ろうとか、無謀だろ常考。
「で、何を創造しちゃったの?」
「ココアです」
 なんですかその『今回はなかなか上手くできたんですよー』とか言い出しそうな微笑みは。どう贔屓目に見ても『美味くできた』っつーより『不測の事態により実験成功(むしろ失敗)』ってレベルだろ。
「どうぞー」
 にこにこにこにこにこにこにこにこ。
 ……なんでこの人、笑顔から邪気が感じられないんでしょうか。
 このシチュエーションだったら普通、もっとドエスな顔して迫ってくるもんだろうが。にこにこじゃなくてニヤニヤだって。俺なら絶対そうプロデュースするし。加えて、アイみたいに「これを飲んでのたうち苦しみ、地獄の女神とお見合してきやがりあそばせ!」ぐらい言ってくれれば、絶好調でお断り申し上げるんですけど……。
 にこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこ。
 これは……本気で自分の作品の破壊力に気付いてないってことでしょうか、神様。
「は、ははははは……イタダキマス」
 無邪気な微笑みという名の圧力に、俺は抵抗を試みるまでもなく敗北した。
 や、悪気のない相手の手料理を断るとか、できない、じゃん……? ……人として。
 俺も俺で、なんで無駄な愛想振り撒いちゃうかねぇ。あーもうコレ本能っつーか、習性だよ。器の小さい自分を世に知らしめることができないぐらいちっせぇ男なんですよ! 俺は! そうして自ら首を絞めていくのさあはははは!!
 しっかし、さっきのフラグが死亡フラグのほうだったとは。思いっきりへし折っときゃ良かった……。
 俺は一息ついて人生的な諸々を諦めた後、意を決して一口いってみた。ほんと勇者だな俺。

 ドロッ、ジャリッ、……ぐにょ。

 うわぁー、無性に許せないわこの触感。ぶにょぶにょしててマジキモイ。微妙にコリコリしてるコレもムカつく。明らかに消化できる物体じゃ無いだろ。火とか通さなきゃダメ系だろ。ほんとにまー、相変わらず何入れてんの……ってちょ、今なんか口の中で弾けた! プチプチってしたあああー!!
 一口で泣目になった俺を見て、崇ちゃんもさすがにヤバイと思ったらしい。
「あー……」
 お嬢、飲みかけてた自分のコップをテーブルへ戻しやがった。待て、それ製作者として最低じゃね!?
 明らかな愛想笑いで、崇ちゃんが小首を傾げる。
「えっと、試しに栄養を足してみたんですけど」
 その才能で何も試すな。あと分ってんなら恐る恐る言うな。
「養分で殺さないでください」
「体に悪いものは入れてないから大丈夫! ……です」
 そーゆーことは目を合わせて言いましょう。ついでに根拠の無いことを言うのはやめましょう。むしろ一口でも飲んじゃった俺が安全だという物的保障をくれ。今すぐに。
「あーもう。俺に構わなくていいっすよ、マジで」
 一気に怒るのもバカらしくなって、俺は気だるく席を立つ。
 ほんと、何やってんだろ。死ぬ前に部屋に戻った方が賢明だわ。
 だが、退散しようとする俺の背中にぽつりと切なげな声がかかった。
「だって、私……痩せた人って嫌なんです」

 衝撃のデブ専宣言。

 ないないない。
 実は密かにビビったが、すぐに態勢を立て直す。んなわけないない。もしそうだったら咲とか説明つかないし。あ、もしやアイツ隠れ肥満?
 脳内コントが忙しい俺を置いて、崇ちゃんは一人でシリアスな空気を漂わせていた。すっと視線を落とし、真面目な顔で俯く。
「デュノもすごく細くて、見ているだけで折れそうで……思い出すから……」
「俺に太れと」
「健康的に!」
 きりっと顔を上げる崇ちゃん。毒盛った奴が言うセリフじゃねぇー。
 彼女の言う通り、ヒキコモリ生活で俺の筋肉はすっかり落ちてしまった。元の体型に戻すのは並大抵じゃないだろう。今でもたまに筋トレしてるんだが、食うもん食ってないと意味がない。もちろん、久々に食ったモンが劇薬じゃあ更に意味がない。
 が、今気になるのはそこじゃない。
 俺は内心ニヤリとしつつ、一度は立った席へ座りなおした。首をかしげて頬杖をつく。
「で、そのデュノとやらが噂の彼なんだ?」
「彼じゃないです」
 おや即答。
 妙に堅い否定文に、頭の中でレ点をつける。
 俺は触れられたくないところをわざわざ弄るほど馬鹿じゃない。誰にだって地雷はあるはずだ。一度でもそこへ立ち入れば、次はもう、ない。
 だからそういうものにはまず触らない。ま、そのチェックポイントから半径数センチ地点を掘り下げることはしますけど。
 俺は足を組み換え、頬杖をついたまま少しだけ身を乗り出した。彼女との距離が15センチ縮まる。
「細いってさ、そいつ、ガリだったの?」
 目を細めて問いかける。
 相手はその視線を避けるように俯いた。
「うん、すごく細かった。顔はそこまでコケてはなかったんだけど、いろいろあって、体力的にも……」
 ふうん。病弱なのね。
 アイとはまた違った意味でお節介のケがある彼女のことだ。ほいほい看病やら付き添いやらしてるうちに、情が移ったんだろう。
「いわゆるサナトリウム系ってこと?」
 なまっちろくてひょろ長い、常にパジャマとか着てそうな男だろうか。明治大正あたりの時代で肺病とかやってる、儚くて繊細な文学的美青年。
 だが崇ちゃんはどうにも響かない様子で、くりっと首を傾げた。
「んー……。どっちかというと、小児病棟?」
 あっけらかんとした声色。
 まて。ちょい待て脳内イメージ修正するから待って。ってえええええ!?
「俺はヴィセさんに『息子は崇ちゃんたちと同い年』って聞いたんですけど!」
「うん、そうらしくって……。今はもう、十九歳になってるはず……なんだけど……」
 突然言葉を濁しまくる崇ちゃん。思いっきり目は逸らすわ、指先でマグをコソコソ弄るわ、ほんと自信のないことは表に出やすい性格ですねー。
 きゅっと両手でマグを握り、彼女が意を決したように顔を上げた。
「見た目は小学生くらいでっ」
 出たよ崇ちゃん必殺・テラシュール。
 見た目は子供、頭脳は……って、どこのアニメだよ。
「つまり、チビなんですね?」
「う。確かに小さいけど……でも小学生としてみればそこそこの身長で。細いけど」
「や、でも当時十七だろ。高校生じゃん」
「でもっ」
「現実見てください。十七歳で身長150センチない野郎は、どう好意的に解釈しても小さめな青年です。子供じゃありません」
 普通は骨格とか肉のつき方で分かるもんだけどねぇ。俺のことも十代だと思ってたらしいし、この子、相当なフシアナさんなんだろうか。
 かわいそうな目で見られていたのに気づいたのか、崇ちゃんはぐっと拳を握り締めて、最後の反論を試みた。
「で、でもね? ……中身の方も子供っぽかったんだ、よ?」
 アンタそれフォローじゃないですよ。
 むしろ俺の中でかわいそうな人に決定しちゃったよ。二人とも。
 しっかし、見た目も子供、頭脳も子供とは……なんという二重苦。
「えーと、ご愁傷様?」
「なんでですかー! もう、すっごく純粋で可愛い子なのに」
 珍しくキレられた。
 相手をダメな子扱いされたのにプチっときたらしい。でも俺がそう思っちゃったのって、全部キミの説明が下手なせいなんだよね。まあ、それが分かってるから逆切れしたくもなったんだろうけど。
 しっかし、『可愛い子』って。
 17で? 小学生?
 ないないない。
 俺は頭痛を覚えながら、この子って時々、物凄く自然にミラクルなことを受け入れてるよなーとか思う。一体どういう感性してんだろ。俺なんか不思議の国のアリスの本を読んで目が回るようなガキだったから、この手の話題がでるだけで顔が引き攣るわ。
 密かに相手へドン引きしてるのを隠しつつ、俺は指折りその男の齢を数えてみせる。
「でも十九だろ? あ、当時は十七か。どっちにしろありえねぇ。崇ちゃんの見えないところでひねてたんじゃないの」
 たとえ超絶的な童顔だったとしても、思春期を過ぎた後に子供のままの純粋さが残るなんてありえない。そういうものはどこかに滲み出て、漂っているはずだ。
「ひねてるところはあったかも。相応にだけど」
 ほらみろ、と俺が得意になろうとした瞬間。
「でもね。とっても無邪気で、素直で、かわいかったよ」
 そう言ってふわりと笑った彼女の顔が、普段の寂しげな微笑みとはまるで違った。暖かな光がこぼれるような、満たされた笑顔。
 女の子のこういう顔は何者にも勝る、と思う。
「それは思うに……」
「うん?」
 その微笑みにつられて、俺は滅多にしない種類のリップサービスを追加していた。
「そいつ、崇ちゃんのことが相当好きだったんだな」
「……へ?」
 半オクターブ跳ね上がった間抜けな声。ぽかんと見開いた目と口。じわじわと耳から入ってきた言葉を、脳ミソが理解したとき。
 ぼっと火が点いたように、崇ちゃんの顔が真っ赤になった。
「な、なん……、なんなんですか急に!?」
「思ったままを言っただけですが」
 澄まして答える。半分は冷めた心持ちで。
 だって、それだけの好印象『だけ』を相手に与えるって、ものすごい努力じゃね? まさしく白鳥が水面下でバタ足頑張ってるってかんじ。そこまでしてでも、いや、自然とそういう態度が出る時点で、相当好かれてんだなーと判断したわけです。
「まあ、甘え方にも色々あるからさ。さぞや可愛かったんだろうなと」
 好きな子の前だと媚びうる女みたいな奴は、実際いる。俺はどっちかっつーと相手より上に立ちたいから、そういう心理って理解不能なんだけど。
 スウちゃんはまだ赤い顔を俯かせて、肩身狭そうに縮こまる。
「れ、恋愛感情は、なかったと……思うんです」
 その顔の困りきったこと。
 無意識にちっちゃな声で「子供だし、子供だし、子供だし」とか呟いてるし。さっき自分で十九歳って言ってたじゃん。
 狼狽する彼女を十分堪能してから、俺はさくっと話題に終止符を打った。
「ま、今してるのは下心の話なんだけどね」
 恋って字も下のほうに心がありますが。
 予想通り、崇ちゃんは一瞬でポカーンと停止した。パソ子だパソ子。
「子供に何を」
 お、今回は回復が早い。ツッコミ持参とは腕を上げたな。
「分んないよぉー? 俺もガキの頃から愛想の良さには定評があったし」
 あえて意地悪く突っついてみる。
「ま……あなたとデュノは違いますっ」
 お、反抗的。
「そう思わせるのが手口なんだってぇー」
 ホント俺って性格悪いなぁー。
 ちょっと弄りすぎたのか、そこで崇ちゃんがアイみたいに口を尖らせた。じーっとこちらを睨みつつ、そのつんと尖った口元から溜息と愚痴を一緒に零す。
「もう。みんなデュノを知らないから、そういう風に思うんだよ。見ればきっと一目で分るのに」
 その盲目的な言葉に、俺は思わず笑みを浮かべる。
「さあどうでしょう。崇ちゃんだって、ソイツの一時的な状態を知ってるだけじゃない?」
 さらりと毒を穿つのは、これで意外と要技術。
 はっと息を飲むようにして、彼女が顔を上げた。こちらを見つめる無防備な瞳。
「え……?」
「まさか、半年やそこらで相手の全部が分かると思っちゃないよねぇ」
 隙を狙い、さくりと刺すのも職人技。語尾はちょっと嫌味が過ぎたか。
「でも、会ったことがある分、私は」
「じゃあ、俺とはかれこれ六年以上の付き合いになりますが、崇ちゃん、俺の何を知ってるの?」
 期間だけなら、ソイツの十二倍は知り合いやってますけどね。
 ぴくりとも動かなくなった彼女を、頬杖をつく仕草に紛れて下から見上げる。多分すごいキモイ薄ら笑いをしてるんだけど、まあ、俺は元の顔の造りが良いんで、そうヤバイことにはならないはずだ。自分では十二分にキモイと思うけど。
 すっと視線が降りて、彼女の視線が俺を捉える。
「あなたは、言わないから」
「聞かれないからね」
「違う。あなたは聞かせない。疑問すら持たせないように全てを覆い隠してる。真っ黒く、塗りつぶしてる」
「俺の場合は意図的に、ね」
 笑顔を残して視線を逸らす。
 脳裏に焼きつく、真っ直ぐに射抜く目。
 ああ。
 この瞳、大嫌いだ。
 心の底からそう自覚しながら、俺は凶悪な笑みを浮かべた。
「そうだな。崇ちゃんの話を聞く限り、ソイツにそれだけの知恵があるとは思えない」
 彼女は生真面目に頷く。
「デュノは思ったことを全部真っ直ぐに伝えてくれる」
 俺とは違う、か。
 彼女の悪気のなさに、瞬間的に苛立った。それもすぐに皮肉に紛れて消えてしまう。
「素直で、無邪気で、可愛い子供」
 記憶の言葉を反芻しながら、俺は指を折っていく。これが彼女の評価。
 面白いくらい、美しい。
「ねえ、崇ちゃん」

 そんな綺麗なものじゃあないと思いますよ、お嬢さん。

「秘密を持たない人間の価値って、あるの?」
「……?」
 突然の話題転換についていけなかったのか、彼女が怪訝そうな顔でこちらを見つめる。
 その、無防備。
「言えるようなことばっかで出来てる人間のどこが良いの? 自分がそこまで入れ込む理由はなんだと思う?」


 ――アンタがそこまで妄信できていることが、一つの証拠になりはしませんか?――


 喉元まで出かかった言葉を、笑みで噛み殺す。
 そこまで追い詰める必要はない。
 それに気付くのと同時、彼女が不安げな、いつものどこか困ったような顔で黙り込んだ。質問に答えられず、じっと思考の殻へ入り込む。
 答えなぞ、出るものか。
 彼女は知らない。気づいていない。ないものを探しても、出てくるのは表面的な偽りばかり。
 ばかばかしい。
 急にさめた心持になって、俺はふっと背もたれへもたれかかった。彼女との距離が大きく開く。
 ……何をむきになっている。
 ここで彼女の不安を煽ったところで、大して面白くもない。無益だ。
 相手が目の前にいるわけでも、直接相対しているわけでもないのに。
 どうしてこんなに論破したくなる。
 自分の攻撃性に嫌気が差して、俺は知らず溜息をついた。これではまるで狂犬だ。冗談は耳だけにしたい。いや、そうしよう。
 だが、と近くで囁くものがある。
 もし。
 もし自分がソイツと競う立場にあったなら、この程度のこきおろしじゃあ済まさない。徹底的に矛盾を指摘して、全部暴きだしてやる。
 今、ソイツが目の前に居さえすれば。
 ああ、そうか。
 これが噂の同族嫌悪。



「っくしっ!」
 突然のくしゃみに、正面の少女が驚いて顔を上げた。延々と物思いからか行ってこない彼女を待つうち、すっかり冷えてしまったらしい。三つ連続でくしゃみをして、俺は鼻を啜った。
「湯冷めしました?」
「かも」
 風呂上りに長居しすぎたみたいだ。ロクな食事をとってないせいで抵抗力も落ちてるだろうし……風邪引いたらどうしよう。『夏風邪でもバカは云々』とか、アイにさんざんっぱらバカにされんだろーな。うわ最悪。
 無意識に体をさすった俺を見て、崇ちゃんがポンと手を打った。
「じゃあ、もう一杯ココアを」
「断る!!」
 いいざま、ダッシュで逃げおおせた俺は、あの食感を思い出して鳥肌を立てた。

 彼女の“俺を太らせよう大作戦”をどうにかしないと、死ぬ。


END
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