佐高少年の灰色景色


 帰省

 盆前に、共働きで忙しい両親に代わって、田舎のばあさんちの掃除をさせられることになった。
 電車を乗り継いだあと、バスに揺られて山道を行く。
 ここは街からそう遠くないはずなのに、完璧な田舎の風情だ。山は深く、人は少なく、ひっそりと互いに寄り添って生きている。
 かつてはこの近くの町に住んでいたはずなのに、すっかり都会人ぶって、田舎はいいななどと暢気なことを思う。実際住むと大変なのは知っているんだが。
 山を越える途中で、新しい神社の前を通り過ぎた。
 実際は新しかったわけじゃなく、真新しい鳥居のある神社だった。石造りの鳥居はつるりと磨き上げられ、苔一つ生えていない。車道ギリギリに立てられたそれは大きく、堂々と仁王立ちしているようだ。
 ほう。田舎の自治会は、こういうものに金をつぎ込むのか。
 さすがに感覚が違うな、などと思っていると、バスは神社の前をあっさり通り過ぎた。
 その時ちらりと、山の中へ続く階段とその途中にある、もう一つの鳥居が覗いた。



 ばあさんの家は村落の奥にある、砂利道の先だ。木立のトンネルを抜けると草原じみた広場があり、その中央に柵もなくぽつんと佇んでいる。
 ここへ来たのは、ばあさんの葬式以来だ。ひどく懐かしい心地がした。
 いつか俺が独り立ちしたら、こんな場所で生活したいと思う。適当にサラリーマンをやったあと、田舎でのんびり余生を送る。じじむさかろうといいじゃないか。
 旧式の鍵を苦労して開け、玄関を開ける。篭った空気には埃と、この家独特の匂いが充満している。古い木と畳と、染み付いた生活の匂いが。
 靴を脱いで上がると、足の裏がざらついた。埃の足跡がつく。
 手当たり次第に戸を開けていると、とんとん、と人が階段を下りる音がした。
「……ばあさん?」
 そんなわけはない。早くに逝った爺さんのあとを守っていたばあさんは、俺があの街へ越してきてすぐ、爺さんのもとへ旅立った。それからこの家は空き家のまま、たまに掃除をしに戻るだけになっている。
 トントンと足音が廊下を歩く。頭の端に『物盗』という言葉が浮かんだ。
 廊下に出て、そちらを見据える。いいさ。泥棒だろうとなんだろうと、殴り飛ばして追い出してやる。この家を荒らそうとするヤツは誰だろうと許さない。
 暗い廊下の向こうから、誰かが歩いてきた。だが、姿はない。
 それは、ただの気配だった。
 足跡だけが埃の上に一つ、また一つと形を残す。
 片足の、男。
 それが目の前に辿り着くと、ふっと影の動きが把握できた。
 ゆっくりと、丁寧に頭を下げたのだ。
 何もいえずにいる俺へ、影は頭を上げると隣を通り過ぎて、玄関から出て行った。



 そのあとは何事もなく、俺は掃除を終えて帰路へついた。始めは泊まる予定だったが、それを押し留めるに十分な体験だったと思う。
 疲れ切っていた俺は、帰りのバスでうとうとしながら美しい景色を眺めていた。
 山を下るうちに、あの神社の前を通った。
 そこで俺はもう一度目を見張ることとなる。
 そこには、あの立派な鳥居はなかった。
 代わりにあったのは苔むした階段と、その途中に立ち尽くす、苔に覆われたもう一つの鳥居だけ。
 あの新しい鳥居は、どこにもない。
 その時ふと、幼い頃に祖母に教わったことを思い出した。
 あの家はヌシ家と呼ばれている。
 今は自分が代役を勤めているが、本来は代々あの家に住む血筋の者が居なければならない、と。異国の国から来た自分では本当はいけないけれど、代わりのものがいてくれるから、自分でもなんとか大丈夫なのだと言っていた。
 そして、あの家の当主には周辺のものたちすら敬意を払う、と。


 そういうことか。
 あちらなりの敬意なのだと理解する。
 ただ。
 どちらかというと、見栄を張られたのかもしれない。
 ……古い神社には、もう、訪れる者はいないようだった。



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