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パフェが半分になり、そろそろ甘さに飽きた頃。 じっと機を窺っていたスウが、ぽつりと話しかけた。 「あの、聞いてもいいですか?」 「会社のこと?」 刺すような視線がちらりと向けられる。相変わらず察しが良い。 「はい。ヴィセさんが世界が危ないって言ってたのは、S社の情報が元なんですよね? 詳しく教えてくれますか」 サイエンスと付くだけあって、S.S.S.は科学全般に強い。ことに研究施設には金を惜しまず、毎年莫大な費用をかけて新技術を研究、開発させていると聞く。 ヴィセが社長に秘密を打ち明けたのは、単に知り合いだったからではないし、真彦の件を伝えなければならなかったからでもない。昨今の異常現象の多発を不審に思ったヴィセが、彼なりに考えた一番手っ取り早く原因を解明する方法が、S社の情報力に頼ることだったのだ。 だが、当のヴィセは聞いた情報をそのまま持ってくることが出来なかった。彼の性格のせいか、重要な部分以外は端折って覚えてきためだ。後で詳しく話を聞こうにも、覚えていないことを聞き出せるはずもないわけで。 「うーん……」 真彦が難しい顔をして眉間にシワを寄せた。 彼の性格から二つ返事で話してくれるだろうと予測していたスウは、妙に口の重そうな様子に首を傾げる。機密事項でも漏らしたくないのだろうか。 だが、返ってきた言葉は予測に反して現実的な問題をはらんでいた。 「崇ちゃん、物理って得意? できれば高エネルギー系のヤツ。量子物理学とか」 「はい?」 音すら拾えなくて、目が点になった。 「で〜す〜よ〜ねぇ〜」 若者っぽく同意され、二人でハハハと乾いた笑いを流す。 予想以上にこちらの理解力が必要だったらしい。スウは半笑いを浮かべながら、内心どうしようと泣きそうになる。 だが、先生が良ければ問題ないようだ。 「簡単に言うと、未確認の素粒子が増えているらしい。あんたらの言う魔力だろうな。そいつが目立ち始めてきたのが去年の四月ごろ。その量が一年半の間に約五千倍に膨れ上がっている」 真彦は平易な言葉を使って教えてくれた。 魔力を素粒子と呼ぶ以外はヴィセの言っていたことと大差ないため、スウでもよく分かる。多分、とんでもなくややこしい説明は省いたのだろう。そしてヴィセはこれを異世界流に覚えて帰ってきた、と。 スウはスプーンを持つ手をとめて、真っ直ぐに相手へ問いかける。 「その素粒子は一体どこから来ているんですか?」 科学では異世界などという空想じみた発想をしない。ならば、彼らの導いた考えが新たな可能性になることもあるかもしれない。 そう、一縷の望みをかけていた。 彼はあっさりと告げる。 「分からない」 えええええと、思わず不躾な声が出た。静かな店内に絶叫は似つかわしくないため、必死に口を抑えたのだが、飛び出したものは戻らない。店員がコップを拭きながらこちらを見ている。目をつけられたらどうしよう。 ヴィセの口調だと、世界の崩壊が科学的に裏づけされたように聞こえた。魔法だからという雲を掴むような説明より、ずっと納得のいく答えが返ってくると思っていたのに。 わからない、とは。 彼女の反応が不服だったらしく、真彦がふてくされて語調に棘を生やした。 「まだ素粒子の名前も付いてないような段階なんだぞ? しかも今の技術じゃ一定範囲内しか解析できないし。発生源の特定なんて到底できるわけないじゃんか。原因解明も夢のまた夢」 科学は一日にして成りません、とひょいと肩をすくませて明後日の方を向いた。 「ちなみに今一番有力な仮説とされてるのが、超新星爆発……えーっと、お空のお星サマがドカーンって爆発した時に出来たエネルギーやら変な物質やらが、ウン十万光年かけて最近地球に届いたんじゃねーのって説。これだと普通に俺の耳とか立証できないんだけど。所長さんなんかは『トンネル効果っぽい気がする』とか言ってたな。酒の席だったからアテにならん話だが」 ちらちら覗く専門用語が全く分からないスウは、「はあ……」と頷くしかない。 真彦は食べ終えた食器を端に寄せつつ、気のない調子で言葉を続ける。 「他にも地震対策部門の関係者が言うには、磁場の乱れてるこの街がヤバイらしいが、それも予測の範囲を出ないし。そもそもオカルト話には手をつけてないしな。俺の話なんて、オヤジは大笑いしてたけど他は完璧スルーだったぞ」 最後の方、ちょっと悲しそうだ。 「え、ええと、つまり?」 小難しい表現に惑わされて、スウは上擦った声を出す。 答えは気負いなく返ってきた。 「何かが『進んで』るんだ。科学ではまだ『観測』しかできない領域の『何か』が」 真顔でカッコよく決めているものの、内容はとても曖昧だ。適当だ。 具象の寵児である科学なら、もっとはっきりとしたことが分かると思っていたのに……と、スウは思いっきり肩を落とした。はっきり言って、これではヴィセの方が詳細を把握している。トンデモ説明に目を瞑ればの話だが。 落胆を隠せない彼女へ、突然語調を変えて真彦が斬り込んできた。 「ヴィセさんが宿詞で封じられるかもしれないと言っていたのは知ってるか?」 それは具体的な対処法の話。 スウはゆっくりと頷き、ヴィセの言葉を反芻する。 彼はこうも言った。 『この世界からでは結界の修復機能を再開させることはできないと思う。たぶんむこうに居てもどうしようもないよ。こうなっては、結界が破れて飛翔炎がなだれ込んで来たその瞬間に宿詞を発動して、流入した飛翔炎でもって結界を修復するしかないだろうね。結界の原料は飛翔炎の発する魔力だから』と。 この世界には結界を修復するための魔力が存在しない。だから、向こうの世界とこちらの世界が繋がって、向こうの魔力で満たされたその一瞬、結界が崩壊しきる寸前に、強力な宿詞で魔力を操って修復してしまおうという提案だ。 「ヴィセさんは自分がやると言った。だが同時に、崇ちゃんの方が力が強いとも言っていた」 ヴィセは『これは自分の責任だから、自分が果たすべき課題だ』と述べた。意図せず崩壊の原因となってしまっている彼の心情を思えば、当然の言葉だろう。 しかし彼は誰よりもスウが適任だと知っている。模倣して劣化したヴィセの宿詞より、白の飛翔炎が生み出す本来の宿詞のほうが、ずっと力が強い。 真彦がそっと自分の片耳を覆う。形が元に戻っても飛翔炎は彼と共にある。スウが彼に放った数々の宿詞の記憶も。 「俺も実際に体験したけど、その通りだと思う」 初めてヴィセの宿詞に触れた真彦は、驚きながらも相手の顔を掴んで押し退けるだけの余裕があった。スウの時は椅子から転げ落ち、一言も発せられないまま喘いでいた。驚きに目を見開いて。 真彦でさえそれだけの違いを感じるならば、世界を相手にする際には大きな誤差となるはずだ。 彼はどこか自虐的に笑う。 「S社はヴィセさんの言うことをハナからアテにしちゃいない。可能性の一つとして、興味深く話を聞いてはいるが。当然だよな、魔法なんて。……でもさっきも言ったが、科学はまだ『観測』することしかできないんだ。たとえそれで何らかの崩壊が起きるとしても、自然現象である限り数百年は先のことだって思ってる。その時に何が起こるかも予測できちゃいない」 それからすっと真面目な顔になり、スウを見据えた。 「俺は、そこまで楽観できないと思ってる」 初めて聞く声色は、真摯。 S社の研究機材が弾き出すデータと、世間を騒がせるオカルト現象。ヴィセとスウが語る異世界の存在と魔法。そして、彼本人が経験した飛翔炎の脅威。 これらを総合的に考えられる人間は、おそらくこの世界で彼一人。 「だから俺は、アンタに協力を願いに来た」 鋭い視線が正面から彼女を射抜く。 スウは穏やかにその視線を受け流した。 「それでパフェを?」 軽く微笑んで茶化す。 相手は緊張を解いてへらりと笑った。 「や、それは別。俺はワイロ使いになるにゃ経験値が足りねぇ」 まるで逃げ道のような言葉。しかしそれは本人の為に用意されたものではなく、彼女へ与えられたもの。嫌だったら断ってくれて結構と、優しく強制を否定している。 真彦は窺うように彼女の顔を覗きこむ。そこには思いやりはあったけれど、気弱な素振りは微塵もない。相手の力量を推し量る、強い視線。 「崇ちゃん、できるか?」 スウはテーブルを見つめたまま押し黙る。しばらく無言で溶けていくパフェの残りを見つめた。臙脂のソースと白いアイスが溶け合って、淡いピンクになろうとしている。 「……いいですよ」 わずかに顔を上げ、応えるように相手を視線で射抜き返す。 自分もこの件に関わってしまった以上、ヴィセだけに預けることは出来ない。一人で宿詞を使うより、二人で対処した方が絶対に効率が良いはずだ。 それに。 「世界が崩壊してしまうのは、私も嫌。今さらそんな結果になったら、何のために帰ってきたのか分からなくなってしまう。地震が起こったことも、お父さんとお母さんがあんなことになったのも……全部、無駄になってしまうから」 自分へのあてつけの為に奪われたたくさんの命。自分を悲しませ、打ちのめすためだけに殺された父母。ここで彼女が次なる報復を恐れて立ち止まってしまえば、あんなに理不尽な理由で死んでしまった彼らへ、無意味な死という烙印すら押すことになってしまう。 そんなことをさせるわけにはいかない。 「私が証明します」 心無い言葉で傷つけ、縋りつくあの子を振りきってでも戻って来た意味も、全て水泡に帰してしまう。たくさんの命が飛翔炎によって狂う。二つの世界の秩序が乱される。 そんな未来は嫌だ。 「もう後悔はしたくない。あの選択は、間違ってなんかいなかった」 そうだ。自分は間違ってなどいない。 「そう、証明します」 これは神への宣戦布告。 両親を奪い、居場所を奪い、彼女の拠り所とするあらゆるものを苦しめた、世界の意志への反逆。 そう。 私はこの憎しみを肯定する。 「頼もしいな」 真彦が微笑む。口元はこの上なく柔らかく笑んでいるのに、その瞳に浮かぶのは盟友への敬意と、世界への侮蔑。 挑戦的な微笑を浮かべ、大悪党二人が互いの視線を交わし合ったとき。 聞き覚えのあるメロディが流れた。 スウはぱちりと瞬きをしてから、その曲が『Rya-sya』の代表曲であると気付く。 『貴方の言葉が 思いが 存在が 私の腕を絡め取り 私の足を引き掴む……』 それが真彦の携帯電話の着信だと気がついたのは、彼が苛立たしげに自分の携帯を耳へ当てたときだった。 「――なんだって!? まだだって言ってたじゃないか!」 突然発せられた怒号に、スウは思わず身を硬くする。 「場所は? 分かった。ナビに繋げ。どれぐらいもつ? 推測で構わない」 端的な言葉の羅列。 感情をほとんど含まない事務的な声色は、怒声とは別人のように低い。 「分かった。丁度いい、今から――最終兵器を連れて行く!」 言うやいなや、真彦は席を立つとスウの腕を掴み、大股で店内を歩く。店員のいないレジへ叩きつけるように現金を置き、お釣りなど無いような顔をして足早に店を出た。 彼とは歩幅の違うスウは、引きずられないように必死だ。 頭の中では彼の言葉がぐるぐると回っていた。 最終兵器。それは私ですか。 車に乗り込む際に空を見上げると、夕方でもないのに真っ赤に染まっていた。 黒塗りの外国車へ乗り込み、急いでシートベルトを締める。 真彦は慣れた手つきでエンジンをかけ、サイドブレーキを引いた。と、そこでスウへ目をとめ、少し目元を細めて彼女の首へ手を伸ばした。 端正な顔が近寄り、骨ばった大きな手が首元へ触れる。 一瞬、ビクッとすくみあがった。 真彦は整った口元をにやりと吊り上げて、意地悪くささやく。 「気をつけてくれよ。この車、メカマニアの伯父上が違法改造してるから」 そして自分の首へ水平に手を添え、 「ヘタすりゃ……ベルトで首がスッパリいく」 ピッと横へ引くやいなや、アクセルを思い切り踏みつけた。 |
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