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 手早く夕食を済ませた二人は、テレビを流しつつ、トランプで時間を潰していた。
 ババ抜きから始まったゲームは二人だけということもあり、七並べ、大富豪、ポーカーと、次々と種類を変えていった。
 すぐに態度に出てしまうスウはババ抜きがめっぽう弱い。悪ノリしたアイに散々負かされた。けれど不思議と手札が良いことが多いので、七並べとポーカーでは負け知らずだ。
 トランプを切りながら、ふとスウが壁掛け時計を見上げた。
「ヴィセさん、ちょっと遅くない? お仕事忙しいの?」
「ううん。今日は帰りに知り合いのところへ寄るって言ってたから、そのせいだと思う。ご飯も要らないんだって。でも、朝は滅多に着て行かないスーツだったのよ」
 へんなの、と呟いてアイが手札を受け取る。
「今日、帰ってくるって?」
「何も言ってなかったけど」
 丁度その時、テレビのニュースが天気予報を伝えた。台風の進路が大きく変わったらしい。今夜にも直撃するそうだ。新幹線が止まって、駅で寝泊りする人が溢れているという。
 スウとアイが顔を見合わる。そういえば、さっきから風の音が大きく唸っている。
「あたし、戸締り確認してくる」
「じゃあ私はちょっとヴィセさんに電話してみようかな」
 トランプを置いて立ち上がる。
 電話はすぐに繋がった。
「もしもし?」
「はい。あ、スウちゃん? やほー。どうしたの、電話なんて珍しいねー」
 受話器の向こうの声はいつもの二割り増しで明るく、妙に間延びしていた。
「あれ……ヴィセさん、もしかしてお酒飲んでます?」
「ばれちゃった? うん、今ちょっとねー、一杯しながらお話しの途中でねぇ」
「話って。後でかけ直したほうが良いですか?」
「いやそれは大丈夫――あ、お気遣いなく。もう飲めませんって」
 急に向こう側の誰かに答える声が混じり、スウがきょとんと瞬きをする。すぐに受話器が「いいからいいから」と軽く答える男性の声を拾った。無理やり酒を注がれているらしい。
「あの、ヴィセさん。新幹線が止まったって知ってますか?」
「え、そうなの? 困ったなぁ、今ちょっと首都にいて――
 途中で受話器を遠ざけたのか、声がくぐもる。連れと二言三言かわしてから、明瞭な声が届いた。
「なんか送ってくれるらしいから大丈夫みたい。アイに伝えといてくれるかい?」
「はい。えっと、いつごろ戻れますか?」
 アイの心配性は筋金入りだ。いつごろ帰ってくるかまで言わないと安心しない。時間を区切ったら区切ったで、それより遅くなったときの悲劇も凄まじいのだけれど。
「うーん、今日中にはちょっと無理だなぁ。明日の朝一で帰れると思うけど。何かあった?」
「いえ……特に何も」
 実はなにも起きなかったからこそヴィセに聞きたいことがあったのだが、向こうに連れがいる状態では問いかけることもできない。
「そうなの? あ、そだ。スウちゃん、今日ってまーくん出てきた?」
 疑問の核心である人物の名前が出てきて、スウはわずかに動揺する。
「はい。さっき少し話しましたけど」
「そっか。今、出れないよね?」
「電話にですか? それはちょっと……」
「だよねぇ。じゃあ、あの部屋って外から鍵ってかけれたっけ?」
 いきなり思いもよらない方面へ話が飛び、スウは「は?」と普段より一オクターブ高い声を出す。
「確かできないよねぇー」
 彼女の驚きなど、ヴィセは全く意に介さない。一人でのほほんと頷く姿が目に浮かんだ。
「とりあえず今こっちで話してるから、明日の朝まで真彦が出て行かないようにしておいて。そのためなら宿詞を使ってもいいから」
 さらりと告げられた内容に、スウは絶句した。ヴィセもスウと同じく、宿詞に好感を抱いていない。にもかかわらず、それを使ってでも言うことを聞かせろというなんて。なにより自分たち以外の人間には意味が分からないだろうとしても、人前で不用意に宿詞の名を出すことが信じられなかった。
「ヴィセさん、そんな、人前で」
 しどろもどろで進言する。
 けれどヴィセは気にした様子もなく、むしろあきれ声で、
「大丈夫、あの人本気で信じてないから。ほんと、どうすればいいのかなぁ。はあ……」
と、大げさに溜息をついた。
 行動の意味を図りかねて、スウが怪訝に口をつぐむ。ヴィセにはヴィセの思うところがあるようだが、いかんせん彼は酔っ払っている。勢いに任せて異世界のことを話していたら目も当てられない。
 しかし逆に考えて、ヴィセがそこまで口にしているということは、もしかすると相手も前後不覚に陥るくらい酔っ払っているのかもしれない。だったら説明がつく。
 きっとそうだと当りをつけて、スウは自分を納得させた。
 すると同時に、先ほどの真彦の生気の無い顔が思い浮かんだ。
「……彼なら、きっと出てこないですよ」
 ひそめるように、一段声が低くなる。
「そうかい? 明日にはどうにかするから、それまでごめんね。私も今頑張ってるんだけど……なかなか信じてもらえなくてねぇ」
「はぁ」
「これもかなり危険な賭けなんだけどね――いや、貴方絶対信じてないですから。なに笑ってるんですか。また話そらして――あ、ごめんごめん。それからアイのこともよろしくね、スウちゃん」
「はい、アイなら任せといてください」
「そっか。じゃあ――
 用件は伝えたとばかりに切られそうになる回線を、思わず引きとめた。
「あのっ」
 ヴィセが戻るのは明日だ。それまで待っても良いが、どうしても気になった。
「宿詞が効かないことって、ありえるんですか」
 小さな、けれど真摯な問いかけだった。
 受話器が沈黙を告げる。その一瞬が、全身が強張るほど恐ろしかった。
「スウちゃん、使ったんだね」
「……はい」
 急に酔いの醒めた声で言い当てられて、スウは力なく項垂れた。
 相手は責めることも慰めることもせず、逡巡を交えて質問へ答える。
「……ある……かもしれない。君たちの場合はね」
「だって、魔力があれば大丈夫だって」
「信念の話をしたよね。宿詞はね、絶対でなければならないんだ。呼びかけた者の飛翔炎を支配し、本人の魔力でもって操作する外法なのだから。耳から入った瞬間だけは、自己暗示でもってその人自身に協力してもらわなければならない。言葉が胸に宿る飛翔炎に届くまでは。だから、絶対と信じられていなければならないんだよ。でも、君たちは」
 続く言葉はすんなりと出た。
「科学信奉」
 この世の全ては科学で説明できる。非科学的なものなど始めから存在しない。あればそれは嘘であり、人々の幻想でしかない。神も仏も悪魔でさえも、この世のいかなるオカルトは存在しない。してはならない。
 その意志が宿詞の邪魔をする。
 最後に彼自身を守ったのは、生まれ育った土壌。
「これを取ってっていう程度なら、一瞬『しなきゃ』って思ってくれるだろうから効くだろうけれど、聞いた瞬間『嫌だ』って思われた場合、どうなるかは私にも想像がつかなくてね。その人の本質に関わる事だから、抵抗が凄まじいだろうとは思ってたんだけど……。加えて、あれだけ強い意志の持ち主だから」
「だから、あなたは試さなかったんですね」
 魔力が足りないからとばかり強調して、その点には今まで一言も触れていなかった。小出しにしろ情報は揃えてくれていたのに、彼は繋ぎ合わせることを放棄した。今ですら断言しないところからすると、本当に彼にも何が起こるか分からなかったのだろう。彼が知っていたのはただ一つ。不用意に宿詞を使えば、真彦の精神は言葉の通りズタズタに引き裂かれてしまうということだけ。
 きっと、彼は待っていたんだ。真彦が宿詞を、自分たちを信じてくれるその日を。
「……それもあるよ。でもね、私は」
 素直に己の非を認めた声は、自責を含んで重い。
「怖かったんだ。望みを絶ってしまうことが」
 その言葉を聞いた瞬間、スウは目が眩んだ。
 自分のしたことが鮮明に思い出される。彼の意思も望みも全部無視して、心ない言葉を押し付けた。
 そうして得られた反感と、知りたくもなかった事実。
 魔法など効かない。
 彼は今、あの狭い部屋で何を思っている……?
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