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 突然話の腰を叩き折って、アイが無邪気に問いかけた。
「ところでスウはいいとして、なんでお父さんも魔法が使えるの?」
 紅茶のお代わりを給仕していたスウがぎくりと動きを止める。
 前に異世界のことを話した時も、ヴィセについてはまったく触れていない。その彼が中心になって話を進めているのだから、疑問に思われてもしょうがなかった。
 どう答えるべきか迷う彼女を差し置いて、当のヴィセが平然と答える。
「私は元々異世界の人間だからね。スウちゃんよりもよっぽど魔法との付き合いは長いよ。これでもあちらでは一国の主をやってたくらいなんだから」
「一国の、主?」
 アイと真彦が揃って怪訝な顔をする。真彦の大きな耳がピンと尖った。
「アーゼンっていう魔法と作物に恵まれた国でね、結構力のある大国なんだよ。ねえ、スウちゃん」
「あ、はい。私は他の国のこと、全然知らないんですけど」
 確かフェイの故郷だという北の国も相当大きいと聞いた。けれど他の国のことはさっぱり分からない。そもそもスウはアーゼンですら、城下街に二、三度出かけたくらいなのだから。
 素直に頷いているスウへ真彦が胡散臭そうな目を向ける。用心深げに耳が後ろへ少し倒れた。
「つまりヴィセさんが王様ってコト?」
「うん、そう」
 なぜ自分に聞くのだろうと思いながらスウが答えるやいなや、アイが大声で割って入ってきた。
「えーっ、なにそれなにそれなにそれなにそれ! ……素敵!」
 両手を合わせてうっとりと盛り上がるアイに対し、真彦は半眼でヴィセを上から下まで何度も眺めた。
「似合わねぇ。オーラ無さすぎ」
「うっさいワンコ」
「あーそれ、むこうでも良く言われてたなぁ。威厳がないとか風格がどうとか。ヒドイよねぇ、あっはっは」
 年下にけなされているのを分かっているのかいないのか、ヴィセが鷹揚に笑う。その笑顔に王の風格と思えそうなものは欠片もない。これで国を治められるというのだから、あちらの世界での宿詞の力は相当なものなのだろう。
 ああでも、とスウは考えを少し改める。
 女王陛下がその辺りをフォローしていたのかもしれない。彼女には一目見ただけで凛とした威厳が感じられた。あれがカリスマというものだろうか。夫婦とはうまくできている。
 信じられないと顔に書き連ねて、真彦が大きな溜息をつく。ものすごく嫌そうな顔で口を尖らせているアイを見て、くいっと親指でさし示した。
「じゃあさ、もしかしてアイってお姫様?」
「ああ、そうだねぇ。確かにそうなるねぇ」
 言われて初めて気づいたというように、ヴィセがぽんと手を打つ。
 その一方で、スウが静かに首を傾げた。そうなるとアイとデュノ、レゼは兄弟ということになる。その当たり前の事実が、スウにはなぜか不思議に思えた。
 しかし不平の声をあげたのは当のアイ本人だった。
「え〜、なんかそれ嫌だあ」
「どうして?」
 姫と言われて嫌がる理由が思いつかなくて、スウはもう一度首を反対側へ傾ける。
 合わせて、隣の真彦が鼻で笑うようないい様で付け足した。
「いっつも『自分はオヒメサマ!』って振舞ってるくせに」
 すなわち我儘し放題。
 アイは皮肉を歯牙にもかけず、「あったりまえじゃない」と前置きしてブーイングの嵐を見舞う。
「お姫様でもないのにお姫様みたいに振舞うのと、ほんとにお姫様なのとじゃ、楽しさがぜんぜん違うー。それじゃあネタにならないじゃん!」
「……ネタなんだ」
 思わず納得するスウと真彦。アイは結構そういうところを計算している。
「てか、こんなのが姫とか思うと夢が壊れすぎて泣けるんですけど」
 真彦の耳が力なげにパタンと倒れた。表情では上手に取り繕う癖がついている彼も、耳だけは感情のままに動いてしまうらしい。
 アイが大きな目をぱちぱちと動かし、演劇じみた動作で可愛らしい声を作った。
「あら、こんなに清楚で可愛らしいお姫様なんて、他になくってよ」
 更におほほと上品に笑ってみせる。口元に持っていった手の、微妙に立てた小指の角度が見事だ。
 が、真彦には何の効果もない。
「こんなに凶暴で口が悪い上に根性がひん曲がってるなんて、よくて昔話の魔女じゃねぇか」
「まあまあ。悪い狼さんにはお仕置きが必要ね。お腹を裂いて石を詰めちゃいましょうか」
 童話になぞって、アイがけろりと危険思想を口走る。
 きゅっと真彦の耳が低くなって後ろを向いた。同時にイスを蹴飛ばして、素早く間合いを取る。
「ちょっ、その裁ちバサミ、どっから!?」
「うふふふふ。お待ちなさーいっ」
 シャキーンと、アイがいつの間にか取り出した大きな鋏を振りかぶった。口調がお嬢様モードのままなのが、怖さを倍増させている。
「お姫様を怒らせると怖いのよ〜」
「どう見たってシザーマンじゃんッ!」
 一気にホラーテイストになった室内を走り回る二人。シャキンシャキンと鳴る鋏が怖いが、相変わらず俊敏性では真彦の方が数段上のため、流血沙汰になりそうにはないのが救いだ。
 そんな二人をヴィセがおっとりと評価する。
「おやおや、元気そうでなにより。これなら当分はほっといても大丈夫だね」
 この人の鷹揚さはどこか普通と違う。頭の端でちらりと思いながら、スウはスウで流れとは全く関係のない言葉を返す。
「それにしても、アイって宿詞に全く反応しませんよね。飛翔炎を持ってないんですか?」
 ヴィセの娘なのだから、飛翔炎を持っていてもいいように思う。あのデュノだって、宿詞は効かないと言いながら反応は示していたのだから。
「そうだよ。アイに飛翔炎はないし、魔法も使えない」
「はあ」
 答えになっているような、ないような。
 真実だけで上手にはぐらかされた気がして、釈然としない。
 ヴィセは上品に紅茶のカップへ口をつけて澄まし顔。
「王様にお姫様、狼さんに賢者様か。メルヘンだねぇ」
「……そうですか……?」
 王様は今や仕事に追われる大黒柱。お姫様は家事が得意で、狼さんはある意味とっても現代的。そして何も知らない賢者の自分。
「どう考えてもエキセントリックの間違いだろ……」
 アイとの戦いを終えた真彦が席に戻ってげんなりとフォローし、スウの違和感を代弁してくれた。



「どうしたの、スウ。浮かない顔して」
 お風呂から上がってからずっと自分の部屋でクッションを抱えてベッドに座っているスウへ、ちょうど次のお湯を済ませたアイが頭をタオルで拭きながらやってきた。スウの座っている前の床にぺたんと座り、言うまでもなくタオルドライを手伝わせる。
 アイの髪は長い。ヴィセがロングヘアーが好きだからだ。
 しっとりと柔らかい黒髪を拭きながら、スウは物思いから抜け出せずにぼんやりとした声を返す。
「帰っちゃった?」
 あえて主語を落とす。名前を呼ぶのはどんな場面でもできるだけ避けたい。
「真彦のこと? ううん。リビングでテレビ見てるよ。多分泊まってくんじゃない? あんな部屋、人間の住むとこじゃないもん」
「まずはお掃除しないとね」
 数ヶ月の間に積もり積もった埃を思い出し、スウはお風呂を済ませたにもかかわらず、体が痒くなった。突き飛ばされたからとはいえ、あんなところに転がってしまったのだから。
 背を向けたまま、アイがぽつりと暗い声を出す。
「あたし、あの部屋怖いわ。生活臭ってものが全くなかった。突発的に出ていったことは分かるのに、それまでの暮らしの形跡が一つもないの。……まるで自殺志願者の部屋みたい」
 明日を生きるつもりのない者は必然的に持ち物を少なくして、整理するという。遺された者の手を煩わさないようにするためだ。そういう人は炊飯器やフライパンを処分して、食事もコンビニの弁当だけで済ませるらしい。真彦の部屋はそれに通じるものがある。
「彼のことだから、またすぐに他の女の人のところに行くつもりだったんじゃないかな。間借りしてる気なんだよ」
 楽観的な推測で否定して、アイの不安を取り除く。けれどスウもそこまで楽観的にはなれなかった。それほどあの部屋は簡潔で、薄ら寒い。
 途切れた会話が沈黙を呼ぶ。スウは自然と思案の海に沈んで、低い声で呟いた。
「これからどうするんだろうね」
「さあ。でも、スウとお父さんが治してあげるんでしょ?」
 アイが振り向きかげんでちらりとスウを見上げる。
 スウは少し黙って、髪を拭く手を下ろした。その手をじっと見つめ、俯く。
 沈黙のあとに生まれる言葉は低く重い。
「そうしてあげたいと、思うよ」
「でも?」
 続く言葉を先回りして促される。不思議なほど自然に、アイはスウの気持ちを汲んだ。
 真っ直ぐに見上げられているのが分かるのに、スウはどうしても視線を上げることができなかった。
「……本当は、二度と宿詞を使いたくないの」
 喉の奥から力を込めて、言葉を搾り出した。
「もう誰にも宿詞に触れさせない。そう思って、ヴィセさんに声を変える方法を習ったんだ」
 この世界にいる限り、彼女の声が嵐を呼んだり事故を起こしてしまうようなことは起こらない。それでもヴィセは飛翔炎を持っている。長い付き合いの中で、スウの声が彼に影響してしまう可能性はあった。
 けれどそれとは別の次元で彼女は自分の声を恐れていた。飛翔炎を持たない一般の相手にも声をかけるのをためらってしまうほどに。
「ずっと考えてきたんだけどね。一度宿詞の虜にさせてしまうと、もう、傷つけることしかできないんだ。傍に居ればどんどん声を欲しがって、ダメになってしまう。かといって離れれば深く抉ってしまう。宿詞がその人の中に根を張って、一部になってしまうから」
 宿詞は確かにあった好意を違う形に歪ませてしまう。初めの頃、デュノが拒絶反応を示しながらも森へ訪れてくれたのは、宿詞のためではないだろう。けれど、その後の彼は全て宿詞に汚染されていた。
「私が心のない人形だったなら、ずっと傍に居てあげることもできたと思うんだ。でもね、私は人間だから。……我儘で汚い人間だから。きっとダメにしてしまう」
 うなだれたまま、スウは力なく呟く。
 アイの小さな手が伸びて、優しく頭を撫でられた。
「悲しいことがあったのね」
 暖かく優しい音色。
「悲しい、かな。そうなのかな。自分では分からないんだけど……」
 思い出の中にたくさんの感情を仕舞い込んで、見えないところに隠してきた。一度その蓋を開けると、中身は待っていたように飛び出して、二度と同じように収まってはくれない。
「あのね」
 枯れた声で、ぽつりぽつりと前後の噛み合わない文章を羅列する。
「慕ってくれていたの。嬉しかった。でもね、ずっと不思議だった。どうしてそんなに気にかけてくれるのか、助けてくれるのか、信じてくれるのか」
 一人ぼっちの孤独と、見知らぬ土地への違和感。地に足のつかない不安がいつもあった。それを打ち消してくれたのは、少年の真摯な態度と揺るぎない信頼だったのに。
「宿詞のせいだって言われたとき、私――納得してしまった」
 素直に、少しも抗うことなく、彼女は事実を受け入れた。
 そして絶望した。
「そうしたら、何も信じられなくなったの」
 会いたいと、声が聞きたいと言うその言葉の裏を知ってしまった。自分だけに微笑みかける、その意味も。
「ばっかねぇ」
 ぐいっと目元を拭われて、初めて泣いていることに気付いた。涙だけは見せまいと努力してきたのに、こんなに簡単に崩れている。
 アイはスウを正面から見据え、強く諭した。
「人の心がそんな薄っぺらなわけないでしょ。あたしは魔法なんてさっぱり分かんないけど、そんなものでペランペランになる心なら、はじめっから何もなかったのよ。そうじゃなかったら、スウの考えが間違ってる」
「…………」
「少なくとも真彦にそんな心配は無用よ。ああ見えて賢いから。そもそもあいつ、既に信用ないしね。スウがいじける必要もないわ。……それでももし裏切られて、誰も信じられなくなったら――
 コツンと今度は正面から額をぶつけられる。
 自信に満ちた黒い瞳があった。
「あたしを信じなさい。あたしには声なんか関係ない」
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