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 駅の人込みに、比喩ではなく目が回った。
 数ヶ月前、テレビで凄まじい壊滅状態が晒されていた駅は、すっかり様変わりしている。
 瓦礫の山は取り除かれ、凝った設計の高層ビルと一緒に再建築された。今度は大丈夫ですよとばかりに、安全規格合格のステッカーがあちこちへ貼られている。けれど、真っ先に再建されたのは駅そのものだけで、近くではいまだに土木作業員が不快な音をたて続けていた。
 自然とついた吐息が、溜息になった。同時に自覚される疲労感。
 これだけの人を見たのは本当に久々だ。駅前の人込みは日曜のバーゲンから二、三人減ったくらい。満員電車からならば、四、五人引っこ抜いたくらいだろう。
 無意識に隊列を組んで早足ルートを作る人々に、彼女はついていけない。何度も邪魔そうに追い抜かれた。なんであんなに早く歩けるのだろう。昔は自分にもできていた気がするのだけれど。
 彼女の横を通り過ぎていく人々は皆、陰鬱な無表情。無関心を装いながら、過剰なアンテナを立てている。まるで、世界の全てが敵であるかのように。
 ふと、アーゼンの街中の景色を思い出した。
 あの国の人は互いに無関心で、他人など目に入っていないようだった。自分の目的のためにだけ動き、それ以外はただの景色。その姿はどこかこの街と重なる。
 けれど、二つの本質は全く違った。
 彼らには自分があった。他人を気にせず、自由気ままに振舞う奔放さが。
 その片鱗は、あのお祭りの日に嫌というほど体験した。
 月明かりのもと、揃いの仮面を身につけて楽しげにざわめく人々。見知らぬもの同士が気軽に団結し、はやしたて笑い合っていた。他人の迷惑も顧みず、無茶な要求をしたりされたり。無機質な仮面の下には、色とりどりの表情が潜んでいた。
 全てを均一にすることで、個性がいっそう光を放つこともある。
 自分も他人も一つにして、亡羊と消し去ってしまうこの街とはまるで逆だ。
 この世界は寂しい。忙しくて寂しい、自分のない人たち。
 途方にくれて、上を見上げる。
 鏡のように影が映り込むのは、床も壁も同じ。けれど天井には本物の鏡が張られていて、万華鏡のように行き交う人々を映していた。人酔いがいっそう激しくなる。
 人込みに流されて、自分がどの辺りにいるのかも分からなくなった頃。
「スーウー? どこー?」
 高い女の子の声が響いた。
 見れば、視線の先、ほんの五メートルほどのところに、懐かしいウェービーロングの少女がいる。長い黒髪を高い位置で二つに分け、くるくるとカールさせながら垂らしていた。パッチリとした目には長い縁取り。ふっくらとした頬は遠目から見ても柔らかそうだ。つんと尖った唇はちょっと不機嫌。
 相変わらず、文句のつけようがないくらい美少女だった。見た目は。
「アイ」
 声をかけると気付いたらしく、背伸びをして辺りを見回している。身長の低いアイには、この人込みは辛いだろう。
 少女の隣に立っていた男性が先に気付いて、彼女の肩を叩いた。
 アイの父親、ヴィセだ。久々に見ても、やはり年の割に若々しい。もともと顔が童顔じみているのだが、スタイルが若い頃から変わっていないのが一番の理由だろう。骨が細くて、身長の割に手足が長い、独特の体形だ。
 彼はスウと視線が合うと、挨拶代わりに微笑みを返してきた。目元に少しだけ皺を刻む。その面影は、意識して見れば彼の息子と似通っていた。
 ヴィセはまだ分からないでいる娘へ何かをささやきかけて、スウを示した。
 つられてアイの視線が指先を追う。
「アイ、こっち」
 手を振って示すと、やっと気付いたようだ。
 アイは大きな目をいっぱいに開いて、こちらを見つめている。
 そのまま、ゆっくりと指をさされた。わなわなと震える指先。
「……?」
 その視線に不審なものを感じて、首を傾げる。
 見れば、アイだけでなくヴィセさんも目を細めてこちらを見ていた。まぶしげに見遣る視線には、わずかに郷愁と切なさが込められていて。
 首を傾げると、肩から髪がさらりと落ちた。
「あっ」
 そうか、髪が。
 帰ってきてもスウの髪は白いまま。アイには何も言っていないので、いきなり見たらびっくりするのは当たり前だ。
 隣に立つ父親の服を、アイは何度も何度も引っ張った。その顔はしっかりとこちらを捉えていたが、見事に引き攣っている。
 アイは口元を開いては閉じ、閉じては開いてから、首が鳴る勢いで父親へ振り向く。
「おとうさーん! スウが、スウが……」
「アイ、この髪はね?」
 肩から落ちる髪を掴んで、スウが慌てて説明しようとした矢先。
「スウが、グレちゃったー!!」
 人の渦いっぱいに、絶叫が響き渡った。



「ほんと、スウだけずる〜い! あたしに隠れてなんて、ひど〜い!」
「そんなつもりはなかったんだよ? 本当に悪気はなくて……」
「お父さんもひどーい! 知ってたんなら、まず最初に教えてよね!」
「ごめんごめん。そんなにビックリすると思わなくて」
 自分も染める、ショッキングピンクにしてやると騒ぐアイを宥め、ヴィセの車でアイの家へ向かった。
 アイ達の住むマンションは、あの地震で持ちこたえた数少ない高層ビルの一つで、以前と変わらずそこにあった。アイ曰く、耐震設備は完璧だったけれど、ビルが高いから、やたらに揺れたらしい。スウが消えた日の何倍という衝撃だったそうだ。
 散々文句を言ってすっきりしたアイは、鼻歌交じりに部屋の鍵を開ける。扉を開けて、一歩中へ入ると、くるりとスウへ振り向いた。フリルのついたスカートの裾がふわりと円を描いて広がる。
 頬をうっすらと上気させ、アイは無邪気に微笑みかけた。
「ようこそ我が家へ。お帰りなさい、スウ!」
 ぴょんと飛びついて抱きつかれ、スウは軽くよろける。
 柔らかいアイの感触と、温かな体温。ふわりと香るシャンプーの香りも以前と同じ。
 懐かしい。
「……ただいま、アイ」
 そして今日、初めて微笑んだ。
 アイは満足そうに目を細めてもう一度ぎゅっとしがみ付く。
 その頭をよしよしと撫でながら、スウは傍らで荷物を持っているヴィセへと顔を向けた。
「ヴィセさんも、これからお世話になります」
「っ」
 何気なくかけた声が、思いもしなかった変化をもたらした。
 名前を呼ばれた一瞬、ヴィセは顔をこわばらせた。そして一瞬、唇を噛んだと思うと、すぐに表情を作り変えた。無理をして微笑み返したのが分かる。
「……困ったときはお互い様だよ。私も昔、スウちゃん達にはずいぶんお世話になったからね」
 なんてことないと小さく首を振るヴィセは、いつも通りの気楽な笑顔。けれど注意して見れば、その顔色は蒼白で、額には脂汗がじっとりと浮かんでいる。
 スウはそんな彼を不思議そうに見詰めていたが、やがて合点がいった。
 彼は魔法世界の住人。
 それはつまり、その身に飛翔炎を宿しているということだ。
 飛翔炎とは人に宿ることで魔法を使う能力を与え、また空気中に漂って魔力を振りまくものだった。魔法世界はこれがあるために魔法があり、この世界には飛翔炎がないために魔法が存在しない。
「ヴィセさん、もしかして……」
 うっかりまた名前を呼んで、慌てて口を閉ざす。
 彼に向けて言葉を発してはいけない。
 スウの紡ぐ言葉は、全て宿詞なのだから。
 宿詞とは、相手の飛翔炎に働きかけて言うことをきかせたり、魔力に働きかけて色々な事象を起こすことができる、特殊な魔法。もちろん、飛翔炎も魔力もないこの世界では安全だが、彼だけはそうもいかない。下手に話しかければ、彼は宿詞の虜となってしまうだろう。事実、スウは異世界で大切な相手を声に依存させてしまっていた。
「スーウーちゃーんっ、さ、こっち来ましょ。アイちゃんがいいことしてあげるぅー」
 アイがするりとスウの腕を取り、家の中へと引っ張り込んだ。怪しい笑みを浮かべる少女は、絶対に悪巧みをしている。
 手を引かれながら振り返ると、ヴィセは青い顔をして戸口に佇んでいた。口元が弱々しく「大丈夫」と動いた。
 アイに引かれるまま、室内を横切る。
 されるがままにしていると、大きな鏡の前へ立たされた。鏡台には各種のメイク用品が並んでいて、なにやらごちゃごちゃしている。片隅に乗っているのは、アイご自慢のアクセサリーボックスだろう。スパンコールやビーズで飾り立てられた、手作りの逸品。
 鏡に映った自分の姿に、心臓が軋んだ。
 真っ直ぐな長髪は完璧な純白。洗剤のCMに出てくるタオルぐらい白い。
 特別意識せずにきたが、この髪色こそが全ての原因だった。
 白の賢者。宿詞の能力を与える白の飛翔炎に、スウは宿られている。
 呼び覚まされた感傷に表情を険しくするスウに気付かず、アイはコットンに化粧水を振り掛けた。
「さてと。まずはその眉ナシをなんとかするわよ! ほら、顔貸して。アイちゃんパワーでメークアーップ!」
「わ。あ、アイ……ちょっ」
 ぺたぺたというより、ベシベシとコットンをはたくアイ。顔の位置がずれるほどの力の込め方からして、まださっきの憤りを引きずっている。
 無理に喋ろうとして口に化粧水が入ってきたので、スウは慌てて黙り込んだ。口の中が苦い。ここで更にファンデーションまで食べさせられたくはないので、おとなしく従うことにする。こういう時のアイには何を言っても無駄だ。
「丁度知り合いのメイクさんにお古のメイクボックス一式貰ったんだー。やーん、スウ、色白ーいっ」
 アイはすっかりご機嫌だ。鼻歌混じりにパフをはたいて、ずらりと並んだカラフルなアイカラーや口紅を楽しそうに見比べている。どれがスウに似合うか頭の中でシミュレーションしているんだろう。
「やっぱ眉はブラウンかな。他が白いから、黒は合わないし」
 内心アイの方が色白だと思いながら、スウは黙ってされるがままにしていた。触らぬアイに祟りなし。
「アイ、私はまだ仕事が残っているから部屋に戻るよ。いいね」
 そこへ、スウの荷物をリビングの片隅に置きながら、ヴィセが声をかけてきた。
 丁度アイラインを引かれていたスウは、視界の端で彼を捉えた。今も心なしか顔色が悪い。
 玄関から荷物を運ぶだけなら、これだけ時間がかかるはずがない。やはり、スウの宿詞が彼に悪影響を及ぼしているのだろうか。
「はーい。あ、こらスウこっち向いて」
 アイに顔をがっちりと掴まえられながら、スウは胸の奥に硬いしこりがあることに気付いた。
 重く、硬く、暗い塊が。
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