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六章   解放という名の


「ねえ。いいの、こんなとこに入って。怒られるよ?」
 デュノが戸惑い半分に問いかけると、レゼは戸棚の下を漁りながら気楽に返してきた。
「大丈夫、大丈夫。親父の部屋なんて今更誰も気にしねぇよ」
 次に兄は納戸に潜り込み、ごそごそと物音を立てた。続いて盛大なくしゃみを一つ。埃が煙となって奥から流れ出してきた。
「絶対、城の蔵書を探した方がいいってば。ねぇ」
「無駄無駄。秘蔵書を見るためにはおっそろしい量の手続きと審査を受けたうえ、一冊につき半年待ちだぞ? 自由閲覧の棚は俺が読破してるけど、白の賢者や森の結界については一切触れられてなかったし」
 あそこの司書、本の扱いにうるさいんだよと、兄は愚痴をこぼした。
 本棚を眺めて適当に聞き流していたデュノだが、数秒の後に眉根を寄せて納戸の方を向く。
「読破って、冗談だよね?」
 レゼのことだ、各棚から一冊ずつとでも言うのだろうと予測していたが、返事は板の外れる音と歓声だった。
「やりぃ。こんな分かり易い場所に隠すなんざ、親父も素人だな」
「うわっ、本当にあった! 十冊以上あるよ」
 納戸の奥から見付かったのは、父の日記群。黄ばんで古びた様子からろくな扱いを受けてこなかったようだ。単純に古いというのもあるだろうが。
 得意満面のレゼがこちらを向いて手招きした。
 デュノも納戸へ潜り込み、兄の手元の一冊を覗き込む。暗くて文字が読めない。
『わら、きぎやけをつむしん』
 レゼが指を鳴らして言葉を放つと、空中に小さな明かりが灯った。
 人が魔法を使うと周囲の空気に含まれる魔力が消え、一時的に意思の疎通ができなくなる。デュノとレゼは同じ古アーゼン語を話すが、それ以外の言語を話す相手には何を言っているか分からないだろう。同じ民族でも方言の違いが激しくて、何の魔法を使ったか分からない時が多々ある。
 見付からないようにとの配慮もあるだろうが、デュノはレゼが照明を使わなかったことが嬉しかった。
「きったねぇ字。お前そっくりだな」
「そんなことないってば」
 揺らぐ明かりの下で文字を追う。だが、二人は始めの数行を読んですぐに後悔した。
「……うわー」
 眉をひそめる様が、おそらく同じ。
「『銀糸の髪が額にかかる様など、芸術を知る細工師が見たらばどれほど嘆くことか。人の手では決して届かぬ美しさが彼女を……』うへぇ、鳥肌がー!」
 わざわざ音読して全身をかきむしるレゼ。ならば読まなければよいものを。
 父の日記は内容のほぼ八割が母を褒め称える言葉で埋め尽くされていた。どれだけ頁をめくっても母、母、母。よくもまあこんなに語彙があるものだと感心する反面、直視できない何かがある。父よ。
「ごめんなさい父上! 俺もう二度と人様の日記を盗み見たりしませんから!! ってか何の呪いだ。嫌がらせか!?」
「さすが父さん……母さん命」
 忘れていたが、父は無類の愛妻家だった。暇さえあれば母について歩いて、しばしば裏拳を食らっていたものだ。なるほど、ここまでくれば殴られても文句は言えまい。あの母相手では尚更のこと。会わないうちに、父親に対する偏見がすっぽり抜け落ちていたらしい。
 見るも無残な結婚後の日記は置いておき、もっと古い物を選ぶ。
「あ! あった」
 そう期待せず頁をめくると、意外にも文頭に『不入の森』の文字を見つけた。この頃は文章もまともだ。だが、虫食いと染みで半分近くが読めない。
「『れ、れおなるど? の言うには、彼は異なる……で、父は……を出すことを認めず…………彼は六十年もの間……に閉じ……』これ、スウの前の賢者のことだ!」
「まじかよ。何か、宿詞以外に結界を解く方法らしいものは載ってないか?」
 ほとんど読み飛ばすようにして頁をめくる。
 父も様々な方法を試していたようだ。それを先王に諌められ、ずいぶん苦労したらしい。
 数枚の頁が一緒にめくれた後、乱暴に書き殴られた文字を見て、デュノは肩を落とした。
「ない。これを見て」
 デュノの示した先には数枚の頁が破られた後と、『れおんが死んだ。もはや、こんなものは意味がない』の文字。
 だが、落胆するデュノとは対称的にレゼは疑い深く呟く。
「でもさ。こんなものって、宿詞じゃないか」
 手前の頁を確認しながらデュノが応える。
「ううん。父さんはこの時十四才で、宿詞を習い始めたばかりみたい。前の部分で、いつまで経っても覚えられないから、別の方法を探してる。このお爺さん、死ぬ前に外の世界が見てみたかったんだって」
「それはそれは……。なるほど、親父が宿詞を習得したのは十六の時のはず。計算が合うな」
 デュノは破られた部分を指先でなぞり、悔しさを言葉尻に乗せた。
「きっと、この破られた頁に方法が載ってたんだ。せっかく見付けたのに。……燃やされちゃったのかな」
「あるいは隠されたか、だな」
 レゼは納戸から出て背中を伸ばした。デュノも本を手に納戸を出る。
「母さんなら知ってるかもしれないが……」
「どうかな。母さんの性格からして、知ってたらスウのことを放っておかないと思うよ」
 母は厳格だが理不尽を嫌う。王室の悪習を一刀両断にした、伝説の武妃なのだから。デュノのことだって、もしデュノが普通の魔力を持っていたなら、成人後だろうと神殿へ渡したりしなかっただろう。外交で近場にいないことが悔やまれてならない。
「まあ、その前に白の賢者を出そうとしたら、王子だろうと王妃だろうと監禁ものだ。お前、こっちに来てまで閉じ込められたくないだろ」
「うそ。なんでそこまで……。スウは何も悪くないのに」
「さあな。なにか意味があるんだろうが」
 レゼは首を鳴らしつつ肩を回す。遠い目をして窓に映る夕焼けを見た。
「もう得られるものはなさそうだな」
 結局手掛かりと言えるものは掴めなかった。
 決定的な何かが足りない。その先を知るにはこの本は十分価値があったのだろう。でも、今はただの日記帳だ。
 デュノも本を片手に納戸を出て、溜息混じりに呟いた。
「もう十日もスウに会ってない。元気にしてるかな。早くスウの声が聞きたいよ」
 部屋を出ようとして、レゼが固まったように動かないことに気付く。呆けたように窓の向こうを凝視している。
「……レゼ?」
 声をかけても前を見詰めたまま、兄はゆっくりと窓を指差した。
「なあ。森、燃えてねぇ?」
 明々と燃える夕日に紛れて、不入の森が炎を上げている。
 それがどういうことだか、すぐには理解できなかった。
 魔法の使えないデュノは稀に自力で火を起こさなくてはならない時がある。かつて一度、失敗して手を火傷した。とても熱くて、いつまでも痛かった。それからは召使いに任せている。
「スウが」
 火は人を傷つける。
「ああ、早くしないと助からない。ちくしょう、今まで火事なんか起きなかったぞ」
 兄はまたもデュノを小脇に抱え、窓から飛び降りた。
 目も開けられないほどの風圧の中で思い出す。
 自分だ。自分が着火器具を彼女に渡した。あの、雨の中で。
『きざゆ』
 二人は地面近くで減速し、兄はふわりと着地した。そのすぐ脇を兵士達が駆け抜けていく。
 皆、慌てて魔法を使いながらも火を消している様子はない。むしろ城の方へ水をかけている。一部など、野次馬気味に首を傾げて森を見上げていた。
「あにやってんだ! さっさと消火しろ!」
 レゼが吼えた。
「無理言わないで下さいよ。せいぜい飛び火を防ぐのが関の山ですってば」
「そうですよ、山火事は逆から燃やしたりしますけど、ここじゃできませんし」
 水は結界を通ることができるが、ここらの兵士では今燃えている森の奥まで水が届かないと言う。周りから届く範囲まで水をかけたけれど、人が入れないからには範囲も知れている。そもそもあの森に人はいないのだから、そう焦る必要もないと。
「あの森にはなぁ!」
「だって私らの魔力じゃ無理なんですよぅ!」
 兄は兵士に掴みかかって睨みつけたが、そこから先を言わず、手を離して冷静な顔になる。
「王属魔法士を呼べ。多少魔力の秀でたやつなら誰でもいい。森を消火させるんだ」
 言い終えるやいなや、レゼの奥歯がぎしりと音をたてた。
 普通、王族は市民の数十倍と言われる魔力を持つ。
 けれどデュノはそれを上回る魔力を持ちながら魔法が使えない。そして双子の兄であるレゼはかろうじて魔法が使えるものの、せいぜい一般市民と同等程度。王族とは思えないほど魔力が低い。
 宿詞が使えるようになれば、そんな差はたいしたことではなかっただろう。しかし父は消えた。宿詞は失われた。
 自分の無力を噛み締めていたのは、デュノだけではなかったのかもしれない。
「デュノ、お前はここにいろ。俺は偏屈どもをしばいてくるから」
 王属の魔法専門家は非協力的な者が多いという。腰の重い彼らを説得することが、今のレゼにできること。
 兵達に指示を下しながら走っていく兄。その背を無言で見送った後、デュノは近くの兵に声を掛けた。
「ねぇ。森の端まで来れば、魔法で水が届く?」
「え? そりゃまあ、水は結界に邪魔されませんからねぇ」
「わかった」
 森へ向かって走り出そうとしたデュノを慌てて兵が止める。
「わわわ、なに近付いてんですかデュノ殿下! 結界で入れないとはいえ、火の粉が飛んでくるんです。服に飛び火したらどうするんですか」
「放して! スウが、人がいるんだ!」
「へ? 人?」
 虚を突かれた兵士の手を振り払い、デュノは森へ駆けていった。
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