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 久しぶりの城は、春の彩りに飾られて明るい。
 そこかしこに添えられた花が無機質な内装を適度に崩し、陽光を最大限に活かした間取りと合わさって活気付いている。行き交う人々は皆鮮やかな衣服を身に纏い、特に女性は色とりどりの花々をその身に添えていた。
 神殿では神官は職位によって身に付ける色が決まっている。最高位の白から淡い紫、濃紫となって黒へと近付いていく。それを思えば、ここはなんと色彩に溢れていることか。
 だが、その明るさの半分が照明によるものだとデュノは気付いた。
 煌々と灯る白い炎。デュノの魔力を利用した魔法の灯火だ。
 記憶の中の城は採光の加減からか、昼でも部屋によっては薄暗かった。魔法で好きな時に明りの灯せる普通の人々と違い、デュノはいつも携帯用の明りを持っていなければならなかった。今でもそうだ。ただ、神殿は城よりも採光が良く、昼間なら必要ない。
 そんなデュノの感慨を、駆け寄ってきた官僚がぶち壊した。
「殿下ー! やっと見つけましたよ。さあさあ年貢の納め時です! この書類に著名してください。じゃないと私の仕事が進みません」
「後でな。つか、王子に年貢っておかしいだろ。あ、そうだ。こいつの外出許可を神殿に出させといてくれ。母さん経由で圧力気味に。俺だけじゃ、ちょっと立場が弱いからさ」
「あ、殿下だ! ちょっと来てくださいよ、今年の戸籍、絶対数字狂ってますって!」
「後で後で。俺、今から司祭様を重要参考人として事情聴取するから」
 とこからともなく湧いてくる官僚達に、デュノは目を丸くした。皆手に手に書類を抱えて、レゼを見るなり部屋から飛び出してくる。デュノが城にいた頃から官僚はたくさんいたが、まるで兄の友人のような接し方には驚きを禁じえない。
「うわ、そちらはデュノ殿下では? 本当によく似てますねー、殿下のちっちゃい頃そっくり。もちろん殿下の方が生意気そうな顔してましたけど」
「そうそう、やんちゃ坊やっていうか、むしろクソガ……わっ、やめましょうよ剣抜くの! 私らは兵士と違って頭脳労働派なんですからぁ」
 デュノも官僚達に頭を下げられたり撫でられたり。気軽に声をかけられる。
 数年の間に城の中も変わったものだ。昔の怠惰な態度が嘘のようだった。
 そういえば、面子もだいぶ違う。レゼが就任して以来、何度か大きな人事異動を行っていたというのは本当だったようだ。兄が正式に政治へ手を出したのは十四歳の時からだから、この三年間でだいぶ配置を変えたらしい。
 レゼは階段を上り、部屋の前で止まる。ぞろぞろと付いてきた官僚らに視線で牽制。
「お前ら、部屋に入ってきたら絶交だからな? それから、一人一重ずつ遮音の魔法かけといてくれよ」
 鼻先で扉を閉められた官僚の、無念の声が届く。
 デュノは肩の荷が下りたような気分で、部屋の中を見渡した。
 そこはかつては自分たちの部屋だった場所。今となってはレックス専用の。
「うわぁ、懐かしい」
 二人分の広さがあるわりに、置かれた物は少ない。机と寝台の他は衣装箪笥と本棚ぐらいだ。綺麗に整頓されていたが、机の上だけは紙類で散らかっている。
 兄はそれらへ目もくれず、壁に近づく。ごく普通の壁に見えたそれをひょいと横へ滑らせて、現れた納戸から折りたたみ式の机と椅子を取り出した。それらをさっと配置して、今度は隣の壁をずらす。そこにあるのは小さな台所。
 お茶と茶菓子を盆に載せてやってきたレゼを、デュノは呆れ半分で見遣った。
「何、改造してるの」
 懐かしさが半減だ。
「ははは。欲しいもん全部取り入れたら、からくり部屋になっちゃってさ。茶一つで召使い呼ぶのも馬鹿らしいだろ。俺、できるだけ使用人は使わない主義なんだ」
「さっきは兵まで連れてきたじゃないか」
「あれは部下。ついでに言えば命令じゃなくて有志な。後で聖女にいびられてもいいから、手伝ってくれるって奴を募ったわけ。神殿に恨み持ってる奴、多いからなぁ」
 レゼはしししと笑って腰掛けた。デュノもそれに続く。
 兄は手馴れた様子で茶を淹れ、茶菓子を口へ放りこんだ。美味しかったらしく、ひとりでなごんでいる。あれだけ慌てていたのに、話を切り出す様子は無い。
「それで……」
 早く戻らねばと声を掛けた時、兄が行儀悪く茶を啜った。遮られた。
 レゼは存分に茶の香を楽しんだ後、言葉だけを投げかけてきた。
「不入の森の入り口にな、女の子がいたんだよ」
 手に持った茶の表面が揺れた。
「それも結界の内側に。なあ、こんな話を知ってるか?」
 レゼはこちらへ目線を投げかけ、わずかに口元を持ち上げる。デュノが硬直したまま視線すら動かせないのを、さぞや楽しんでいるに違いない。
「初代アーゼン国王は如何にして宿詞という『技術』を得たか。お伽話じゃ邪神が王の妹を奪った代償とされているが……あれが嘘だってくらい、お前にも分かるだろう?」
 あまたの神々の一人が地上に降り、美しい娘を奪った。妹との別れを嘆き悲しんだ兄は、その神から全能にも等しい力を与えられたという。
 国王に与えられた力、それが宿詞。長きに渡ってこの地を治め続けた特異能力。
 その宿詞が技術だと。もし真実だとすれば、誰にでも扱えるものだというのか。
「そんな、じゃあ、僕らは何のための王族なのさ」
 宿詞を扱えるのは、国王を除いてアーゼン第一王位継承者のみ。だから、宿詞は血に宿ると考えられている。何百代と続く大前提だ。だからこそ、宿詞を扱えぬ王族は一定の年齢がきたら神殿に身を寄せ、結婚も恋愛もすることなく生涯を終える。次なる宿詞の芽が芽生えぬように。
 それらは外側から見た判断、詭弁だったということか。
「その解釈については俺の中で結論が出てるからいいんだ。胸くそ悪い話だがな。話を続けるぞ。いいか、最初に宿詞を教えたのは“白の賢者”だ。伝承では、不入の森に時折現れる白髪の人物」
 今度こそ茶器を落とした。
「ちょっと待ってよ、じゃあ、スウがその!?」
「やっぱりな。お前が探していたのは、あの森の結界を解く方法だろう」
 ここぞとばかりに詰問を始める兄を、デュノは困り顔で見つめた。
 レゼにはどこまで予測がついているのだろう。もしこれで自分が結界に入れることまで分かっていたら。
 表情だけで見抜かれたらしい。兄は指先で机を拭きつつ、たたみかける。
「あの結界が生き物を通さないのは周知のことだ。だが、俺は声も通さないんじゃないかと思ってる。なあデュノ。靴をあげたのは彼女に頼まれたからなのか?」
 婉曲な質問には誘導の気配があった。
「違うよ、僕が勝手に決めたこと。でもレゼの考えは正しい。僕は不入の森に入れるよ」
 腹の探り合いなんてやりたくもなかった。相手とは生まれる前からの付き合いだ。デュノにある程度レゼの考えが読めるように、レゼにはデュノの考えなんて丸見えなんだろう。人には向き不向きがある。
「昔から入れたんだ。父さんも入れたみたいなんだけど、やっぱり宿詞だったんだと思う。一ヶ月近く前かな、突然スウが森に居て。入れたのに出られないっていうから……」
「『白の賢者を出してはならない』 まあ、お前は知らなくて当然か」
 レゼは独り言じみた口調で頭を掻く。額に巻いた紐に触れ、溜息混じりに頬杖をついた。
 つまり、デュノの行為は禁忌だと言いたいのか。
 ずっと予測のついていたことだ。あれだけたくさんの資料を集めても、白の賢者に関する記述は一つも載っていなかった。隠されていたと考えるのが妥当だ。
「……スウはさ」
 デュノは知らず手を握り締めていた。
「本当に一人ぼっちなんだ。僕が会いに行ける時以外はずっと森で待ってなきゃいけない。寂しくて、頼れる人もいない。僕が会いに行くと表情がぱって明るくなるよ。だから、僕は」
「自由にしてやりたい?」
 言葉の先を摘み取られて、口を閉じる。
「……そうだよ」
「お前なぁ、それは感情論ってやつで」
 呆れを込めて諭される。
 その態度が少年の神経のどこかに触れた。
「レゼは何も知らないでしょう! 置いていかれる寂しさも、待っている時間の長さも、夜が……また、夜がやってくる不安も!」
 突然の強い声に自分でも驚く。
 彼女は何も言わない。ただ礼を述べるだけ。けれどその裏側には様々な願いがこもっている。その隠された言葉が聞こえてしまうのは、自分も同じだからだ。

 また来てほしい。話をしよう。忘れないで。……置いていってしまってもいいから。

 反論がくると思っていたにもかかわらず、兄はそのまま黙り込んだ。
 思いがけない反応に少年は今更後ろめたさを感じる。
 言っても仕方のないことだった。レゼにはレゼの立場があるし、自分のことを理解してもらえるとは思えない。王位継承者として、ここでデュノを止めることは、きっと正しいことなんだろう。
 やがて、レゼがおもむろに口を開いた。
「……そうだな。俺は知らないよ。けどな、分かることだってある」
 兄の声には自嘲と優しさが含まれていた。
 レゼは照れたように視線を外して、また額に手を添える。そこに巻かれたのは色褪せた朱色の紐。元は深紅だったそれは、父が双子を見分けるために兄へ与えた物。
「置いていくのだって辛い。できれば解放してやりたいと、思う」
 思わず顔を上げる。その表情を見て、レゼが苦笑いを浮かべた。
「でもな」
 不意にまじめな顔をして、兄が声を落とす。
 やはり、駄目か。
「俺がいけ好かないのはな。そんな面白そうなことを、お前が俺に黙ってやろうとしてたってことだ」
 レゼはにやりと口元を持ち上げた。



 森の最も暗い場所は奥ではなく、入り口を入ってすぐの場所。円状にぐるりと覆った薄闇の中に、スウはいる。とても長い間立ち尽くしたまま。視線は闇の向こうへ。
 寂しさに堪えきれず、森の端までやってきたのは昼過ぎのことだった。
 当たり前のように立ちはだかった結界に、彼女は思い切り苛立ちをぶつけた。もう、うんざりだった。
 叩いても、押しても蹴っても壁は変わらない。呪いの言葉を吐きながら、痛む腕を叩きつけ続けた。
 気力も尽き果てた時だ。デュノによく似た髪色の青年が現れた。
 藍を深めた衣の内側に、落ち着いた色合いの透ける布を着こんでいる。三重ねくらいになるだろう。白一色のデュノとは違って、全体の調和を保ちながら様々な色をまとめあげていた。デュノは胸元と腰に紐を使っているだけなのに、青年は腕にも数色の紐を巻いていた。頭にも朱色の紐を一本巻いている。腰紐から垂れる水色の布が、日の光に透けて美しい。
 誰でもいい。お願いだから。
「たすけて!!」
 藁にもすがる思いで大声を出したのに、青年は気付かない。声が届いていないのだ。
 もしかしたら自分の姿も見えていないのかもしれない。そう思って諦め掛けた時。
 青年が気付いた。
 意外そうな表情、そのすぐ後の笑った顔が、驚くほどデュノに似ている。違いといえば、デュノの持つ薄い影を一切持ち合わせていないこと。快活そうでいて節度をわきまえた笑顔だ。デュノが以前言っていたお兄さんなのかもしれない。
 不思議なことに、彼の声はこちらへ届いた。デュノとはまったく違う、低めのテノール。
 何も返せないでいるうちに、青年が歩み寄った。
 すらりと高い身長。怖気づきそうになる。あまりにもデュノと違ったから。
「あの……」
 デュノのことを聞きたかった。でも、伝わらないことは分かっていた。
 声が聞き取れなかったせいか、彼が怪訝そうな顔をして手を伸ばす。
 その一瞬の間に、どれだけ強く願っただろう。彼の手がこの壁を通り抜けて、自分に触れてくれたら。デュノと同じように。
 届いて欲しかった。人の温もりに触れたかった。
 けれど、彼は遮られる。
 彼は――デュノ以外は、入れない。触れられない。
 驚いた青年の顔。その目が彼女は異端だと語った。
 分かっていたつもりだった。はっきりと告げられていたのだから。
 デュノ以外の者は入れない。ここに人がいることはない。自分は一生“出られない”。
 事実を叩きつけられて、全身が痺れているみたいだ。時間の感覚も分からない。
 ぎこちなく首を動かした先の、先人の遺体に目を止める。
 干乾びた白骨。
 初めて見た時は恐怖で震えが止まらなかった。自分もこのままこうなるのかと、暗い闇に怯えた。朝が来るのが怖かった。
 でも、今はもう親しみさえ覚える。恐れることは、ない。
 彼らこそ――彼女の属する者達なのだから。
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