BACK//TOP//NEXT
五章   白の賢者達


「ふざけるな。こっちは正式な手続きを十日もかけてこなしてきたんだぞ」
 青年の態度からは十分な怒気が発せられている。
 凄みを帯びた声色に、相対する神官らはうろたえきっていた。
「ですから、司祭様には誰も会わせるなとのご命令でして」
「確かにあいつは神殿に所属している。だがな。いつ、どこで誰に会うかまで左右される必要はないはずだ。一日中部屋に閉じ込めて、これではまるで監禁じゃないか!」
「しかし、聖女様が……」
 困りきった神官の一人がついにその名を持ち出した。
 レゼは奥歯を噛み締めて、咽を駆け上がる罵倒を抑え込む。何が聖女だ。そう言えば済むと思っているのか? 馬鹿を言え。神に仕える神殿の長たる者が子供を監禁しているというのに、貴様らはそれが当たり前だとでも言いたいのか。
「……今日のところはこれにて失礼する。だが、もし次もと言うのなら」
 腰に差した刃へ手をかける。
「容赦はしない」
 神官たちが息を飲んで身を引いた。引き攣った面々から、自分が今どんな視線を投げかけているのか、容易に想像できる。
 完全な八つ当たりだった。そもそも、こんな装飾華美のなまくらでは、腕一つ落とせないだろう。
 彼は神殿の表から外へ出ると、すぐさま裏手へ回る。人に見付からぬよう壁際を擦り抜けていく。風通しを一番に考えられた作りは死角が少ない。だが、構造さえ知っていれば付け入る隙はいくらでもある。
 レゼは短く息をつき、壁に手をついて豪奢な神殿の外観を眺めやった。
 計算し尽くされた配置が壮観な趣をもたらす柱。名匠が一生をかけて彫ったという装飾。この国独特の文化である木造建築だが、白い塗装を念入りに加えられ、白磁と間違う程になめらかな手触りだ。
 弟の部屋がある離れの窓へ辿り着き、覗き込む。窓は閉められていたが、窓といっても透紗と呼ばれる薄い布を下げるだけ。薄い色をつけた布は、その名の通り風と視界を遮らない。
 部屋の中に少年の姿はなかった。
 予測通りの結果だ。デュノが閉じ込められているとしたら、あの場所以外ありえない。
 レゼは本殿の屋根の中央を見つめた。他の完璧な配置とはまったく無関係に置かれた半円状の硝子。建造当初からのものではなく、八年前に聖女が特別な計らいで作らせた。
 あの部屋の名は、月下の間。
 レゼは藍色の双眸を細めてその場所を見据えた。胸の内を誰にも悟らせまいとするように、そのまま閉じる。
「どうする」
 身を翻した表情は、苦い影を落としていた。
 あの場所に潜り込むことはまず不可能。下手に手を出せばこちらの立場が悪くなる。女王を経由して書簡を送ろうとも、あの女は歯牙にも掛けまい。ああもういっそのこと……。
 と、その顔が一変して無防備なものになる。
 彼の視線の先には、一人の少女。
 不入の森の入り口に立ち尽くす姿は奇妙に浮いていて、どこか虚ろだ。何より目を引いたのはその長い髪。暗がりだというのに薄ぼんやりと輝いて見える白髪だった。
「月の民? いや、違う」
 月の民とは魔力の特別強い女性のことを指す。銀色の髪を持つ彼女らは、月の女神にあやかりアーゼン国では大切に扱われている。彼女らの強い魔力が宿らんことを願って、国王は必ず月の民と結婚しなければならないという、不条理な習慣まであるほどだ。
 無機質な光を返す月の民と違い、少女の髪は完全な純白だった。一点の曇りもない純白は確かに銀と似ているが、本物の月の民を母親に持つレゼには一目で違いが分かる。
 思わず荒げた声を発しそうになり、彼は相手が女性だと思い直した。
 以前に女性の神官へ応えたように、紳士的な笑顔を浮かべる。
「すみません、神官の方でしょうか。私がここに居たことは、出来れば黙っておいて頂けると嬉しいのですが」
 歩み寄るにつれてはっきりと少女の姿を捉える。純白の髪は真っ直ぐだ。じっとこちらを見詰める瞳は茶を含んだ黒色で、どこか理知的。小顔で細身な体つき。この国の定義でいけば美人の類い。
 彼女は彼を見詰めるばかりで、一切の動きがない。
 まるで人形のようだな、とレゼが思った時、少女の口元が小さく動いた。
「……? 今、なんて?」
 口の動きは確かに音を発したはず。けれど彼の耳には虫の音一つ入ってこない。
 もう一度少女の口が動きを示した。はっきりと見て取れる。
 けれど、それに付随する声は届かない。
「からかっているのですか? ちょっと……」
 レゼは困惑を浮かべたまま、少女の肩に触れようと手を伸ばす。
 華奢な肩に触れ、もっと近くではっきりと声を聞く――つもりだった。
 彼女に触れる寸前で、コツンと指先が遮られた。薄い、硝子のような感触に。
 結界。
「! どうして不入の森にっ?」
 驚愕を隠さなかったことがいけなかったのだろうか。少女はびくりと怯え、身を翻すと森へ向かって駆け出した。
「待て! あんた、どうやって!?」
 結界を拳で叩くも、彼が入れるはずがない。白髪が数度瞬いたのを最後に、少女の姿は森の奥へ紛れる。
 レゼは手を止め、呆然とその場に佇んだ。
「そうか……」
 瞳は森の奥を見詰めたまま。呟きが彼の放心した心情をそのまま表していた。
「不入の森に白い髪……白の賢者。本当に居たのか。――あいつ!」
 顔を上げ、青年は森とは正反対へと駆け出した。



 部屋の中央には大きな寝台が一つ。窓のない壁が三方を固め、正面には蔓草の紋様が繊細に彫りこまれた両開きの扉。きっと几帳面な細工師が作ったのだろう。分厚い扉は寸分の狂いもなく隙間を埋めていた。
 デュノは寝台の上で座り込み、することもなく壁を眺めた。自分の影が映っている。つまり今は午後か。
 天井が硝子張りのこの部屋は、たとえ魔法で温度を調節されていても日中を過ごすのはいささか辛い。今が春でよかった。夏だったらと思うとぞっとする。
 意図せず溜息が漏れた。
 ここへ閉じ込められて十日になる。その間、食事を運びに下級の神官が入って来る以外は、一切外との接触を断たれていた。その神官達でさえ、話し掛けても口も利いてもらえない。スウに事情を教えたくとも、それを伝える人も方法もなかった。
 神官達を恨むつもりはない。彼らは彼らの従うべき優先があるのだろうし、おそらく、聖女に何かしらの弱みを握られているのだろう。デュノの身の回りを世話する者たちは皆、そうだったから。
「スウ、どうしてるだろう」
 心配だった。彼女にはどこか異質な儚さがある。それはか弱さと違い、笑顔でさよならを言って消えてしまいそうな、淡白なものだ。
 もう一度溜息をついて、寝台にうつ伏せになった。
 この部屋の周りでは音がない。耳が痛くなるような沈黙に、嫌でも感覚が鋭くなる。耳鳴りがした。
 いや、人が騒ぐ声だ。遠くて聞き取れないが、数人の神官達が騒ぎ立てている。
 何かを制止する厳しい声が飛ぶ。すぐにそれは足音を含み、大音声となって近付いてくる。
 ただならぬ様子に寝台から跳ね起きたのと、乱雑な金属音が鳴り、扉に刃が突き刺さったのはほぼ同時。
 こじ開けるようにして鍵を壊し、勢いよく扉が開いた。
「デュノ。てめぇ、今すぐ顔を貸せ!」
 飛び込んできた灰色の髪の青年は、少年を確かめると扉を蹴飛ばした。後ろから追いかけてきた神官が扉にぶつかって短い悲鳴をあげる。彼は女性にはまめだが、男には容赦しない。口調も、行動も。
「レゼ!? 何やってるのっ?」
 紛れもなく兄だった。普段目にする略式の装いと違い、動きやすさを重視した簡素な衣服を身に纏っている。あくまで武装ではない。だが、これから剣術の練習でも始めようかという身なりは、神殿という場所に少しも似つかわしくなかった。
 手にした剣は普段腰に携えている飾り刀とちがい、刃渡りが腕の長さもあろうかという大刀。あんなに手荒な扱いを受けたのに、傷一つ付いていない。
「話は後だ。ここじゃろくな会話ができないからな。一応これでも国の最高機密なんでね」
 わけの分からないことを言う。
 レゼはデュノの腕を掴まえて、返事も待たずに引き寄せようとした。相も変わらず強引だ。
「帰るぞ。今すぐ城へ帰るんだ」
「はあ!? 何を言ってるのさ。ね、ちょっと、待ってよ!」
 腕一本で自分を引きずる兄に内心舌を巻きながら、デュノは足を止めた。
「どういうことなの? 説明してよ」
「お前に面会を申し込んだが断られた。だから実力行使に出た。それだけだ」
「嘘言わないでよ。僕は謹慎の身なんだよ? 今、聖女の許可なく城なんかに行ったら!」
「許可なら後で取る。ったく、なんでお前が渋るんだ。このまま無為に閉じ込められていたいって言うのか?」
 そんなはずがあるわけがない。出られるものなら、今すぐ逃げ出したい。だが。
「無為なんかじゃないよ。僕がなくなったら、今日の魔力が供給されないじゃないか。困るでしょ、皆が。僕でも……役に立ってるんだから」
 レゼは手を離し、盛大な溜息をついた。苛立っている。
「お前を苦しめてな。お前のためだと言いながら、お前を搾取してるんだ。そんな奴らの役に立ってやる必要がどこにある」
「それでも、いいよ。だって、僕は」
 自然とうつむく。
「レゼのおまけだもの」
 強制的に顔が横を向いた。視界が反転して、頬が熱い。そういえば耳元で高い音がした。
 左頬に手を添える。痺れている。ああ、叩かれたのか。
 おそるおそる見上げた相手は、無表情。睨みになる一歩手前の視線が自分を捕らえて放さない。自分と同じ作りをしているとは思えないほど強い視線だ。
 いたたまれなくなって、目をそらした。
「……お前、今までそんな風に思ってたのか」
 頷くことはできなかった。押し殺された声がわずかに震えていて、頷いてしまえば今にも爆発してしまいそうだったから。
 それでも、とデュノは思う。
 それでも世界は僕を必要としない。こんな形でしか。
 沈黙が二人の間のごく小さな隙間に生まれた。
 周りの喧騒がいっそう大きく聞こえる。
 外れかけた扉を押しやって、兄と同じく半分武装した城の兵が顔を覗かせた。
 兵まで連れてきたということは、反逆とほぼ同意。正式な武装をさせていないところから、まだ弁明する気はあるようだが、一体、レゼは何を考えている?
「殿下ぁ、早くしてくださいよ。こっちは神官兵とか出てきちゃって大変なんですからね? いくらお濠の結界を強化して一般魔法を封じたからって、こう数が多くっちゃ、私らでもやられちゃいますよう」
「あーうん、頑張れ? 大丈夫だろ、フェイもいないし。俺も今行くから、通路確保しといて」
 さっきの緊迫感はどこへ行ったのか。兄は馴れ馴れしい兵士に気軽く返事を返し、よっこいしょという掛け声と共にデュノを小脇に抱えた。
「ちょっと!? やめてってば、自分で歩けるよ!」
「運動不足のクソガキは黙ってな。それ以上喋ると舌噛むぞ」
 言い終わる前に走り出したレゼ。舌を噛む以前に、そんな状況では喋れない。
 兵達が交戦する廊下を抜ける。剣の鳴り合う音が遠ざかって行く。
 神官を振り切った所で、参拝に訪れた女性にぶつかった。
「おや、申し訳ありません」
 兄はやんわりと女性の手を取り、立ち上がらせる。自分を抱えたまま。
 その悠然とした態度に不可解なものを感じながら、デュノは溜息をついた。
BACK    TOP   NEXT
copyright (c) 2005- 由島こまこ=和多月かい all rights reserved.