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 月光には多くの炎鱗粉、俗に魔力と呼ばれるものが含まれている。
 その光によって体内の魔力を引きずり出す時間。それがデュノにとっての夜だった。
 彼には溢れる魔力を体外へ排出させる能力がない。それがすなわち、魔法が使えないということ。
 魔力はある。でも、使えなければそれは――それは己が身を焼く刃となる。
 普通の者ならば汗や涙、呼吸によって少しずつ、生産された炎鱗粉を流していくことができる。魔法を使うことでも魔力は消費できた。それでも年とともに体内に蓄積された炎鱗粉が、彼らの寿命を縮める。強い魔力を持つ者ほど、より早い老衰を迎えた。
 本来ならデュノは、とうに死んでいる計算になる。
 デュノには強大な魔力があった。もともと王族は魔力が高い。それを上回るほどの力を持ちながら、彼にはその力を扱うことはおろか、排出することもできないのだ。赤子の段階で十年もたぬと言われた。
 万能を意味する宿詞ですら、彼の欠陥を補うことができなかった。
 生き物に宿り、炎鱗粉を精製するものを、飛翔炎という。宿詞は直接飛翔炎に作用し、命令する魔法。人間で、いや、生き物である限り逃れるすべはない。
 だが飛翔炎を持たぬデュノには、宿詞は何の意味も持たない、ただの言葉に過ぎなかった。
 やがて父がいなくなり、神殿の権限が増すと、ある方法が見付かった。
 月光に含まれる特殊な炎鱗粉を使い、体内の魔力を外へ出すという方法だ。
 もともとアーゼン国は月を信仰する国家。なによりそれでデュノの命が助かるというのなら、それに越したことはない。
 王室は彼を手放した。有り体に言えば、王妃から聖女へ引き渡された。
 それから毎晩デュノは力を奪われ、苦しみ喘ぐ。生き延びるために。
 だが、それだけではないということも周知の事実だった。
 神殿はデュノから奪った魔力を利用する技術を編み出し、民間へ普及させた。それによって各個人の力量、魔力量によって左右された生活は、飛躍的な向上を遂げることとなる。手始めに城下の夜道に明かりを灯し、街を守る結界を増強させると、治安の安定が約束された。始めは抵抗があった市民も、利益が確約されれば、それが何であろうとたやすく受け入れる。技術は地方都市へ、辺境へと導入され、今では農村の明り取りですら彼の魔力でまかなわれている。
 もはや彼の存在は公共事業の一環として、なくてはならないものと化していた。王室がむやみに口出しできないのも、事業でもって権威を支えているところがあるからだ。
 だからデュノは、公私ともに苦しむことを要求される。
 月が出ていた。硝子越しに見る三日月は、どこか冷酷。
 雨も曇りも関係ない。月の周りの雲を切り取ることですら、デュノの魔力で行われているのだから。
 この苦しみを、どう例えよう。
 外からくるものではない。月光に反応した魔力が、統率を失って体の中で暴れまわるのだ。高い熱を出した時に似ている。脳味噌が煮立ったように重く、意識が酩酊する。体が熱く、それでいて寒く、かじかんで動かない。動かす気力も湧かない。呼吸ができているのかも分からず、陸に上がった魚のように、必死になって空気を吸い込む。
 丁度、初めてスウの声を聞いた時と同じ。
 それをもっと緩やかにして、長時間続けたようなもの。
 きっと、誰にも理解できない。



 スウは花畑に横たわり、仰向けになって両手を広げる。
 青い空。けれど、ここの空はいつもうっすらと曇っていて、色褪せている。
 横を向けば鈴蘭のような形をした真っ青な花。まるで誰かが寄せ集めたように、この花畑には青い花ばかりが咲いている。今までここに閉じ込められてきた者が手慰みに植えたのかもしれない。自然に作られたとは思えないほど見事な青ばかりだ。濃い薄い入り乱れて咲く様は、息を飲むほどに美しい。
 不意に思いついた歌を口ずさむ。ここへ来る前に街で流行っていた曲だった。

 貴方の言葉が 思いが 存在が
 私の腕を絡め取り 私の足を引き掴む
 けれど手は届かず 小さな傷を刻むだけ

 確かに花は咲いた
 私は手折り 口元に月を浮かべてみせる
 それは嘘 貴方は気付いていたけれど

 歩む道は二重螺旋 巡り巡る二人の影
 差し伸べられた手を 伏し目がちに否定したのは誰
 手折られた花は 花びらを散らせて逃げていった……

 最後の一節を言い終わる前に、視界を白い影が覆う。
 デュノだ。
 酷く疲れた表情をしている。目元には年に似合わない隈があった。
 彼は隣に座り、力なく声をかける。
「僕も……寝転んでいい?」
 頷いてみせると、少年は赤ん坊のように丸まった。低い声で呟く。
「ごめんね、昨日、来れなくて」
「ううん、いいよ」
 雨の日から二日が経っていた。風邪でも引いていないかと心配したのは事実。
「寂しかった?」
「……うん」
「ごめん」
 声に覇気がない。落ちこんでいるようにも受け取れた。
 いけない。彼の重荷になってはいけない。
 スウはデュノの不思議な灰色の髪を梳く。
「デュノにもしなきゃいけないこと、たくさんあるんでしょう。気にしないで、私は」
 目を閉じる。
「大丈夫だから」
 デュノが彼女の腕を掴んで、いっそう体を丸め込んだ。
「……君の声が聞きたかった」
 少年の背に手を回し、そっと撫でると、彼はそのまま寝入ってしまった。
 この温もりが、恋しい。



 夢も見ない眠りだった。落ちるように入りこみ、唐突に浮上する。
 髪を撫でる感触に目を開くと、白の少女が微笑む。
 自らも微笑み返そうとして、彼女の後ろに佇む月影が目に止まった。暗闇にくっきりと浮かび上がる輪郭。夕月ではない。
 とっさに身を起こした。
 以前にも、そう、初めて彼女に会った時もそうだった。あの時は時間に遅れ、人々総出で探されたのだ。もちろん聖女のお咎めも食らった。
 次はない、と。
 狼狽が攻撃となって、目の前の少女へ向かう。
「どうして起こしてくれなかったの!? 僕は!」
 夜を。毎晩。
 だが続きは言えない。
 彼女の驚き、そして深く傷ついた表情を見てしまったから。
 彼は口篭もり、うろたえたまま立ちあがる。
「行かなきゃ」
 走り去った。もう、彼女の顔が見れなかった。
 森はすぐに抜けた。今ならまだ間に合うだろう。すぐに戻って聖女に謝れば、許してもらえるかもしれない。
 けれど、そんな甘い考えが通じるはずもない。
――見付けましたよ」
 底冷えのする声がかかった。
 白亜の神殿を背に、聖女が微笑を浮かべている。その視線の冷たさには見覚えがあった。
 言い訳する時間も置かれず、神官が周りを囲いこむ。薄紫の衣を纏った彼らは、聖女直属の高等神官だ。
 抵抗もしないというのに両腕を取られ、引きずられるように月下の間へ放りこまれる。
 這いつくばった床から立ちあがる頃には、魔力が光となって零れ落ちていく。
 閉められた扉が金属音を発てた。鍵の閉まる音。
 背筋を悪寒が駆け上がった。
「違う! そんなつもりはなかったんだ。僕は、儀式から逃げたかったわけじゃない!」
 扉を叩いて抗議しても、返ってきたのは感情を削ぎ落とされた聖女の言葉。
「悪戯が過ぎましたわね、司祭殿。貴方にはしばらくこの部屋で過ごして頂きましょう」
 やがて少年は立つこともままならなくなり、その場にくず折れる。月光が容赦なく降り注ぎ、彼の体を蝕んでいった。



 その日から、少年は来ない。
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