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スウはデュノのことを何も知らない。 だから彼がどうしていつも昼過ぎにやってくるのかも分からない。何か理由があるのかもしれない。それとも、ただのねぼすけなのかもしれない。 ただ、今日はいつもより遅れていることは分かった。 太陽がとうに真上を過ぎて、森へ掛かろうとしていたからだ。 今日は来ないのだろうか。 何度と思っては否定してきた疑問を繰り返す。 風邪を引いたのかもしれない。病弱そうだから。いや、怪我かもしれない。あんな細い腕、簡単に折れてしまいそうだ。事故にでもあったら……。怖い想像がどんどん膨らんでいく。 首を振って、溜息をついた。 そんなわけがない。今日は何か用事ができたのだ。それが一番現実的だ。 でも、もしデュノが来なくなったら。私、一人。私も……。 妄執にとらわれていたためか、こちらへ駆け寄ってくる白い姿を見て、自分でも驚くぐらい大きな声を出した。 「デュノ!」 その声に逆に驚かされて、デュノが小首を傾げる。 「どうしたの?」 不思議そうな顔で瞬きを数回。 「ううん、なんでもない。えっと、デュノはいつも昼過ぎに来るね」 ただの誤魔化しだったのに、少年は急に表情を曇らせて言葉を濁した。 「ああ、うん……。午前中はいつも寝てるから」 「寝不足? 若いからって夜更かしはダメだよ」 明るく言ってみても彼の表情は暗いまま。 「うん、そうだね。……うん、大丈夫」 違和感を感じて顔色を覗うと、目を合わせる前にデュノが急ににこっと微笑んで、箱を差し出した。 「お菓子を持ってきたよ。今日は兄さんが来ててね、お土産に置いていったんだ」 デュノはスウの隣に座り、膝の上に箱を置いた。 「聞いてくれる? レゼったら酷いんだよ。僕がスウに靴をあげたのを、誰か好きな人ができたと思ってからかうんだ。そんなんじゃないのにね」 「あ、そうか。一応プレゼントだもんね、あれ」 こんな小さな子供でも、他人に女物の贈り物をしたら、やっぱり不思議がられるんだろう。 「自分が女の人にまめだからって、人のことまで首を突っ込まなくたっていいのに。ほんとにもう」 スウは普段不平を述べないデュノが珍しく愚痴をこぼしているのを見て、兄弟仲が良いのだろうと感じ取る。不満を言う様子がどこか許容していた。 「これ、大福だよ。一緒に食べよう?」 デュノが木でできた箱を開けると、中には白い粉をまぶした大福が詰められていた。一つ指先でつまむと、柔らかな弾力が返ってくる。零れる粉を手で受けながら口へ運ぶと、周りの餅がとろけるように伸びた。 と、思いもしなかった酸味に、スウは目をしばたたかせる。 「不味い?」 「ううん、美味しいんだけど、この餡、何?」 無意識に餡子だと思っていたため、不意打ちをくらってしまった。 「レコの花びら。今しか食べられないんだよ」 「へぇ……」 見ると、とろみのある餡に黄色い花びらのようなものが混ざっていた。ジャムみたいだ。甘味と酸味のバランスが絶妙で、仄かに香る果物のような香りが食欲をそそる。 「私の居た場所では、花って食べ物っていうより、見るものかな。場合によるけど」 「え、そうなの? 僕はよく食べるけど……嫌いだった?」 「ううん、私は平気。私の国ではそれが一般的って話で、他の国では食べる所もあるみたいだし」 テレビでカボチャの花の炒め物を見たことがあった。実ならよく食べるけれど、花も食べられるとは、と感心したものだ。それに親戚のおじさんの家で、その辺に生えている雑草を食卓に添えていたという、懐かしい思い出もある。 思い出に浸って大福を食べていると、デュノが好奇心いっぱいの表情で身を乗り出してきた。 「ねえ、スウの居た所って、どんな所? 僕、この国から出たことがないんだ。知りたいな」 大福を口に含んでいたので気付かれなかっただろうが、スウは答えに困っていた。 まさかいきなり、どうもこの世界じゃないみたいなどとは言えない。かといって適当な嘘で誤魔化そうにも、スウはこの世界のことを知らなさ過ぎる。二重三重と嘘を重ねていくうちに、破綻してしまうだろう。 ここは一つ、当たり障りのないことを言っておこう。 「あのね、きっと、すごく遠い所なんだと思う。魔法がなくてね、その代わり科学があるんだけど……分かる?」 あっさり科学と言ってしまったが、この世界の文明はどのくらい発達しているのだろう。魔法が誰でも使えるものなら、科学なんて必要ないのかもしれない。でも、魔法を科学的に研究したりはしないのだろうか。 つらつらと考えてみたが、スウ自身が科学がどういったものなのか分かっていなかったので、思考を中断した。 「へえー、魔法のない国なんてあったんだー。じゃあ、僕でも普通に暮らせるね」 あっさりと信じたデュノ。全幅の信頼をよせる様子に、スウは戸惑いを隠せない。 「え。あ、うん。そうだよ、科学は人を選ばないから」 言いながら嘘だと思った。文明の利器を使用するために素質が要るとしたら、それはそれなりの裕福さを持っていることだろう。科学だって人を選ぶ。けれどそれをデュノに説明することは不可能だった。 胡散臭い知識を植え付けてしまって申し訳ない。そう思って話題を変えようとしたのに、目を輝かせたデュノは乗ってくれなかった。だから結局、スウは世界の有り様に関わらない、ごく身近な話をした。 街に住んでいたこと、両親のこと、親友のこと、恋人のこと。それから何か気付くことはないかと、ここへ来た経緯も話してみたが、デュノはこれといって反応を示さなかった。むしろ恋人の咲坂に関心を示している。 「恋人……へぇ。その人、どんな人?」 「うーん、一言ではちょっと」 「かっこいい?」 瞼に浮かぶ優しい笑顔に、スウは自然と赤くなる。こんな所で、本人も居ないのに、照れてどうするのだろう。 「え、えと……うん。でもね、見た目じゃなくて、彼、優しいから」 しどろもどろになりながら弁解する。もしこんな所をアイに見られたら、からかわれるだけでは済まないものを、デュノはただ感心していて話しやすい。 「へぇー」 「あのね、アイのお父さんに連れて行ってもらって、初めて撮影所に行った時のことなんだけど。私、ちょっと目を離した隙に迷子になっちゃってね。そのままそこで待ってれば良かったのに、色々歩き回っちゃって。そこが何階かも分からなくなっちゃったの。その時、声をかけてくれて、案内してくれたのが咲坂さんだったんだ。どうも自分の予定を押してまで付き合ってくれてたみたいで、すごく感謝してる」 「そっかぁ、すごくいい人なんだね」 「えへへ」 デュノが手放しで誉めるものだから、スウも嬉しくなる。けれど、そのまま咲坂の姿が離れてくれなかった。何度頭の隅に追いやっても、浮かぶのは彼の顔。 これ以上思い出してはいけない。 それを察したのだろうか。デュノは少し声の調子を落としてささやく。 「その人に、会いたい?」 思いやりを含んだ声色に、泣きそうになる。 どうして今、そんなことを聞くの。 会いたい。会って声が聞きたい。抱きしめて欲しい。あの笑顔で微笑んでくれるだけで、どれだけ安心できるだろう。 「そうだね。すごく、会いたいかな」 平静を装ってみても、声の擦れは明らかだった。 だから、無理して笑った。感傷的になって、自分を悲観するのは嫌だった。一人の時ならまだいい。もし彼の前で泣いたら、もう何も耐えきれなくなりそうだ。 「でもきっとアイの方が心配してる。あの子、すごい心配性なんだ。早く安心させてあげないとね」 「きっと帰れるよ。だから、まずはここから出ないと」 デュノは真面目な顔でスウの手を取り、自分の胸に当てた。 「僕が君を出してあげる。絶対。だから、信じて」 それがこの世界流の誓いの示し方だったのかもしれない。けれどスウにはあまりに大仰に感じられて、逆に真実味がなかった。子供同士で将来結婚しようね、と言っているような印象を受ける。 「ありがとう」 だから、ごく自然に笑えた。 その後はどちらともなく噴き出して、二人で笑い合いながら照れた。 |
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