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 デュノの言葉を信じるということは、即ち『ここ』がスウの知る物理的な法則が通用しない世界だと認めることだ。
 花畑の中で、スウは花をもてあそびながら問う。
「ねえデュノ。ここって……どういう所なのかな」
「うん? 不入の森って言ったでしょ。僕以外入れないところだって」
「森の外はどうなってるの」
「外?」
 デュノは視線を四方へ走らせて、丁度自分の右方面を指した。
「こっちには神殿があるよ」
「デュノが来た方? 神殿って、何教? キリスト教?」
 言ってしまってから、ここではスウの常識が通用しないのだと思い出す。
 そしてそれは証明された。
「さぁ。でも、女神トコユメを奉っているよ」
「……へ?」
「トコユメ。月の神様」
 スウは意識して平常心を心がける。
 そう、ここは外国。違う文化風習を持っていて当たり前。当たり前なのだ。
 気を取りなおして、他には何があるのかと聞いた。
 すると彼は反対側を指す。
「こっちには城があるよ」
「お城」
「うん。僕の母さんと、レゼ……ええと、兄さんがいる所」
 指の先を眺めれば、城だと思っていなかったが確かに建造物がある。森の上からわずかにのぞくそれは、石碑をとてつもなく巨大にしたような形をしていて、スウの感覚がついていかない。
「お城にいるなんて、王様みたいね」
 実際は召し使いか何かとして仕えているのだろうと予測をつけた言葉だった。
 けれどデュノは別段どうということもなく、
「父さんがそうだけど?」
と言った。
「え」
 思わず傍らの少年をまじまじと見つめる。
 つまりこの少年、王子ということか。
 ――見知らぬ森で出会ったのは王子様。
 まるでどこぞの少女小説の見出しである。作り話でなら何度となく目にしたパターンだ。
 なんだか体の力が抜けてしまい、スウはそのまま花畑に倒れ込んだ。甘い花の香りが自分を包んでいる。
 少年はスウの反応の意味が取れないらしく、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「? 何か変なこと、言った?」
「ううん。ちょっと疲れちゃって。あ、そうだ。王様ならこの森から出る方法を知ってるんじゃないかな」
 ぱっと上体を起こした。こういうものは偉い人が知っているものだ。
 期待を込めて視線を向けると、デュノは困った顔で考え込んだ。
「確かに父さんなら知ってると思う。ここの結界はウチのご先祖様がかけたものらしいし。何より僕、前に父さんがここに宿詞で入ったの、見たことあるから。宿詞なら絶対に君を出せると思うんだ」
「宿詞って何? 魔法?」
 なんだか不思議な響きがある。
「そうだと思うけど……少し違う。宿詞はアーゼンの国王にしか使えない。言うだけで、なんでも本当になる力のこと」
「そんなことができるの?」
 それこそ魔法だとスウは思った。言ったことがなんでも実現されたなら、国を治めていても不思議ではない。
「じゃあ、その王様に頼んでみたら……」
 この森から出るだけでなく、元の世界にも帰れるかもしれない。
 希望が見えた。
 けれどデュノは首を傾げてうーんと唸り、停止した。目線だけ覗うようにこちらへ向ける。
「父さんは……行方不明」
「えっ!」
 内容よりもあっさりとした言い方に驚く。
 デュノはこれといった表情もなく、淡々と言葉を続けた。
「数年前に隣の国に行って、それっきり」
「それって……」
 とても政治的な犯罪の匂いがする。けれどデュノはスウが言わなくともその説を否定した。
「一応生きてるらしいんだけど、帰ってこないんだよね。父さん、何してるんだろ?」
 国王が死んだ際にすぐ次の王がたてられるよう、王の生死は常に魔法で見張られているという。今でも王の生命反応はあるのだそうだ。
 もちろん隣国が怪しかったが、年単位で交渉しているにも関わらず、隣国は王の行方を知らないという。もちろん交易は凍結。そのせいか隣国では革命が発生し、未だにまともな政権ができていない。もし両国ともまともな状態であったら、戦争は免れなかったとか。
 おかげで王妃と兄が苦労しているのだと、デュノは他人事のように述べた。
「兄さんはまだ宿詞使えないしね。僕もちょっとだけ昔の文献をあたってみたんだけど、この森のことはほとんど載ってなかったんだ」
 肩を竦めて申し訳なさそうにする少年。スウも落胆を隠しきれなかったが、少年に非があるわけでもない。むしろ複雑な家庭環境を吐露させて、悪いように思えてくる。
 それに、彼なりにスウのことを気に掛けてくれていたのだと分かり、嬉しかった。
「ううん、無茶言ってごめんね」
「いいよ。あと他に知りたいことは?」
 促されて考え込む。
 知りたいこと、気になることはたくさんあった。
「それじゃあええと、ここはアーゼンっていう国なんだよね?」
「そう。大陸の真ん中より、ちょっと東の所だよ」
 大陸とはどこの、どういった形の、何という大陸なのか。とっさに聞こうとして思い止まる。そんなことを知っても、当面森から出られないスウには関係ない。もっと実用的なこと、明日の我が身に関わるようなことを知らなければ。
「アーゼン……アーゼン。ねえ、雨は多い国?」
 この四日間、雨が降ったことは一度もない。だからこれまで気に止めずにいたが、ここから出られない以上、スウは常に野宿。雨一つでその日の運命が決まってしまう。
 できれば否定の言葉を、と望んでいたが、残念なことに少年は頷いた。
「うん。すごく多いんじゃないかな。今は春だからそうでもないけど、夏は毎日雨だよ」
 目を閉じて、もう一度花に埋もれる。そうか今は春なのかと思いながら。
 日本では秋だった。確かにここはとても温暖で、秋の気候ではない。春にしたって温かすぎるぐらいだ。日本より南の方なのかもしれない。
 小さく溜息をつく。今日のところはこのくらいにしておこう。これ以上聞いたら、今夜眠れなくなりそうだった。
「えっと、僕、雨具を持ってこようか」
 心配そうに顔をのぞかれて、なんとか笑みを浮かべた。
 デュノはスウのことをどう思っているのだろう。スウが彼に思ったよりも、ずっと世間知らずだと思われているのだろうか。
 そう思って目の奥を探るように見つめたが、少年はいたって気に止めていないようだった。もしかしたら彼が世間知らず過ぎて、常識と比べたりできないのかもしれない。
 スウはふと、彼の顔色が来た時より悪くなっていることに気付いた。
 もともと健康とは程遠いデュノ。昨日のように、どこかが悪くなったのだろうか。
 スウは上体を起こして彼の額に手を当てる。熱はない。
「ねえデュノ、顔色が青いよ。どこか悪いの?」
 デュノはこめかみに手を当てて小さく頷いた。
「あ、うん。ちょっと、頭痛くて」
「辛くない? もう帰る?」
「平気だけど、さっきより痛くなってきたみたい。力が戻ってきてるのかも」
 力? 力が戻って、体調が悪くなる?
 デュノは少しの間思案していたようだったが、やがて立ち上がり、帰って行った。
 名残惜しげに振り返る少年を、少女は最後まで見送っていた。



 月が出ていた。仄かな雲に囲まれながら、周囲をくっきりと切り取って、煌々と輝いている。
 そのかすかな月光が、少年の身を蝕む。
 苦しかった。替えられるのならば、いっそ痛みの方がいい。気絶してしまえるから。
 月の光を受けるたび、少年の体から光りの粒子が零れていく。
 生きる力を引きずり出され、体が必死の抵抗を示す。それもまた少年を苦しめた。
 混濁していく意識の中、遠く響く少女の声。
 ―― デュノ。
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