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十一章   宵祭


 トコユメの大祭は日が沈むのを待って行われる。
 空の赤みが消える頃には月が輪郭をはっきりと現し、神殿から長く続く大通りに炎が灯り始める。緩やかに蛇行する二つの炎のラインは、まるで竜が山を登っているようだった。
「今日は神殿側に人が集まってるからな。くれぐれも、迷子になるなよ」
 先頭に立つレゼが、くるりとこちらを振り向いた。
 彼は木製の仮面をつけている。平らな表面は真っ直ぐで、お面というより板切れを顔に貼り付けているように見える。この祭りでは参加者全員がこの面を付けるらしい。 
 スウも付けるようにと渡された仮面も、彼と全く同じ作りだ。分厚い仮面の表面は平らで、内側は目鼻立ちを意識して深くえぐれている。丁度こめかみの辺りではさむような構造になっていて、上から紐や布を巻きつけておくそうだ。この構造、絶対頭痛がする。賭けてもいいとスウは思った。
 見渡せば、周りの人も全て板の顔。松明の明かりに照らされて、不気味に浮かび上がっている。幻想的というより、シュールな光景だ。
「なんだ坊主、面をつけてないのか。女神様にとって食われても知らないぞ」
 見知らぬ他人がデュノの頭を小突き、笑いながらすれ違っていった。仮面で顔が見えないため、せいぜい男性と分かるぐらい。少年が高貴な身なりをしていることを知っていながら、気軽な態度だ。
 隣を歩くデュノは息苦しいと仮面を付けていない。代わりに、初めて逢ったときに身に付けていた大きなヴェールを身に付けていた。透紗で緻密に織り込まれたそれは、月光をほどよく遮断し、かつ視界を遮らない。無害だと分かっていても、あまり月の光を浴びたくないのだろう。
 少年はびっくりして頭を押さえ、瞬きを二回。それから、秘密を打ち明ける子供のように目を輝かせて彼女へささやいた。
「叩かれちゃった」
 ――怒られたわけじゃないよ。
 顔を見合わせて笑い合い、手を繋ぎ直す。
 宵闇の中で、少年は驚くほど生き生きとしていた。
 少年だけではない。街全体が活気を帯び、こんなに人が居たのかというくらい人間でごった返している。祭りの華やかな装飾と松明の明かり、常に流れる不思議な音楽が人々を高揚させていた。仮面をつけるという匿名性も、彼らに日常を忘れさせるのかもしれない。
「あ、殿下だ。こんばんはー。おや、これはこれは、デュノ殿下もご一緒に」
 松明の下で火の番をしていたレゼの知り合いが声をかけてきた。銀の鎧から察するに、城から派遣された兵の一人だろう。
「ちょっと殿下、あ、レゼ殿下の方ですが。警備の数が足りてませんよー! 私、朝まで交代無しなんですよ。明らかに人員不足ですよう!」
「そんなにいらんだろ」
「ってか殿下達、手薄すぎですよ! 護衛の一人もいないじゃないですか。もうちょっと緊張感持ってくださいってば」
 泣きつく火の番にレゼはカラカラと笑ってみせた。
「だーいじょうぶだって、俺がいるんだからさ。剣ならフェイの次に強いんだぞ?」
 その自信が逆にスウを心配にさせる。大丈夫なのかこの王子。
 そこへ丁度スウと同じ年頃の女の子がこちらへ駆けてきた。仮面で顔は分からない。肩口までの真っ直ぐな髪は青みを帯びた暗めの色合いで、赤い炎に照らされて黒っぽく見えた。握り締めた手の中に小さな白い花を持っている。
 いきなり、彼女がつんのめってデュノにぶつかった。薄緋の装束が軽やかに舞う。
「わっ」
「きゃっ」
 よろける少年はスウが辛うじて受け止めたものの、少女はそのまま前へつんのめり、顔から地面へ。
「大丈夫ですか、お嬢さん?」
 レゼがその腕を絡め取るように引き、少女が転ぶ前に腕の中へ納めた。見事な反射神経だ。
 一瞬、誰だと思ったのは、普段の彼を見慣れすぎていたからだろう。レゼは年齢を問わず、女性なら誰でも最上級の敬意でもって接する。スウに対してはその限りではないが、今でもたまになりかけて修正している。
 端正な笑みを浮かべる青年に、炎が強いコントラストを付けていた。
 スウには少女が一瞬で硬直したのが手に取るように分かった。確実に照れて、小さくなっている。誰だっていきなりあんな態度をとられれば、びっくりしてまともな判断ができなくなるものだ。
「あの、その……」
「落としましたよ」
 彼は少女を立たせると、身をかがめて足元に落ちた物を拾う。少女が手にしていた白い花だ。
「貴方のような愛らしい方にこの花を渡された相手は、きっと幸せ者でしょうね。どうぞ」
 彼は滑らかなしぐさで花を渡す。一切の感情を見せない、張り付いたような微笑み。
 今までそれほど気にしたことはなかったが、今日はやけに彼の態度が鼻につく。何気ない仕草があまりにも完璧で、それが逆に違和感を醸しだしていた。
 おそらく、フェイの態度を見慣れてしまっているからだろう。同じ丁寧さでも、フェイのものとは本質的に何かが違った。フェイは単純に礼節を示しているのに対し、レゼはまったく別の物を意図しているように思える。
 少女はそのままじっとしていたが、小さく礼を告げると、いてもたってもいられないというように後ずさり、ウサギが逃げるように去っていった。
「レゼ」
 責めるような声はデュノ。
「や、ああするのが一番手っ取り早いんだ。アーゼン女性には、な」
 レゼは肩をすくめ、勝手に歩き始めてしまう。
 その後を追いかけながら、デュノが不機嫌に呟いた。
「……あの子、白い花を持ってたでしょ。大祭の夜にあの花を好きな人に渡すと、告白の意味になるんだよ」
 ――へぇ、バレンタインみたい。
「あの子、一直線にレゼに向かってた。たぶん……」
 少年はそこで言葉を区切り、哀れむような溜息をついた。
「レゼのバカ。あんな風に身分の差をひけらかさなくてもいいのに」
 その言葉で、スウはやっと気付いた。
 敬意はときとして距離になる。
 レゼのあの態度は、女性への牽制だ。
 『貴女と自分ではこれほどまでに違う。はなから住む世界が違うのだから』
 それを明確に、しかも相手の立場を尊重しつつ伝える最良の手段というわけか。
 スウはしばらく青年の背を見詰めていたが、それも仕方がないと思い直した。
 王位継承者は月の民としか結婚できないという。ならば、始めから悲劇の種は摘まなくてはならない。
 それに、と、ある考えが頭をよぎった。
 彼の知る最も身近な女性は女王であり、聖女だ。あの二人と接し続けてきて、どうして女好きになれようか。本当はむしろその逆で。
 歪んだ拒絶反応なのではないか。
 そう思うと、やっぱりスウも溜息をつくほかなくなってしまった。
 彼が自分に対してフランクなのは、スウが話せないからだろう。女性が最も得意とする攻撃が、スウにはできない。
 それに、レゼは始めから自分の性格を見抜いていたように思う。異性に対する観察眼が高いのだとは思っていたが、まさか逆の意味だったとは。
 少しだけ傷ついた気分になる。別に彼が悪いというわけではないのだけれど。きっと、色んなものが複雑に絡み合った結果なんだろう。
 でもやっぱり、あの女の子は可哀想だ。



 くれぐれも迷子になるなよ、と言われたはずだった。
 すでに一度、昼間の城下ではぐれたことのあるスウは、その時もう二度とすまいと心に誓ったものだ。
 なのに、一瞬目と手を放した隙に、二人ともいなくなっていた。
 ――……隠れて驚かそうとしてる、とか……。
 確率の低い予測を呟いて辺りを見回す。
 人の数ならあの時の数倍はいる。夜目にも目立つ派手な装束を身にまとった二人組みだ。誰かに聞けば、必ず答えが返ってくるだろう。
 聞くことができるならば。
 いやな記憶がよみがえった。
 フェイと二人で出かけたときのアーゼン人の無頓着さから考えて、こんな場所で女の子が黙って歩いていても、誰も迷子とは思うまい。
 ――どうしよう。
 一瞬、絶望的な気分になる。
 しかし、これが二度目の余裕だろうか。思考停止だけは免れて、とにもかくにも神殿に戻りさえすればいいのだと思いついた。神殿ではフェイが警備をしているはずだ。彼ならなんとかしてくれるだろう。
 そう。戻られさえすれば。
 彼女は今、大通りから外れて、入り組んだ路地のどこかにいた。ここがどこか。それが問題だ。
 街のことなら俺に任せろとばかりに進んでいくレゼを、疑いもせず付いてきたのが愚かだった。せめて方角だけでも把握しておけば……。
 でも、自分でどうにかしなければ。
 意思を奮い立たせて、あたりをむやみに見渡す。
 花売りらしき男性と、ばっちりと目が合った。
 ターゲット、ロックオン。おじさんの輝く瞳がそう言っていた。
「おや嬢ちゃん、お花はいかがかな? これさえ渡せばどんな野郎でもイチコロよ。大祭の恋は一夜限りたぁ言うがね」
 愛想のよい笑みを浮かべて先程の白い花を籠差し出される。
「さあ買った買った! 今なら安いよ半額だよー!」
 まるでどこかの八百屋さんだ。
 スウは慌てて首を振り、花篭を押し戻す。しかしおじさんも負けてはいない。
「いやいやそう言わずに。お祭りなんだからさぁ、細かいこたぁ気にしない気にしない!」
 気にするもなにも、先立つ物が無い。
 しかし、スウの戸惑いをよそに、周りの人まではやしたて始める。
「買っちゃえ買っちゃえ!」
「若いうちだけよー? そういうのって」
「ほら、好きな人の一人や二人ぐらいいるんでしょ? 勇気出して!」
 どうも、片思いの相手に告白する勇気がないと思われたようだ。通りすがりの人まで肩を叩いていく始末。
「買ーえ! 買ーえ!」
 仕舞いには買えコール。こんな応援、いらない。
 ぽかんと傍らを見れば、すぐ近くでも若い女の子が囲まれていて、贈れ贈れコールが起こっている。
 なんなんだこのテンション。誰も彼も、酔っ払ったように浮かれてしまっている。街の雰囲気自体がこの前と全然違った。
 た、助けてください。誰でもいいから。
 無性に泣きたくなって、なぜだか『フェイさーん』と心の中で叫んだ。今、一番助けになりそうな人だと思った。
「アンタ、こんなとこで何してんだ?」
 コールの合間に、聞き覚えのある呆れ声がかかった。
 人ごみを分けて現れたのは、以前街で会った緑毛の青年。あいかわらず頭にターバンを巻いていたため、仮面をしていても気付くことができた。
「ちょっとこっち。ああ、この子、いらないってさ」
 しっしと犬を追い払うような仕草で民衆を追い払う。
 巻き起こるブーイングに耳を塞ぐスウ。
「今日はフェイと一緒じゃないのか。ふうん、仕事かね。祭りの日のアーゼン人は頭おかしいから、アンタも気をつけた方がいいよ」
 自分もアーゼン人のくせに妙に冷めた物言いをして、青年がスウの腕を掴んだ。抵抗する間もなく引っ張られ、いっそう細い路地裏へと連れ込まれる。
 途端に人気がなくなって、スウは身を硬くした。
「アンタ、弟殿下と仲良いんだって? 人様のものに手を出す趣味はないさ」
 緊張したのがばれたのだろう。青年は鼻で笑って、どんどん歩いていく。
「手、握ってただろ。匂いがする」
 それきり何も言わない。
 彼は分かれ道を二回曲がり、大通り近くの通路へ出た。通りからわずかに松明の明かりが差し込むだけの、薄暗い道だ。
 スウが気付くよりも早く、白くぼやけたものが駆け寄ってきた。デュノだ。真っ白なヴェールをすっぽり被った少年は、暗い場所で見ると亡霊のように霞んでいる。
 辺りを見渡したが、レゼはいない。はぐれてしまったようだ。
「スウ! どうしてここに。……この人誰?」
 少年は傍らに着くやいなや、手を取って身を寄せる。
 ――ええと、フェイさんの友達で。
 名前を聞いてもらおうと振り返ったが、青年は影も形もなかった。暗い道はたくさんの分かれ道に続いていて、その先は月明かりすら届かない暗闇だ。
 改めて気付く。彼には気配や足音がない。
 どことなく薄ら寒い心地がして、デュノの手を握りしめる。少年の手は少し冷たくて、それが心地良い。
 『手、握ってただろ』
 緑毛の言葉が蘇る。
 珍しいものを見た、と亡者のおばあさんは言っていた。何者なのだろう。
 ――ここ、暗いね。通りに出よう?
 あたりを漂う薄闇すら気味悪くなり、スウが少年の手を引いた。
 二つ返事でついてくると信じていたその手が、指先からするりと抜ける。
 カチャンと金属の落ちる音がした。
 ――え?
 振り返った先に映った光景が、信じられなかった。
 デュノが、闇に食われている。
 違う。少年の後ろから真っ黒な影が掴みかかり、その口元を封じていた。
 影は辛うじて人だと分かるものの、全身漆黒の装束は闇に溶けかかって、どこまでが人なのかも分からない。闇色の細い布を幾重にも顔に巻きつけた様は、明るい場所で見れば滑稽なものだっただろう。けれど、スウにはそれが墓場から蘇ったミイラの成れの果てに思えた。
 悲鳴をあげたはずだが、それすらも闇に霧散する。
 影は人を抱えているとは思えないほど軽やかに引き下がり、一瞬の間に闇の中へ逃げ込む。少年の白いヴェールがたなびいて、暗闇へ滲んだ。
「誘拐だ! 追え!」
 刹那、張りのある声が鋭く響き渡り、スウの両脇を一斉に兵が駆けていく。
 あっけにとられる彼女を置いて、兵らの持つ赤い松明が離れていった。
「……なんで居るんだよ。あいつら、何やってんだ」
 呆れ声にはわずかな安堵と悪態が含まれていた。大通りからこちらを見詰めているのは、灰髪の青年。お面をとったその顔は、皮肉げな笑みに歪んでいた。
「危うくご破算になるとこだった。ちょっと誰か、この子を保護してやってくれないか。俺は神殿へ向かう」
「ちょっと待ってください、殿下! それじゃあこっちが手薄になっちゃいますよう!」
 部下の懇願を冷静に却下して、レゼは他の部下に指示を飛ばしている。
 反論しても無駄だと悟ったのか、部下がスウの腕を取り、なぜか謝り謝りどこかへ連れていこうとした。軽く引っ張られるが、スウは動かない。
 神殿、と言った。
 レゼは神殿へ向かう。ならばもはや、誰が犯人かは決まった。
「ちょっと、こっち来てくださいってば。ね? お願いしますよう!」
 首を振る彼女に、部下は一気に困った顔をした。その場にしゃがみこんでスウと視線を合わせ、必死に説得を試みはじめる。まるで小さな女の子をあやすように。
「あなたも安全というわけじゃないんですよぅ。ちゃんと場所を用意してありますから、そっち行きましょ? ね?」
 俯いたまま頑として動かないスウに、部下の眉毛が更にハの字に垂れ下がる。困ったなぁ、と天を仰いで、
「ええと、これは一種の罠でして……。デュノ殿下なら、すぐ帰ってきますから、ね?」
と言った。
 間髪入れず、レゼが一喝する。
「おい! バラすな!」
「ひーっ! すみません、ついっ。大体、花売り組がこの子の保護に失敗するからっ……」
 スウは俯いたままじっと床の一点を見詰めていた。考えを巡らす際の、彼女の癖だ。
 ……罠。花売り組。失敗。
 つまり自分とはぐれたのは偶然ではなく、計画的な犯行。花売りに足止めさせつつ保護させ、その間に少年を人気のない路地に置き去り、神殿の手のものに襲わせた。あらかじめ顔が分かるように仮面を被らせず、白いヴェールで目立つようにして。
 それだけじゃない。あえて月の魔力の強いこの日に少年を取り上げることで、聖女の暴挙を狙う。街中を巻き込んだ犯罪、それも王族を攫ったというものなら、聖女とて言い逃れはできない、いや、させない。後はデュノが神殿から見付かりさえすればいい。
 最低。
 日頃から少年がどれだけ苦しんで、弱っているかを知っていて、その上で囮にするなんて。わざと、危険な目にあわせるなんて。
 足元で銀色の物が光を反射した。デュノにあげた銀時計だ。これが落ちなかったら、スウは少年が連れ去られたことに気付かなかっただろう。
 緩慢な動作でそれを拾い、懐に忍ばせた。
 デュノはこの計画を知っていたのだろうか。
 きっとそうだ。だから自分から手を離したんだろう。
 でも、と、闇に引き込まれた少年の姿が浮かぶ。黒にまとわりつかれた少年は、それでもうつろにこちらへ手を差し伸べていた。
 離したその手が、惜しいというように。
 スウが顔を上げる。
 ツカツカとレゼに歩み寄り、部下と口論する彼の腕をがっしりと掴んだ。
 瞬間、青年の顔が引き攣る。
 こういう時は、笑うのが有効だ。
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