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 フェイが手ずから淹れた茶を啜り、スウはやっとのことで口を開いた。
 ――私ね、黒髪だったの。
 日本人として、いやアジア人種としてごく一般的な黒髪。脱色もパーマもしていなかった彼女は、日の光に晒せば少し茶色がかる程度の自然な色合いで。
 それが、この世界で初めて自分の姿を見たときには、見事な白髪と化していた。
 強い衝撃を受けた人は稀に白髪になるとテレビで見たことがある。自分もそうだろうと軽く考えていたのが迂闊だったのか、ある種の現実逃避だったのか。
「へぇー! 黒髪のスウなんて、想像できないや。聖女と同じだったんだ」
 ――私の国ではそれが一般的で。白髪っていうのは、おじいさんおばあさんの特権で。確かに初めはびっくりしたけど、慣れちゃえばそれまでで。ここの人達も別に気にしなくて……。
 ふう、と気が抜けたような溜息。
 ――それが、知らないうちに魔法の人になってたなんて。
 寄る辺ない不安が胸の内を支配する。
 自分は変わってしまった。もう元の世界には戻れないのではないか。根拠はないと分かっていても、自分の属する場所が本当になくなってしまった気がした。
 意気消沈した彼女を元気付けようと、デュノが不自然に明るく応える。
「あ、うん。でも、僕らだってそう言っちゃえばそうだし。そんな気にすることじゃないと思う、よ?」
 ――でも。
「なるほど、それで『白』の賢者か」
 二人の言い合いが発展する前に、青年の納得が割り込んできた。
「どういうことですか?」
「何のこと?」
 重なった疑問詞に、レゼはにやりと笑みを浮かべる。
「推測だけどな。ほら、賢者って髪が白いだろう? 白の賢者って言うくらいだし。だからこそ不思議と思わなかったんだが、毎回同じ種類の飛翔炎が宿ってるのは不自然じゃないか?」
「ああ! なるほど」
 フェイが身を乗り出して、一足早く理解を示した。
「だろ。だから結界は……」
「ちょっと待ってよ。意味が分からないんだけど」
 二人だけで話を進めようとした青年達を、デュノが食い止める。
 スウもレゼには要点を先に述べる技術を覚えてもらいたいと思った。相手に思考を促すのはいいが、それで話題が迷走することがある。
 分かっていない二人を、青年達はもどかしげに見遣った。
「だからさ、飛翔炎なんだよ!」
「不入の森の結界は、賢者を閉じ込めていたわけじゃないんです。賢者に宿る飛翔炎を閉じ込めていたんですよ!」
 その言葉で、やっとスウにも事情が読めてきた。
 この世界では髪の色は飛翔炎が影響する。その飛翔炎は大気中を無数に漂っており、そのうちのどれが誰に宿るかは分からない。にもかかわらず、賢者は必ず白い。
 これは、森の結界が関わっているのではないか。
 もともと森にはただ一匹、賢者にだけ宿ることのできる飛翔炎が閉じ込められており、飛翔炎を持たない人物が現れるたびに宿り込む。賢者は森の中で死ぬから、飛翔炎は結界の中で漂って、新たな賢者を待つ。
「なるほどな。だから結界は変成したんだ。浮遊状態の飛翔炎は宿詞に影響されないから、捕らえることができない。賢者に宿らせたところを結界で覆って……」
「賢者の死によって得る、ということですね」
 図らずも二人の視線がスウで重なり、彼女は小さく身を引いた。
 デュノの魔力が吸い取られる世界だ。自分もまた強い魔力を持っていると分かったら、何をされるか分からない。
「そんなことができるのは……やっぱり宿詞か」
「ええ。賢者を捕らえた後に結界を変化させたのかもしれません。初代国王とは限りませんが、歴代国王の中に賢者の魔力を利用しようと考えた方がいらっしゃるのでしょう」
「でも、その飛翔炎を捕まえてどうするつもりなのかな?」
 裏のない質問に、レゼが目を逸らした。
「俺は想像がつくけどな。飛翔炎学者の爺さんにでも見せてみろ、大喜びして飛びつくだろうよ」
 確かにアーゼンの学者ならやりかねない。
 スウは軽く身震いして、ちょっとだけデュノの方へ身を寄せた。
 それを見てレゼがうっすらと苦笑する。
「大丈夫さ。少なくとも俺はそういうことが大嫌いだ」
 おそらく、その言葉には二つの意味が込められているのだろう。
 彼という権力者がいてくれたことが、こんなに心強いと思ったことはなかった。



「……ってことはさ。それだとスウは死ぬまで喋れないってことだよね?」
 誰かが否定してくれることを願うように、デュノが窺い窺い言葉をかける。
「死んだ後も結界が働くことを想定されていますから、解呪方法を用意していたとは思えません。正攻法では無理でしょう」
 言いづらいことをはっきりと口にするフェイ。
 双子が気まずげに押し黙った。彼らにしたら自分の先祖が仕組んだことだ。何かしら思うところがあるのだろう。
 深刻な面持ちで影を落とすレゼ。それに比べるとデュノはどこか無表情。
「……宿詞か」
 思いつめたように青年が言葉をこぼす。
 国王のみに許された、絶対の力。
 何度この結論を出してきたことだろう。今更論じても仕方がないことは分かっている。語れば語るほど、無駄な無力感を味わうだけだ。能力を持たぬ者にとって、宿詞は所詮、夢物語にすぎない。
 突然、拳が机を叩く激しい音が鳴り響いた。
「だあー! 全部親父が悪い!」
 見れば、レゼが目を据わらせてどこかを睨みつけている。
「親父さえいればこんなまだるっこしいことする必要なんかないんだ。っとに、どこ行きやがった!? あのクソ親父、次会ったらぶっ殺す!!」
 あらん限りの罵詈雑言を吐き散らし、レゼは悶絶するように髪をかきむしる。
 しばしば紳士的ですらある青年の狂乱に、スウはそのまま石化した。
 それに気付いたデュノがそっと事情を耳打ちする。長男である彼は、突然消えた父親に不満や怒りが溜まっているらしい。なんでも、父の変わりに国を治めることになった母親の苦労が並のものではないらしく、それを間近で見てきたレゼはいつのまにか頭の中で父親即ち最低野郎という図式が成り立ってしまったとか。
「レゼ、母さん大事だから……」
 溜息混じりに呟いて、目をこするデュノ。
 弟が聖女に奪われ、父は行方不明。頼みの綱は母だけだとすれば、そうなっても仕方がないかもしれない。なにより、宿詞さえあればすべての問題は解決できるのだ。それが分かっていながらどうすることもできないもどかしさを、レゼは誰より感じているに違いない。
 そんな二人のやりとりには気付かず、フェイが誰ともなく問いかける。
「しかし、そもそもアーゼン国王が生きているというのは、確かなんですか?」
「ああ。生命反応は探知できるんだ。でも、場所が分からない」
 勢いよく息をつき、深刻な顔でレゼが応じた。
「たとえば自分で帰りたくないとか、スウみたいに結界の中で幽閉されてるとすれば説明はつくんだ。居場所撹乱かくらんの魔法は簡単だしな。だが、親父が母さんに会わずに何年もいられるとは思えないし、誰かに隠されてるとしても宿詞がある。あるいは、宿詞が封じられているのか……そんなことが可能なのか」
 自問するように呟いた後、レゼは睨むようにフェイを見る。
「本当に、グルディンに親父はいないんだろうな?」
「ええ、確かです」
 グルディン? 耳慣れない単語だ。
 デュノに聞こうと思って袖をつつくと、少年ははっと我に返ったように目を開いた。
「何?」
 ――グルディンって、フェイさんの国?
「そうだよ」
 欠伸をしつつ返してくる。さっきから妙におとなしいと思っていたのだが、もしや今、寝てたのか。
「父さんは九年前にグルディンで消息を絶ったんだ。和平の話し合いに行って……」
 言い終わるか否かというところで瞼が下がってくる少年。睡眠不足だろうか。そういえば、今日はお菓子配りで朝からばたばたしていたから、あまり眠れていないのかもしれない。
 フェイはレゼから視線を外さず、報告書を読むように続けた。
「アーゼン国王が消息を立ったのは九年前。それから革命が起こるまでの四年間に、グルディンは七度に渡って捜索を行いました。街角の八百屋の裏から山奥の炭鉱まで、捜査の手が入らなかった場所はありません。しかし、それでも国王と思われる人物は発見できませんでした。アーゼンへの報告書にも不明瞭な点はないはずです」
「アーゼンは信用しちゃいない」
 レゼが冷徹に言い放つ。
 それに対して、フェイは冷静に言葉を重ねた。
「あなたも知っているように、グルディンは貧しい。国土の半分を凍土と砂漠に覆われていますし、アーゼンのように放っておいても作物が育つような土地ではありません。アーゼンに交易を停止され、そのために先の王家が滅びたことをお忘れではないでしょう。国を解体してまで行うほどのこととは思えません」
 王が消息を消したことによる交易の停止が、グルディンで起こった革命の間接的な原因だったのだろう。
「結果を見ればそう言える。だが、王は何のために危険を承知でグルディンへ赴いた? 当時、不可避と言われた全面戦争を調停しに向かったんだろう。危険を承知でな。そこで頭を叩いておこうとグルディンが考えたとは言えないか」
「殺したのなら公表したはずです。宿詞がなくなればアーゼンを恐れる必要はないのですから。捕らえていても交渉に利用しようとしたはず。その後のグルディンの行動に説明がつきません」
「王はいないの一点張り、か」
「グルディンは宿詞を恐れた。国王が生きていることを知っていたのでしょう」
 フェイの言葉を受け入れるように、レゼが肩をすくめた。
「そうなんだよ。そこまで確信できるなら、何があったか言えばいい。でも言わない。だから話がすすまねぇ。グルディンは灰色のままだ」
「なにかしら後ろめたいことがあるのでしょうね。腹を探られて痛くない国家はありませんから」
 フェイはうっすらと笑みに似た表情を浮かべる。それは皮肉を交えた悲しみに似ていた。
「……しかしそれでも、私は平和に貧困を利用することに賛成できません」
「俺だって正しいとは思っちゃいない。だが、アーゼンも精一杯なんだ。国王、いや、宿詞がないなんて、史上初だからな。今グルディンに力を蓄えられたら、もはや抵抗の術はない」
 机の表面に目を落とし、黙り込む二人。夜の帳が落ちるように、部屋の中へ重苦しい沈黙が降り立った。険悪というよりも、それは深い思考の渦のようなものだった。
 スウは困り果てて二人を見詰めるばかり。彼女には話題に入っていくことも、新しい話を振ることもできない。
 けれど、彼女の変わりにゴツンという鈍い音が静寂を振り払った。
 デュノが机にうつ伏している。ついに眠り込んでしまったらしい。微動だにしないが、どう考えてもあの音は少年の頭が机に激突した音だ。痛くないのか。
「この野郎。興味ない話だと途端にコレか」
 レゼが半笑いに顔を引きつかせて、弟の頭をつついた。結構強く叩いたらしく、デュノが寝ぼけてもぞもぞと動く。一度起き上がると、今度はスウの方へもたれかかった。
 心地よさそうな寝息。
 レゼが遠い目をして窓の外を見る。
「……世界は平和だなー……」
 にこにこと二人を見ていたフェイが、茶器を持ち上げて茶を注いだ。
「デュノは明るくなりましたね。表情の種類が増えたように思います。それにしても、こんな甘えん坊だったとは知りませんでした」
 そうだろうか。スウはデュノと出会ったときの記憶をまさぐった。自分がまだ森の中にいた頃のことを。確かに表情に影のある子供だった。いっそ能面じみていたように思う。でも、スキンシップは始めからあった気がする。
「デュノはおとなしくて、あまり自分から他人に関わっていくような性格ではありませんでしたから」
「はっきり幼児化したって言ってやれ。まあ、そのほうがコイツには都合が良いんだろうさ」
 レゼが鼻で笑うように付け足した。まるでそれが犯罪であるような口ぶりだ。
 フェイとスウは顔を見合わせ、互いに彼の意図が読めなかったことを知る。レゼはデュノを詳しく知っている分、言葉が飛躍している気がした。
「良いことではありませんか?」
 彼はもう一度鼻で笑った。
「さあな。ようはコイツがバカってことだ」
 そう言って自分の茶を啜る。
 フェイは呆れ半分で肩をすくめ、
「アーゼンの方は難解です」
「グルディン人の目は節穴とは、よく言ったものだな」
 応じるレゼはにやりと皮肉。
 スウは少年の加重を感じながら、人知れず溜息をついた。
 とりあえず、カップル認定されていることだけは分かった。



 フェイが少年を寝台へ移した後、二人は出て行った。
 デュノに付き添っていると、不意にベッドの傍らから金属の落ちる音がした。少年が手にしていた銀時計が落ちたらしい。
 鎖を拾い上げて傷がないか確認する。幸い、正常に動いているようだ。繊細な掘り込みが日の光を返し、宝石のように輝いている。
 彼女の脳裏にもう一度あの光景が浮かび上がった。
 青く透明なデザートローズ。潮騒のように輝きを変える、不思議な石。
 月の民の、ショウビ石。
 時計を少年の傍らに置き、窓の外を見る。森が焼失したため、神殿から城がよく見えた。もっとも、何人もの兵士が見張りに立っているため、直行で向かおうとする者はいない。
 灰色の城は窓のないビルのような形をしていて、巨大な石碑を思い起こさせた。
 女王は今、城へ戻っているという。
 会うべきなのだろうか。彼女は何か、知ってはいないか。
「うーん……」
 デュノが眉根を寄せて寝返りを打つ。悪夢を見ているのかもしれない。
 少年を起こさぬよう、そっと部屋を抜け出る。
 通訳が必要なことは分かっている。でも、そうすれば少年が嫌でも話を聞くことになる。あの孤独な子供にむかって、帰りたいとは言いたくなかった。
 廊下にはもう誰もいない。足音を潜めて走る。今ならまだその辺りにいるはずだ。
 渡り廊下で広い背中を見つけた。
 紫の神官兵の装束を纏った背の高い男性と、地味な色の布を頭からすっぽりと被った不振人物の二人組み。いやでも目立つ組み合わせだ。
 声をかけようとして、できないことに今更気付いた。
 二人は気付かず歩いていく。
「……デュノ、最近痩せたとは思いませんか?」
 低く潜められたささやきが届いた。
「今日も顔色が優れないようでしたし、寝入り方からして魔力が足りていないようなのですが」
「なんだ、思ったほど節穴じゃないんだな」
 すたすたと歩を進めながら、そんなことかと言い出しそうな態度で青年が返した。
「大方、聖女が魔力の吸収量を上げているんだろう。民への供給量は変わっていないから、何に使っているのやら」
「……例の開発ですか」
 開発? 聖女が何か作ろうとしているのか?
 怪訝に思って近づいたとき、二人が同時に振り返った。
「っ!」
 俊敏で洗練された動きが、彼女を認めるや即座に停止する。
「なんだ、スウか。いつから……あ、いや、俺が悪かった」
 レゼがごまかすように笑って懐から手を下ろした。そしてぼそりと独り言つ。
「嘘だろ、背後を取られた?」
 その間にフェイも服装を直す振りをして、さり気なく剣の柄から手を放した。
「どうなさいました? 何かありましたか?」
 優しく微笑んで手を差し伸べるフェイ。その手には見慣れないまめがある。どんなに柔和に見えても、やはり剣士なのだ。
 スウは気付かなかった振りをして微笑みかけ、渡り廊下から見える塔のような城を指した。それから真昼の月を示す。
 さっぱり通じなかったらしく、ぽかんとするフェイ。
 困りつつもう一度城を指差すと、レゼが思いきり顔をしかめた。
「まさか、スウまで母さんに会いたいとか言い出すんじゃないだろうな」
 頷いて、その言い方に首を捻る。
「スウ嬢まで?」
 フェイも気付いたようだ。
 レゼは嫌々口を割るような声色で頭をかいた。
「元々、母さんに連れて来いって言われてたんだよ。なーんとなく、断っといたんだけど……」
 そのなんとなくの理由が知りたいが、青年は言ってくれないようだ。
 レゼはひとしきり悩んだ後、「二人が互いに、か。これも何か意味があるのかもしれないな……」と呟いて頷いた。
「分かった、連れてく。でも、フェイもついて来い」
「私がですか?」
 思いもよらないというように自身を指すフェイに、レゼはしっかりと頷いた。心なしか顔色が青い。
「俺じゃ、手に負えないかもしれないからな……」
 自分がこれから会いに行くのは猛獣ではなく、女王のはずだが。
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