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 不入の森から神殿の門へは緩やかな下り坂を描いている。王都の構造そのものが、森を頂点として円環状にいくつもの堀と石壁を重ねた小山になっているためだ。文字通り、城と神殿が民衆の上に座している。
 体が羽根のように軽かった。どれだけ走っても息が続き、疲労はなく、心臓も躍らない。魔力が満ちているだけでこんなにも違うのかと、我が身ながら改めて驚いた。
「フェイ!」
 勢いに任せて駆け下りてきた少年は、旅装束に大きな鞄を背負ったフェイが門番へ別れを告げているのを見つけるのと同時に足をもつれさせた。泥のついた裾を絡めて、前のめりに倒れ込む。
 ぬかるみに顔から飛び込む寸前、青年の大きな腕が少年を掬い上げた。
「デュノ。なぜあなたがここに……」
 驚きと戸惑いと、若干の気まずさを交えたフェイの顔が近くにあった。
「フェイこそ。出発は明日の朝って言ったのに、ひどいよ」
 助けられた腕へ爪を立てるようにして、少年が立ち上がる。真っ直ぐに見据えた視線は避難を込めて鋭い。
 青年は泥を払う仕草で目を逸らした。
「事情が変わったのです。それに、やはりあなたを連れて行くことはできません」
「僕も行く」
 フェイは膝をかがめて、視線を同じ高さへ置いた。
「デュノ、分かってください。私はもう神殿に属しません。あなたを守るべき者は、もう私ではないのです」
 説得は懇願に近かった。出立を知らないはずの少年が今現れたことと、その頑なな態度から、説き伏せることは無理だと悟っているようだ。
「分かってないのはフェイだよ。僕は『自分も神殿を出る』って言ったんだ。フェイと一緒に行くっていうのは、これから頼むところだよ」
「なんですって?」
「昼にも言ったでしょう? スウに会える方法を探しに行くんだ。僕は僕でね。フェイだって、自分の用事をしに行くんでしょ? 二人が同じ目的を持ってるわけないもんね」
「それはそうですが……。ではまさか一人で」
「自分の無力さは僕が一番よく知ってるよ。フェイが駄目って言うなら他を当たる。あてなんてないけど、今の神殿の人たちなら、一人ぐらいは言うことを聞いてくれそうだし。でも僕はフェイと一緒がいい。守って欲しいからじゃなくて、フェイまでいなくなるのが嫌だから」
 ただの哀願の効力は、彼女がいなくなった時に嫌というほど思い知った。情に訴えることしかできない自分をどれだけ恨んだか、いや恨んでいるか、誰も知らないだろう。
「ねえ、僕を置いて行かないでよ」
 だからお願いの裏側に、ほんの少しの重さをつけた。相手の心持ち次第では吹けば飛んでしまうような、ちっぽけな物だけれど……いま相手にしているのはフェイだ。
 青年は言葉に詰まり、長らく視線をさまよわせた。神殿の誰が少年に手を貸しそうか、それが後々城とどのような軋轢を引き起こすかを、ありありと思い描いたのだろう。徐々にその表情が険しくなる。
「……しかし、残された方々がどう思われるか……」
「レゼも母さんも、僕が戻るのを信じてる。フェイと一緒なら、きっと安心してくれると思うよ。だってフェイは、二人からどんな兵士よりも信用されてるでしょう?」
「それは私が配下であったならばの話です。その信用は主に、私の武力に由来している。しかし今回、私には自分の事情があります。片手間で誰かを守れるほど、私は器用ではありません。あなたは今、十分に守られている。常人には手の届かぬ幸せです。それをあえて捨ててまで、この場を去ろうなど」
「このまま魔力を奪われ続けることが幸せ?」
 自分から最も遠い言葉だと信じていたゆえに、問いかけは無防備だった。
 フェイが一瞬、押し黙る。
「……比較したくはありませんが。特殊な飛翔炎に生まれついた者の多くがどのような末路を辿るかを、あなたは知らない」
 少年は反応できなかった。
 フェイは優しい茶色の目を伏せたまま、静かに続ける。
「知らない方がいい。……――酷なことを言いました。申し訳ありません」
「僕が辛いのは」
 うわごとのように声が零れた。
「僕がここを出て行こうと思うほど辛いのは、このままじゃ何もできないからだ。どこにいても、何があっても、魔力を奪われて一歩も動けなくても、僕は絶対に諦めない。諦めたりなんかしない。諦められないのに何もできないでいるよりは、何かをしていたい。少しでも動いていたい。前へ進んでいると信じたい。そうすれば、今より、きっと」
「……それでも、あなたの願いが叶うとは限りません」
「結果なんかいらない。こんな望みが叶うと思い込めるほど、僕だってバカじゃない。誰も出来ると思ってないことも知ってる。それでも、それでもっ……!」

 ――絶対に諦めない――

 掴んだ剣をきつく握りしめる。転んでも決して手放さなかった、兄からの贈り物。その硬く冷たい感触が沁みた。
「今しかないんだ。儀式が始まれば、さっきみたいに走ることもできなくなる。今動かないと、僕はもう、一生ここでぼんやりするしかない。何も出来ない。そんなのは嫌だ!!」
 今なら分かる。自分の枷が外から嵌められていただけではなく、内側からもかかっていたことを。
 少年は細い剣を強く強く抱きしめた。
 震える灰色の髪に、暖かな手がとんと乗せられた。
「顔を上げてください、デュノ。あなたを追い詰めるつもりはありませんでした。私はただ、あなたが手放そうとしている物を羨む者もあると気づいて欲しかったのです」
 少年がおそるおそる見上げた先には、今にも溜息を零しそうな苦笑があった。茶の瞳が門の照明を受けて艶めいて見える。
 溜息をつく代わりに、彼は小さな呟きを落とした。
「あなた達は本当に……昔の私を思い出させる」
 ふっと浮かんだ微笑みに、懐古だけでは済まない憂愁がよぎる。
 けれどそれも一瞬のこと。彼は即座に立ち上がり、洗練された動きで外套を脱いで少年の肩へかけた。
「ひどく濡れていますね。夜風は冷えます。これを」
 何事もなかったかのように微笑まれて、デュノはきょとんと目をしばたたかせた。
 長身の彼が着ていただけあって、コートは肩幅から袖丈まで、全てが大きすぎだった。フェイで膝下にくるよう調整された裾は、少年の足下でぬかるみに落ちている。
「えっと、フェイ?」
 承諾してもらえたのだろうか。それとも神殿へ送り返されるのか?
 小首をかしげる少年の袖を折りながら、フェイは家庭教師のように続ける。
「いいですか。私は万能ではありません。少しでも手に負えないと思ったら、速やかに送り返しますからね」
「……! 構わないよ!」
 ぱっと顔を上げた少年へ、フェイはいつもと同じ柔らかな微笑みを浮かべた。
「――って、さっそく世話焼きまくってんじゃねえか!」
「うわ!?」
 突然フェイの背後に現れた見知らぬ人物が、屈んだままの背中を思いきり蹴飛ばした。
 フェイは転びこそしなかったものの、手をついた場所が悪かったらしく、手首までずっぽりとぬかるみに埋まる。
「カ、カイハ! いつの間に」
「ガキ相手に何から何まで押し切られやがって。相変わらず甘ちゃんだな。『情けは人の飴ならず』って言葉、知ってんのか? アァ?」
 カイハと呼ばれた男は、なおも派手に啖呵を切りながらフェイの背をぐりぐりと踏みつけた。
 彼が引き合いに出したことわざならデュノも知ってる。泣いている子供は飴で誤魔化されるが、うっかり同情の言葉をかけるといっそう大泣きするというところから転じたもので、甘やかしても相手が増長するだけだという、身も蓋もない訓戒だ。
「うわ、ちょっと、やめてください。どいてください!」
 なおもげしげしと踏まれて、フェイが情けない声を出した。
 男の足の動きに合わせて、頭に巻いた布の間から飛び出した緑色の毛が揺れる。顔に見覚えはないものの、その布の適当な巻き方が少年の記憶をくすぐった。どこかで会ったような……いやないような。
「フェイ殿! 賊ですか!?」
 少年がぽかんと二人を見ているうちに、門番が慌ててやってきて男を羽交い締めにした。するとカイハはひょいと飛び上がり、門番の頭に手をついて後ろへ一転、軽やかに背後をとった。
「アーゼンの衛兵も無粋だな。ま、三歩とはいえ、勝手に敷地へ入ったのは事実か……。厄介事になる前にノしとくか? そこのおぼっちゃんと一緒に」
「なんですとっ!?」
「カイハ、ふざけるのはそこまでにしてください。門兵殿、大丈夫です。彼は私の連れですから。門の外で待ってもらっていたのですが、痺れを切らせてしまったようで」
 フェイが疲れた顔で立ち上がり、泥まみれになった手を見て悲しそうに溜息をついた。事情を説明して門番を下がらせようとして、今度はデュノの件で揉め始める。フェイは長引きそうだと見るや、少年を門の下へ招き入れた。
 フェイが門番と話し込んでいる間、少年は所在なく立っていた。すると緑毛の男がよってきて、訳知り顔で見下された。
「噂通りの貧相なガキだな。熱出してぶっ倒れても、俺は知らんぞ」
「カイハだっけ。どこかで会ったことある?」
「ない。と言いたいが、姿を見られたならあの時だろうな」
「あの時?」
 カイハはにやっと笑って、優雅に一礼した。
「迷子のお姫様を護送させていただきました折に」
 腕を胸の前へ置く、グルディン風の洗練された所作だった。
「……あ。祭りの日に」
 思い出した。宵祭りの晩、少年を連れ出す口実としてスウを伴っていたものの、その後の騒動に彼女を巻き込むわけにはいかなくて、レゼと二人で夜道に置き去りにしたのだ。兄が保護の手を回すとはいえ、見知らぬ場所で言葉も通じない彼女をそんな目に遭わせるのは気が引けた。けれど計画が失敗した時を思うと、彼女が関わっていない証拠が必要だった。絶対に彼女だけは守るからと兄に約束されて、承諾した覚えがある。
 なのに、計画が始まって今にも少年が攫われようという瞬間に、ひょっこり彼女が現れた。頭に妙な布を巻き付けた男を伴って。
 あの時は祭りの習慣で木面をつけていて顔が分からなかったものの、妙な髪型は見間違えようもない。よく見ると目鼻立ちがはっきりとした、精悍な顔立ちをしている。くすんだ緑色の髪よりも深い暗緑色の瞳が鋭い。背丈は大人にしては若干小柄だが、少年よりは頭一つ大きかった。
「あの、僕の所へスウを連れてきちゃった、フェイの友達?」
「『ちゃった』とはなんだ『ちゃった』とは。せっかくの親切を」
 言い回しに気分を損ねてカイハが口元を歪める。
 つられてデュノも口を尖らせた。
「だって、そのせいで色々あって、スウも色々知っちゃって、すぐに決心しちゃったんだもの」
「もう少し分かり易く喋れ」
「あそこでスウが来なければ、彼女はまだ帰ってなかったかもしれない……って」
 流暢に口走った内容に自分で驚く。そんな風に思っていたつもりはなかった。にもかかわらず、少年の言葉は意識よりも正確に本心を捉えていた。
 彼女の喪失を誰かのせいにしたい――自分だけでは重すぎる。
 裏の責任転嫁が明け透けに伝わったらしい。カイハが口の端をにやりと持ち上げた。
「ああ、派手に振られたんだってな。ハハッ。分からないものだな、ずいぶんと親しげだったのに」
 あえて触れないニヤニヤ笑いが鼻につく。
 少年はバツの悪さを悟られまいと、きつく睨み返すことを選んだ。
「……カイハには関係ない。どうせスウのことを、僕を利用した酷い女だと思ってるくせに」
「そうなのか? そんな子には見えなかったがな」
 軽い調子で聞かれ、つい警戒を忘れる。
「カイハは違うの?」
 思わず二三歩駆け寄った自分に気づいて、慌てて距離を取り直す。
 相手は門の壁に背を預け、平然と頷いた。
「当たり前だろ。誰だって直接話したこともない相手をそこまで言い切れまいて。けど、俺はどっちかっつーと、あの子は利用される側の人間だと思ったがな。祭りで迷ってた時なんか、あまりに頼りなさげで、俺としたことがつい要らん世話を焼いちまった」
 照れ隠しにちょいと襟元を直し、「だが」と低く念を押す。
「今のはあくまで俺の主観だ。利用と信頼は時としてすり替わる。そこに悪意があるかどうかは、本人にしか分からない。お前はあの子を信じられないのか?」
「だったらこんな所にはいないよ」
「だろうな」
 即答は即答で流された。
 少年は不思議なものを観察するように、しばらくじっと相手を見据えてから、おそるおそる口を開いた。
「……ねえ。もしかしてカイハは、祭りのあと王都にいなかったんじゃない?」
「ああ。そこそこで切り上げて隣町に行った。祭りの間は入りの検問は厳しいが、出る方はザルだからな。色々助かることもある。その後しばらく王都へは戻ってない」
「そっか……」
 彼の言うことが正しければ、彼女の宿詞は王都の外までは及んでいない――
 そう理解した瞬間、力が抜けてその場に座り込んでしまいそうになった。強ばっていた肩が軽くなる。長く患っていた胸のつかえも溶けて消えていった。
 ほうっと溜息に似た息をつく。
「じゃあ、外の人は宿詞にかかってないんだ……」
「宿詞?」
「なんでもない。ところで、カイハはフェイを見送りに来たの?」
「いえ。出立する旨を告げたら、彼もついてくると聞かなくて」
 門番を説き伏せたらしいフェイが戻ってきた。彼が重そうな鞄を持って皮の帽子を被ると、今にも別れの言葉が飛び出してきそうな気がする。不安を払拭するために、少年はフェイへ駆け寄った。異国風の細い袖口を掴んで引く。
「カイハも一緒に行くの? 僕と同じ?」
「俺はお荷物じゃねえよ。この図体ばっかのおぼっちゃんの面倒を任されてんだ」
 ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いたカイハに代わり、フェイが詳細を補足する。
「彼は主人に私の手助けをするよう命じられているのです。古い約束ですから、もう反故にしてくれて構わないと言っているのですが……」
「お前がそう言う時は、いつもろくなことがないからな」
 そう言って、カイハが先ほどデュノに向けたのと同じ、ニヤリとした笑みを浮かべた。
 フェイは一瞬驚いた顔をして、それから普段の二倍は苦々しげに微笑む。
「本当に大したことではないのですよ。少し王都を出ていれば収拾がつきますから」
「ならいいが。それはともかく、この坊主はどうすんだ。俺は子守なんて勘弁だからな。分かってんのか?」
「……ええ」
 頷きは不釣り合いなほど真摯だった。
 それを軽く突き放し、もう一人の同行者となった青年が小馬鹿にした目つきで少年を見下ろしてきた。
「あっそ。――で、ボンボン?」
「それ、僕のこと?」
「そうさ。お前らみたいな奴のことだ」
 鼻で笑うように言い放たれて、少年が鼻白む。少し遅れてバカにされたのだと気づき、いつになくふてくされた声が出た。
「僕はデュノだよ。ボンボンなんて名前じゃない」
「ならデュノ。ずいぶんな勇み足だが、荷物も持たずにどこへお出かけする気だい?」
「にもつ?」
 かたくなな態度はどこへやら。少年は澄んだ声で首をひねった。
 素で返されたのだと悟り、カイハが目を丸くする。なにか嫌な物でも思い出したのか、大仰に肩をすくめてフェイを振り返った。
「これはこれは、とんだ世間知らずだな。昔のお前より酷いんじゃないか?」
「デュノは生まれてから一度も王都から出たことがないのです。城下ですら、ほとんど出歩いたことがないくらいでしょう」
「城と神殿が世界のすべて、か。ふん、上流階級の常套句だな」
 カイハが忌々しげに舌を打つ。
 少年の全てが気に入らないと言いたげな相手を空気で制して、フェイが門の外を確認した。
「もう馬が来てしまいましたね。夜明けも近いですし、準備が不十分ですが、必要な物は追々そろえていくことにしましょう」
 耳を澄ますと、穏やかな雨音に紛れて、遠く馬の足音が近づいてきていた。
 目を凝らせば闇の中に二頭の馬が白く浮かんでいる。
 鞭の音を響かせて門の前に馬車が止まった。小振りながら重量感のある箱馬車だ。日の光の下でなら端々にあしらわれた銀細工が輝いて軽みを演出するだろうが、今は雨露に濡れて艶めくばかりだった。
 わりと地味な型だと思ったのもつかの間、馬車を一目見たカイハが呆れ返った。
「なんだこの煌びやかな馬車は。馬だけで十分だろうに」
 さめざめと額を押さえる彼へ、フェイが事も無げに告げる。
「餞別に頂いたのです。外壁の門兵は上等な馬車には甘いですから。検問で時間を食うのはあなたも嫌でしょう? もっとも、デュノを乗せるなら、これですら不審に思われても致し方ないですが……」
「賊はどうする。これじゃあ獲物が鈴を鳴らして歩いてるようなもんだぞ」
「王都周辺は祭りの後の警戒状態が続いていますので、彼らも当分は大人しくしているでしょう。デュノが馬に乗れるようになり次第売ってしまえば、路銀の足しにもなります」
 ただでさえ王都へ人が集まる祭りの時期に加えて、今は月下の儀式が中断されている。便利機器の使用が中断されて暴動が起きないように、街中へ警邏兵を配したと聞いたが、街の外でもそういった配備がされているのだろうか。外を知らないデュノには、二人の会話が読めない。
 けれど瞬間的に会話を見失ったのは、少年だけではなかったらしい。カイハが若干眉根を寄せてこちらを窺い見てきた。
「乗れるようになり次第って……お前、まさか馬にも乗れないのか? 貴族のたしなみだろ」
「カイハ。アーゼンに貴族はいません。デュノは王族です」
「細けえんだよ。おい少年、乗馬ぐらい習ったことあるんだろ?」
「子供の頃に、少しだけ……」
 母に馬ぐらい乗れなくては男ではないと説き伏せられて、挑戦してみたことはある。結果はあらかじめ従者達が忠告してくれた通り、体中に痣をつくるだけに終わった。乗馬を上手くこなすには、魔力を介して馬と意思の疎通を図らねばならない。それには緻密な魔力の統制が必要で、デュノには永遠に不可能だ。
「っかー、こんな目立つ馬車に乗れとか、なんの拷問だよ」
「乗るなら乗ってください。検問には朝早くから行列が出来ますから、早いに越したことはありません」
「わーったよ」
 御者と入れ替わりに、カイハが御者席へ軽く飛び乗った。手慣れた様子で手綱を握る。二頭の馬はどちらも大人しい気性のようで、新しい主人へ従順に従った。
 すかさずフェイが扉を開ける。先に鞄を置こうとしたところで、座席の足下に一抱えの荷物があることに気づいた。質素な袋の上には、二つに折りたたんだ紙が置かれている。
 フェイがさっと紙面に目を通し、くすりと微笑んだ。
「負けましたね」
 少年が背伸びをして覗き込むと、達筆な現代アーゼン文字で『バカは任せた』とあった。
「レゼ……」
「なあるほど。こちらのボンボンには、気の利く後援者サマがついておられるわけだ」
 御者席から身を乗り出し、カイハがにやりと片頬を持ち上げる。
 森を仰ぎ見れば、静かな闇が広がっていた。
 腕の中の剣が重い。
 あんな約束などせずとも、今の自分には扱える気がしなかった。
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