5

 三日後、処刑の日。
 城の前庭に作られた処刑台に、大きな刃が麻紐でつり上げられた。簡易のギロチンはすなわち魔法を使わない処刑を意味し、最も屈辱的な処刑法と言われている。
 槍を片手にした処刑台の見張り番へ、黒いローブで顔を隠した男が近づいた。
「処刑は何時に決まりましたか?」
 よく響く声は生来の穏やかさを損ない、硬く凝っていた。
 見張り番はきびきびとこたえる。
「正午ですよ」
「……わかりました」
 ローブの男――フェイは碧眼を目を伏せ、踵を返すと人簿身の中へと紛れていった。城の前庭は流れ込んだ庶民たちで賑わい、一種の祭りのようになっている。城の見張り番をしていた騎士に、鍛冶屋の大将に靴屋の青年。露店で野菜を売っていた女、揚げ物矢の子供に花売りの乙女、宿の女将……――そして、『春啼き梟の会』の会員たち。
 だがフェイの眼には、そのうちの誰の姿も映ってはいなかった。
「……シェラ」
 無意識に、あの白金の髪をさがしている自分がいた。現れたときが最後だとわかっているというのに。
 フェイは握りしめた拳にいっそう力をこめる。かつてその手に感じたぬくもりが、いとしさとなって彼の胸を締め付けた。
 ――『わたしたちから始めましょう』
 耳に蘇る、彼女の言葉。
 ――『この王宮を変えるんです』
 見上げる薄い茶色の瞳は、潤んで、透き通るように美しかった。
 ――『二人でなら、きっとできますわ』
 彼は奥歯を噛み締めた。
 あの日二人で信じた未来は、こんな形で果たされようとしている。
 ――そんな未来を望んでなど、いなかったというのに。
 焦りと後悔が苛立ちとなって、彼を責めさいなんだ。握った拳には爪が食い込み、血が滲もうとしている。
 『民主論』を著わしたのは、この国を立て直したかったからだ。不治の病にかかった社会を、どんな手段を用いてもいいから救いたかった。そこに、家族を顧みない冷徹な自分がいたことは認める。だが、彼女をはじめ、親族をここまで苛烈な形で巻き込むつもりはなかった。これだけは事実だ。
 なのに……。
 フェイは目をすがめると、処刑台の傍らに置かれた台へと視線を移した。
 そこにあったのは国王と三人の王妃の生首だった。みな苦悶の表情を浮かべている中で、フェイの母親である第一王妃だけが静かに目を閉じている。不治の病であった彼女は、すでに死の覚悟ができていたのかもしれない。
「母上……」
 フェイは小さく呟き、母の首に向かって深々と礼をした。
「貴女の死は無駄にはしません。そして……」
 顔を上げ、引きつった顔をした国王の首へ視線を転じる。
「貴方も。父上」
 言い切ると同時に、踵を返す。
 人混みを抜けきったところで、目深に帽子を被った濃緑の髪の男と合流した。カイハだ。
 二人はこれから地下牢へ忍び込み、シェラたちが強結界の牢から出てきたところを救うという作戦を立てていた。
 カイハは抜け目ない視線で辺りを見回しながら、ぽつりと問いかけた。
「……殺しますか?」
「いえ……。できるだけ、傷つけないようにお願いします」
 ためらいがちなこたえに、カイハの顔がぐっと渋面になった。
「甘いですね」
「殺したほうが楽なのはわかっています。ですが……奪った命は、戻りません」
 カイハは言葉なく、フェイを見返した。
 フェイはなかば癖になっている微笑みを苦笑に変え、
「きっとシェラもそう言うでしょう」
 と、相手と一緒に自分を納得させた。
「……ええ、確実に」
 カイハはため息混じりに頷いた。
「貴方の物言いがお嬢様そっくりで驚きました」
 それから視線を足元へ向け、しみじみと、
「あなた方が惹かれあったのも……、わかるような気がします」
 どこか切なげに、その呟きは空に消えた。

     ◆

 もつれた蜂蜜色の髪を、シェラの指先がすいた。古くなった香油がねっちりと指に絡む。
「お姉様……」
 シェラの手に細い指が重ねられた。
 この数日間、フィーネは食事も喉を通らず、すっかりやつれてしまっていた。白く張りのあった肌はくすみ、落ちくぼんだ目の下にはくっきりとくまができていた。もともと小作りな顔は頬がこけ、いっそう小さくなっている。
 その代わり、徐々にではあったがシェラとは打ち解け、今では「お姉様、お姉様」と呼び慕ってくれるようになった。
「大丈夫よ」
 シェラはか細い指先をぎゅっと掴んだ。食事に手がつかなかったのはシェラも同じで、牢に入れられるときはぴったりの腰回りだったドレスが、ずいぶんとゆるくなってきていた。
 そのとき、鉄扉が軋む音がして、数人の足音がこちらへ向かってきた。
 牢の番人たちだ。五人いる。彼らはまず、向かいの牢に入れられているアークノインに慇懃に一礼し、
「王太子殿下、ご希望の品です」
 と、何か平たい物を渡した。アークノインが民衆に包帯の巻かれた顔をさらすことを拒んだため、急遽用意された仮面だった。のっぺりとした仮面は白く、目の部分だけ穴が開いている。
 アークノインが受け取ったのを見て、番人の一人が張りのある声をあげた。
「それでは、これより処刑を始めます」
 ――きた。
 シェラは全身の血がざっと下へ向かったのを感じた。
 それはフィーネも同じだったらしい。小さく息をのんだまま固まっていたかと思うと、突然「いや! いや!」と激しく首を振りはじめた。
 鍵の開く音がして牢の扉が開き、男たちが牢の中に入ってきた。隅にうずくまった二人を立ち上がらせると、強い力で連れて行こうとする。
「いや! いやと言ったらいやですの!!」
 フィーネは、細い体のどこからそんな力が、と思うほど激しく抵抗した。もつれた髪を振り乱し、男たちの手から逃れようと身をよじる。
「いてっ! くそっ、このガキっ!」
「いやあ!」
 暴れるフィーネを無理やり引っ立てて、男たちは小柄な彼女の身体を引きずるようにして牢から出そうとした。
「――おやめください!」
 凛とした声が牢に響いた。
 その声に命じられたかのように、男たちとフィーネの動きが止まる。場の全員の視線がシェラへと注がれた。
「抵抗はしません。フィーネ様を解放してください」
 シェラはフィーネに近寄り、傍らへしゃがみ込んだ。腰の抜けてしまったフィーネの手を取ると、優しくさすり、ゆっくりと立ち上がらせた。
「おねえさま……」
「参りましょう、フィーネ様」
 静かに頷き、シェラは手を引いてフィーネを牢の外へと導いていった。

     ◆

 強結界の牢を抜け、秘密の扉から通常の地下牢へ抜けると、ガランとした空の牢が続いていた。
 両側を牢に囲まれた細長い通路を歩いていく。すると、途中でギィ、と背後から牢の扉が開く音がした。
「……?」
 五人の男のうち、先頭の一人が通路を振り返った。そのとき。
「〈はなあや〉」
 アーゼン語の呪文が耳朶を打った。その意味は『炎よ』。
「――伏せて!」
 シェラはとっさにフィーネを掴んでその場にしゃがみ込んだ。
「ぎゃあああ!!」
 振り返れば、しんがりをつとめた男の背中が燃え上がっていた。赤い炎を背中に背負った男は、混乱のあまりバタバタと辺りを転げ回る。
 炎で明るくなった通路に、二人の男の姿が浮かび上がった。白い布で顔を覆い、短めのまっすぐな剣を構えたアーゼン人の男と、黒い布で顔を覆ったグルディン人の男。
 ――カイハ? と……。
 背格好からアーゼン人の男がカイハであると見抜いたシェラは、床にしゃがみ込んだまま、なかば呆然と二人を見上げていた。そこにいるのは、ずっと会いたいと望んでいた、でも叶わないとわかっていた、彼なのだろうか。
 炎を受けて、二人の持つ剣がチカリと輝いた。床を転げ回る男の火はまだ消えない。魔法の炎は対象がなんであれ、術者の集中力が続く限り燃え続ける。
「貴様ら、何をした!」
 シェラたちの周りを取り囲んでいた四人の男が、一斉に剣を抜いた。ジャラリと耳に響く音がして、長剣が輝く。
 四人が一斉に二人へ駆け出そうとしたとき。
「〈えがけの〉!」
 カイハの呪文が響く。『動くな』。同時に男たちがその場に縫い付けられたかのようにぴたりと動かなくなった。表情一つ変えられず、か細いうめき声をあげるだけだ。
「――シェラ!」
 懐かしい声が耳朶を打った。
 呼ばれるままにシェラが立ち上がったのと、グルディン人の覆面男が彼女を抱きしめたのは、ほとんど同時だった。
「シェラ……!」
 安堵の吐息が耳元をかすめる。
 息の詰るような抱擁の中で、彼のぬくもりがじんわりと伝わってきた。
「会いたかったです、シェラ」
「わたしも……」
 彼女の手が彼の背を這い上がり、ぎゅ、と服を握った。
「一目お会いしたいと思っていました、フェイ様」
 にこりと、自然な微笑みがうかぶ。抱きしめる力がいっそう強くなった。その力に全身をゆだねたまま、シェラは何度も自分の名を呼ぶ声を聞いた。甘い満足感が全身に満たされていく。そうだ、あの暗い牢の中で欲していたのは、この声。そしてこのぬくもりだ。
「……お嬢様」
 フェイの向こう側から、カイハの震える声が聞こえた。
 だがそれはすぐに叫びに変わる。
「――危ない!」
 シェラとフェイが顔を上げたとき、フェイの後ろで白刃がひらめいた。カイハの魔法が解けたのだ。彼の弱い魔力では緊縛の術は長くは続かなかった。
 シェラは思わず目をつぶった。
「――ッ!」
 衝撃と共に、フェイの短いうめき声がした。
 ずるり……と、フェイの身体が離れていく。床に膝をついた彼の肩には、大きな傷がぱっくりと開いていた。
「王太子! くそっ、〈うよし――んぐっ!」
 癒しの魔法を使おうとしたところを正面から口をふさがれ、カイハの詠唱が止まった。
「おのれっ、魔法なんぞ使いおって!」
「貴様、鬼の子か!」
「殺せ!」
 次々に緊縛のとかれた男たちが騒ぎ始めた。カイハの口を押さえたまま、三人がかりで締め上げる。
 その様子を、アークノインとフィーネは呆然と見つめていた。
 ただシェラだけが、倒れたフェイにすがりついている。
「フェイ様、フェイ様――ッ!!」
 彼の肩からは血が溢れ、押さえた手をべっとりと濡らした。
「フェイ様、お気を確かに。フェイ様ッ!」
「大丈夫、です……っ」
「ですが、フェイ様……!」
 取りすがるうちに、フェイの顔を覆っていた黒いローブがとれてしまった。蒼白な顔は苦悶に歪められている。歯を食いしばったままの彼を見て、シェラはいっそう取り乱した。
「誰か、誰か医者を呼んでください、誰か――!!」
 シェラが振り返ったときだった。背後で両手を口に添えたまま、小さくなって震えていたフィーネが目を瞠った。彼女の視線はシェラ越しにフェイの顔とらえたまま、動かない。
「ふぁ……」
 空気を吸い込むかのように、フィーネは小さな口を開く。
「ファーラフェイお兄様――――!?」
 その甲高い声はほとんど絶叫だった。狭い通路を駆け抜け、表で待ち構えている守衛たちにも聞こえてしまうほどに。
 すぐに幾人もの足音が迫ってきた。
「どうした!?」
「なにがあったんだ!?」
「賊です」
 即座に動いたのはアークノインだった。彼は手にした仮面をフェイの顔に乗せると、澄ました声で、
「革命に反対する者たちの仕業でしょう。捨て置きなさい」
 とフェイにそっくりのよく響く声で告げた。
「はっ」
 元から騎士だったと思われる守衛が、思わず、といった様子でアークノインに敬礼を返し、はっと我に返ったようにその手を下ろした。
「魔法を使ったのはどいつだ!」
 守衛たちがフェイとカイハの辺りを取り囲む。カイハの頭をぐしゃぐしゃとかき回して確認し、
「鬼の子か……とにかく、城外に捨てよ」
「はっ」
「カイハッ」
 シェラが手を差しのばすと、口を封じられたカイハは視線だけでそれを拒絶した。自分を見捨ててでも逃げろ――そう、その眼は告げていた。だが、魔法も使えない彼女にはどうすることもできない。
 守衛がシェラの肩に手をかけた。
「処刑の時間が迫っています。さあ、早くこちらへ」
 彼がシェラを立ち上がらせようとしたとき、目の前で肩を押さえたまましゃがみ込んでいたフェイが、シェラへ手を伸ばした。
「待ちなさい……駄目です……! シェラ!!」
 痛みと必死に闘いながら、彼はシェラの手を掴んだ。きつく握りこむ力にシェラの指先が痺れていく。その力強い腕を、守衛の男が蹴り飛ばした。
「フェイ様っ!」
「っ!」
 痛みに顔をしかめたフェイの手が離れる。
 同時に、口を押さえられたままのカイハが何事かを叫んだ。
「ん――!」
「っ! いてぇッ!」
 そのとき、口をふさいでいた手にカイハがかみつき、引きはがした。
「お嬢様っ! 〈かうにごえ――」
 だがその詠唱は途切れる。カイハは後頭部をがつんと殴られ、その場に崩れ落ちた。
「カイハ!」
 名を呼んでもぴくりとも動かない。気を失ってしまったようだ。
「カイハッ、フェイ様っ!」
 守衛に引き立てられながら、シェラはフェイへ手を伸ばす。
「フェイ様、カイハを頼みますっ」
「シェラ!」
 フェイは肩の痛みに堪えながら、連れて行かれるシェラへ手を伸ばした。
 届かない。
「シェラ、シェラ――――!!」
 その声は空の牢に反響し、いつまでも聞こえた。
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