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4 水晶のぼんやりとした明りが、牢の端までかすかに届く。静かな地下の強結界の牢に、少女のすすり泣きが響いていた。 「お父様……お母様っ……ぅう」 フィーネはシェラの膝に顔を埋めて泣き続けていた。 牢に入れられて強で三日。はじめは柵にしがみついて叫んでいたフィーネも、シェラにすがりついて泣き伏せるようになった。 「お母様に会いたいですわ……、あぁ……」 国王と三人の王妃は、暴動の中で斬首されていた。炎に焼き出されたところを、民衆に捕まったという。現在は第二王子カティルを除いたすべての王族が投獄されているらしい。だが、この強結界の牢に入れられたのは、シェラとフィーネの陽の民。そして朽葉色の髪をした、頭を包帯で巻かれた男――アークノインだけだった。 「お父様……うぅ、お母様……」 「フィーネ様……」 シェラはフィーネの蜂蜜色の髪をゆっくりと撫でた。彼女もまた、胸に去来するのは家族のことだった。 ――今頃、お父様たちはどうしているかしら。まだ、ご存じないかもしれないけれど……。 思い出すのは出立の日、涙に袖を濡らしていた両親だ。人目もはばからず、大きな声で名を呼んでくれた母。別れに際し、力強く抱きしめてくれた父。その瞳は、シェラとその未来を見すえてうるんでいた。 今となってやっと、その涙の意味が少しだけわかった。豪商ゆえの緻密な情報網を持つ父は、早晩、こうなることを見越していたのかもしれない。そう思うと、父がシェラの髪を染めさせていたことや、最後までグルディンとの婚約を渋った理由がわかる気がした。 ――お父様……。 父の濡れた茶色の瞳を思い出し、シェラは息が詰るような恋しさを覚えた。 ――帰りたい……。せめて、お父様とお母様に会いたい。 この牢に流れる冷たい沈黙が、その思いを膨らませるようだった。いてもたってもいられなくて、ただ拳をきつく握りしめる。指先にフィーネの髪が数本、絡んだ。 ――それに。 シェラはゆっくりと左後ろを振り返る。そこには見慣れた濃緑の髪はなく、冷たい石壁があるだけだった。民衆――今となっては『革命軍』と名乗っているらしい――によって、カイハとは離ればなれにさせられた。今はどこにいるのかもわからない。 ――しっかり者のカイハのことだから、きっと大丈夫だと思うけど……。 それでも不安はおさまらない。慣れ親しんだ者の不在が、シェラの胸に小さな隙間を作っていた。その隙間を埋めようとする恐怖、焦燥、絶望感――それらと必死に戦い、シェラは気丈にも背筋を伸ばして座していた。 しかし、気を抜けばすぐに涙がこみ上げてくる。それを堪えさせてくれていたのは、あの人の存在だった。 ――……フェイ様。 シェラの膝の上で、フィーネが泣きづめて瞼を腫らした顔を上げた。 「なぜ……陽の民であるというだけで殺されなければならないのですの……?」 シェラは何も答えられなかった。 処刑の日取りが決まるまで、シェラたちはこの牢に閉じ込められるらしい。王制の象徴である陽の民と、朽葉色の髪をした者は、すべて処刑されるそうだ。第二王子のカティルのみ、逃亡に成功したため、少年の姿はないのだが。 「――諦めなさい、フィーネ。王妃は天に召されたのですから」 「お兄様……」 正面の牢獄の奥、隅に座りこんだ男が顔を上げた。彼の顔は白い包帯で巻かれ、人相はわからない。だがその声と朽葉色の髪色、そして包帯の隙間からのぞく碧眼が、彼が誰かを証明していた。――王太子ファーラフェイだと。 だが、そう思っているのはこの場でフィーネだけだった。 「死にたくありませんわ……死にたく……っ、な……」 フィーネは唇をわななかせ、声をあげてしゃくりあげ始めた。 シェラは何も言えず、ただ彼女の金髪を撫でた。 そして小さく呟く。 「フェイ様……どうかご無事で」 その声は膝元に伏せるフィーネにすら届かないほど、掠れていた。 ◆ 「――なぜです!」 ドンと、簡素な木製の机をフェイの拳が叩いた。 「いまだ結婚もしていない相手を――王族に連なってもいないただの婚約者を、陽の民であるというだけで処刑しなければならないなんて!」 彼の長い髪は赤がね色に染められていた。殺気立った民衆に襲われないようにという、同志たちの配慮だった。それを後ろへはねのけ、なおも言いつのろうとする。 「そもそもこの暴動自体が――」 「落ち着け、イェーフ」 机から跳ねた書類を、ノーストがまとめながら言った。 フェイは優しい作りの目元を鋭く細めて、机についているノーストを見下ろした。 「私のことはファーラフェイと呼んでください」 強硬な声に、机を囲む人々――『春啼き梟の会』の主催者たちの視線が、一斉にフェイへ向けられた。 「 ツヴェンがわざと大きな声で名を呼ぶ。 「その男はもうすぐ死ぬんだ。城の地下牢に拘束されて、処刑される日を待っている」 「それはアークノインです!」 「そんなことはどうでもいいんだよ」 ツヴェンは机を指先でとんとんと叩いた。その声は、はっきりと苛立っていた。 「いいかい、これは国を揺るがす大革命なんだ。そのためには、誰かがどこかで終幕を引かなければならない。それには旧制度の完璧な破壊がふさわしいんだ」 「陽の民はこの国の王制の象徴だからな」ノーストが腕組みをしながら口添えした。「根絶やしにしなければ、民もおさまらない」 フェイは顔を上げ、場の全員を見渡すと、毅然と言い放った。 「ならば私も一緒に処刑してください!」 「ふざけるな!」 ノーストが立ち上がり、フェイの左頬を殴った。 フェイは勢いよく後ろへ倒れ、狭い部屋の壁に後頭部をぶつけた。その口元から、一筋の血が流れ落ちる。 「何度も言わせるな。新政府が樹立し、国の安寧が果たされるまで、我らと共に全力を尽くすと誓ったのは誰だ! お前はその責務すら背負えないというのか!?」 「……シェラを救うまで、私は諦めません」 フェイは素早く立ち上がった。 「イェーフッ!」 彼はかけられた声を無視し、大股で部屋の扉へ向かった。扉を開け、部屋を出ると、バタンと勢いよく閉める。 扉のわきには、濃緑の髪をしたシェラの侍女――のふりをしていた、カイハが立っていた。 カイハはフェイの存在に怯えたように、一歩下がった。おそらく盗聴していたのだろう。鬼の子である彼には、復旧した結界などあってないような物だ。 フェイは彼の存在がなかったかのように、大股で歩き出す。 「待ってくださいっ、殿下。どちらへ向かわれるんですか?」 「敬称では呼ばないでください。敬語も必要ありません。今の私はただの一市民ですから」 「そう言われても……」 「どこへ行くか、と言いましたね。シェラを解放しに行くのです」 「一人でですか?」 カイハは素っ頓狂な声をあげた。 「無理ですよ。街の結界が強化されたのを知らないんですか?」 「知っています。私も魔法が使えなくなりましたから」 新しく張られた結界は以前のそれよりもずっと厳しくなっており、前のようにフェイが魔法を好きに使うことはできなくなっている。 奥歯を噛み締めながら足早に進むと、カイハが小走りに付いてきた。 「待ってください。確かに、あいつらはこっちの話なんか聞いちゃいません。でも、焦らないでくださいよ」 「焦らずにいられますか。彼らの一声で、シェラの命が潰えるかもしれないというときに」 「それは……」 カイハは途端に顔を強ばらせた。この男にとって、シェラの死ほど恐ろしい物はないようだ。 周りを確認すると、カイハはフェイの腕を引いた。小さな声で素早くささやく。 「お嬢様たちが強結界の牢にいるうちは手出しできません。処刑寸前になんとかして救い出しましょう。幸い自分は鬼の子です。結界なんて何の効果もありませんから」 「……魔力が弱いので、あまり大きな魔法は使えませんが」と、カイハは呟くように付け足した。 フェイは振り返り、自分より頭ひとつ下にある栗色の瞳と目を合わせた。 「…………」 カイハは一度、こくんと頷いた。 フェイが碧眼を伏せる。 「……わかりました。協力を願います、カイハ」 その声は溜息のように、ほのかな安堵を潜ませていた。 |
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