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 地上では炎に焼け出された人々が逃げ惑っていた。岩をも燃やす魔法の炎はおさまるところを見せず、城を囲う尖塔や門、前庭へと燃え広がっている。燃え尽きた生け垣の迷路を踏み散らかして、混乱した人々が逃げだそうと必死に駆けていた。
「なんてこと……」
 シェラは髪を隠すローブをかき寄せて、フェイの幽閉された塔へ向かう途中で足を止めた。人の波が行く手を遮っていたのだ。
 門から城へ続く道は、武器や松明を手にした街の人々でごった返していた。彼らは何かを叫びながら、ときおりこぶしや鍬を振り上げている。
「国王はどこだ! 王妃はどこにいる!」
「『民主論』の著者を出して!」
「『春啼き梟の会』の者たちを解放しろ!」
「そうだ、そうだ!」
 皆が一斉に何かを叫び、混乱が混乱を呼ぶ。暴徒たちは勢いに乗って城へと詰めかけていった。
「す、すみません、通して――」
 シェラとカイハが人並みをくぐり抜けようとしたとき。
「――やめろ、貴様ら!」
 大きな声がして、人の流れが止まった。
 城の大扉の前に、白い甲冑を着た数人の騎士たちが立ちふさがっていた。皆手に手に剣や銃を持ち、威嚇するように構えている。
「ここをどこと思うておる。国王陛下の居城だぞ!」
「そんなことはもちろん承知の上さ。国王に直接文句を言いに来たんだからね!」
 先頭に立つ若草色の髪の男――ツヴェンだ。ツヴェンが小馬鹿にしたように告げた。
 民衆たちが彼に同意し、雄叫びを上げた。
「もう城の結界はないんだ。僕らの中にだって魔法に秀でた者は多い。ここは素直に引いておくのが得策だと思うがね」
「寄せ集めの雑兵どもが……聞いて呆れる!」
「そのわりには、腰が引けてるみたいだけど?」
「な、なにおぉ?」
 騎士の声がひっくり返り、民衆がどっと笑った。
 事実、民衆の中には淡い髪色をした者たちが多くいた。魔力の強さは髪色が淡くなるほど強くなる。色によって魔法の得意不得意はあるが、総じて大がかりな魔法を使っても消耗が少ないのが特徴だ。
 それでも騎士は諦めず、剣を構えた。
「Ed,pritact mid arrand!」
 呪文を放つのと同時に、騎士が守る扉へ続く階段の上に、空間の歪みが生じた。分厚いガラスを透かしているように、騎士の顔がぐにゃりと歪む。
「突破できるものなら突破してみろ、暴徒ども!」
「Ed,braiknd!」
 民衆の誰かが短く叫ぶのと同時に、パリンと音がして防御壁は砕け散った。
「…………」
 騎士の顔を汗が伝った。
 民衆が武器を振り上げ、雄叫びをあげた。
「突破だ! 行けええええええぇぇ!」
「うぉぉおおおおお!!」
「おおおおおおお――!!」
 集団は騎士を押し倒し、踏みつけ、ついに城へと侵入を果たした。
 魔法の呪文が飛び交う。炎が飛び、水が降り注ぎ、風が巻き起こり、エントランスのシャンデリアが落下した。立ち並ぶ石柱が倒れ、階段が崩れ、民衆はどんどんと中へ入り込んでいく。炎から逃げようとする城の召使いたちを片っ端から殴り、組み伏せ、捕らえていった。
 ――もう、誰にも止められないわ……。
 シェラは一連の流れを無言で見つめていた。
「お嬢様、人の波が切れました。お早く」
「ええ」
 カイハに手を引かれるまま、シェラは農具を構える民衆の間をすり抜けていった。

     ◆

 城の西にある幽閉塔には、炎が大蛇のように巻き付いていた。火炎は術者の意のままにのたうち回り、上を目指して巻き上がっていく。炎の先が蛇の鎌首のように持ち上がり、塔の最上階にあるテラスを狙って、尖らせた先端を叩き付けようとしたとき。
 パアン、と大きな音がして、炎の首が弾け散った。
「とても強力な結界が施されているみたいね……」
 シェラは炎の風に遊ばれるローブを押さえながら、かたわらに立つカイハへ呟いた。
「王位継承権を持つ朽葉色の髪は、相当な魔法の使い手だそうですからね。魔力の量もさることながら、その制御力の高さが王の地位にふさわしいのだとか」
「確かに、私は時々暴走してしまうけれど、フェイ様にはそういうこと、なさそうね」
「ですが、強結界の牢のように、鬼の子を封じる術まで組み込んではいないでしょう。カイハに付いてきてください――〈えき〉」
 ふわりと、カイハの足が宙に浮いた。
 シェラも続けて魔法を放ち、塔のかたわらを飛び上がる。
「っと、うわ――」
 カイハがカクンと落ちそうになった。
「〈かりわ、たばし〉」
 シェラは素早く補助の魔法を使った。
「すみません、お嬢様」
「仕方ないわ。大丈夫よ」
 カイハの体勢が立ち直るころ、塔の最上階へたどり着いた。
 テラスに足が付いた瞬間、ビン、と痺れるような衝撃をうけた。石床に描かれた魔方陣は複雑にして繊細で、どんな魔力の持ち主でも無力化するということが、すぐにわかった。試しに呪文を放ってみたが、シェラの胸にある飛翔炎はまったく反応しなかった。
 テラスに繋がるガラス戸を開け、カーテンの端から中を覗く。
「いますか?」
「ちょっと待って、しー」
 カイハの問いかけに、シェラは声をひそめてこたえた。
 簡素な寝台しかないその部屋には、呆然と立ち尽くすフェイと、それに向かい合う臙脂色の髪と髭を蓄えた男――ノーストの姿があった。
「こんな暴動を起こして……。どうするつもりなのです、ノースト!」
 フェイの叱責には純粋な怒りがあった。
 ノーストは平然とこたえる。
「これが民衆の意志だ。俺たちはただちょっと煽ってみせただけさ」
「それがどれほど罪深いか……貴方はわかっているのですか。いったいどれだけの血が流れたと――」
「いずれこうする予定だった」
 ノーストはフェイの言葉に被せて言い、肩をすくめてみせた。
「俺たちも驚いてはいるんだ。お前の――『民主論』の著者の人望が、思ったより厚くてな」
 フェイはぐっと唇を噛み締め、ノーストを睨み付けた。
「今すぐこの暴動を止めてください。早くしないと……」
「暴動は止まらない。国王を倒すまではな」
「しかし」
 ノーストはよく響く声でとうとうと続けた。
「国王は処刑されるだろう。そのときに王太子であるお前まで殺されたら、俺たちは大切な仲間を失うことになる。わかってくれイェーフ。他の仲間はあいつらで解放できるが、お前だけはこのままじゃ――」
「私は行きません。王太子として、この国と共に滅びます」
 りん、と空気が凍る音がした。
 ノーストは目を瞠って息を吸い、
「バカなことを言うな。お前は『民主論』の著者だ。続編を書くという使命も待っているというのに、その使命を投げ出そうというのか!」
「ですがっ、その前に私はこの国の王太子なのです」
 フェイの反論を受けいれず、ノーストはフェイに歩み寄り、無理やり腕を取った。
「お前の椅子はもう用意してあるんだ。新たな民主的国家の重鎮としての役割がな」
「そんな……」
 言葉を失い、フェイは息をのんだ。
 そのとき。
「――なるほどな。すべてはお前の手引きだったというわけか」
 フェイによく似た声が奥の扉から響いた。
 扉が開けば、出てきたのはフェイと同じ朽葉色の長い髪をした騎士――
「アークノイン!」
 フェイはアークノインを注視した。
 彼は長い朽葉色の髪を背に流し、白鷲騎士団の甲冑を身につけて、抜き身の剣を血でしたたらせていた。
「下に待たせた仲間は――斬られたか」
 ノーストが冷静に呟いた。
 フェイはアークノインを見つめたまま、焦って首を横に振った。
「違います。私はけっして脱獄の手引きをしてたわけでは――」
「民はお前の本の一節を叫びながら、城を襲撃しているよ」
「――っ!」
「それは違います!」
 絶句して何も言えないフェイに代わって、シェラは思わず叫んでいた。カーテンを開け、彼女はカイハを連れて室内へ踏み込んだ。
 フェイは目を丸くして振り返った。
「シェラ、なぜ逃げていないのです。カイハも」
 その言葉を無視して、シェラはアークノインへ言葉を投げかけた。
「あれはフェイ様の本当の言葉ではありません。あの本は――『民主論』は、『春啼き梟の会』の方々が修正している箇所があるんです!」
「それでよいとして、出版したのは彼です」
 彼は言葉でシェラを退けた。
「アークノイン様っ」
 すがるような声は聞き入れられなかった。
 アークノインは真剣な面持ちでフェイとシェラを順に見つめた。
「私は……王命でフェイを――王太子を、殺しに来ました。民衆が『民主論』の著者を差し出せとうるさいからです。あんな物を書いたのが次期国王だと知られれば、城下のみならず、国中で暴動が起こるでしょう」
「はっ、さすがは愚鈍な国王だ。この期に及んでそんなくだらない保身とは」
 ノーストが鼻で嗤った。
 アークノインはこたえず、無言で剣を引き抜いた。フェイへ向けて剣を構える。
 フェイは剣を振り上げるアークノインを見つめたまま、
「やめてください、アーク!」
「ダメです!」
 シェラはなかば無意識に駆けだした。フェイを守るように、アークノインの前へ立ちふさがる。
 アークノインは無表情で告げた。
「……やるしかないんです。そこをどいてください、シェラ殿」
「この方を殺させるわけにはいきません。ノースト様、早く彼を連れて行ってください」
「シェラ!」
 フェイの大きな手がシェラの肩を掴んだ。シェラはそこへ自らの手を重ね、一度目を閉じると、素早く言い放った。
「行ってください。早く!」
「娘さん、恩にきる!」
 ノーストがフェイを抱えるようにして引っ張った。
 シェラのローブがハラリとほどけ、フェイの手に残る。
 白金の豊かな髪がふわりと広がった。
「――させん!」
 同時にアークノインが斬りかかった。
 シェラはぎゅっと目をつぶった。
 暗い視界の中で、カイハの叫び声が聞こえた。
「ぐああ――!!」
 フェイの声がした――
 ――違う、アークノインだ!
 シェラはおそるおそる目を開け、息をのんだ。
「――ひっ」
 目の前に、顔面を炎にあぶられたアークノインがいた。真っ赤な炎が顔を覆い、じりじりと皮膚を焼いている。肉の焦げる嫌な匂いがした。ぶすぶすとあがる煙は黒い。
 シェラは恐ろしさでその様子から目が放せなかった。
 即座に駆け寄ったカイハが、シェラの腕を掴んで引いた。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「カイハ、魔法を使ったの……?」
「はい。この結界も鬼の子には対応していませんでしたから」ぎゅっとシェラの腕を引き、テラスのほうへ引き寄せる。「王太子殿下は連れていかれました。我々も早く逃げましょう」
「……っう、ああ……」
 アークノインは不明瞭な声をあげながら顔を覆っていた。炎は消えていたが、いまだに指の間から煙が上がっている。
 そこへ、階下を駆け上がってきた白鷲騎士団の騎士たちが扉の前に集結した。
「団長!?」
「その怪我は……」
 彼らは甲冑姿を見て彼をアークノインだと判断したようだ。
「お前ら、早く、ファーラフェイを追いかけろ……」
 指示を出す指先を、騎士の一人が掴んだ。
「申し訳ありません、団長」彼は静かにアークノインの手を下げさせた。「我々はもう、貴方の部下ではありません。一個人として――『春啼き梟の会』に賛同いたします」
「なに……?」
「――そういうことだよ、王太子殿下・・・・・
 シェラの後ろから涼やかな声がした。振り向けば、若草色の髪の男――ツヴェンがアークノインを指さした。
「朽葉色の髪に碧眼――背格好も間違いない。アイゼン・ディル・ファーラフェイ王太子殿下だ」
 彼の後ろに控えた民衆や、結界の外で宙に浮いた人々が声を揃えて叫んだ。
「「「殺せ! 殺せ! 王制討伐!」」」
「「「殺せ! 殺せ! 王制討伐!」」」
「「「殺せ! 殺せ! 王制討伐!」」」
「違います!」
 騎士の一人が声を張り上げた。
「この方はおそらく――――」
 シェラはとっさにカイハから離れ、アークノインの腕を取った。
「その通り!」
 シェラは声を張り上げた。
「この方が王太子。わたしの婚約者です――!」
「お嬢様!」
 カイハが止めようとしたが、押し寄せた民衆たちに邪魔されてその手は届かなかった。
 人々はシェラとアークノインを取り囲み、しきりに「処刑!」「処刑!」と騒いだ。
「シェラ殿――」
 アークノインが強く手を握りかえしてきた。冷静さを取り戻したのか、色合いだけは優しい碧眼で辺りを見回し、小さく頷いた。
「……まあいい。欲しいものは一つを残してすべて燃えた。あの男の代わりというのが癪だが、貴女と共に死ねるなら本望といたしましょう」
 と、彼女の手に焼けただれた唇で口づけた。
「……冥府への道連れがわたしでは、不満ですか?」
「いいえ」
 シェラは表情を強ばらせながらも、毅然と告げた。
「あの人ではないことが、わたしには救いなのです」
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