8.一番おいしいのはだあれ?


 べったりと原油に濡れた全身が光る。
 むき出しだった筋肉を漆黒の油が覆って、パッと見、装甲みたいだ。潰れた両眼は油にコーティングされて、マスクをまぶってるみたいだった。大きく開いた口の中だけがひどく紅い。その口の中で鋭い牙を油が伝っていく。
 目が見えないはずの魔物は的確にこちらへ向かい、手を伸ばしていた。
 対する俺たちは、ほぼ丸腰。
 瞬時に隠し持っていたナイフを投げつけたが、当たり所が悪かったのかカツンと軽く弾かれた。あれだけ重い油をまとっているんだ。たとえ剣があっても、滑ってろくなことにならなかっただろう。
 鈍く空気を薙いで、魔物が重い腕を上げる。
「どきなさい!」
 重い音が響いて、レニィが俺の前へ出た。サーベルの華奢な鞘が魔物の爪を流して止める。
 水平に掲げた鞘を両手で押さえて、彼女が振り返った。
「あなたはルシェクリードを手伝ってあげて!」
「こっちは要らん、レニィをフォローしろ!」
「どっちだよ!!」
 前後から飛んできた命令へ律儀に答えたせいで、判断が一瞬遅れた。
 鋼の肉体に鞘がぶち当たる音が響く。だが、あれだけの巨体だ。何のダメージにもならないだろう。
 それでもレニアローツェは繰り返し鞘を振るう。
 対する魔物はガードすらしない。目が見えないのもあるだろうが、平然とこちらへ歩みよる足取りから、身を守る必要もないことが伺える。
 これはただの戦闘じゃない。
 防衛戦――いや、こちらの一方的な消耗戦だ。
 ならば活路は一つ。
 外。
 首をねじって友を振り返る。
「ルシェクリード、俺が――
 岩を崩すと告げるより早く、魔物が最寄のレニィではなく、俺へ向けて腕を薙いだ。
 丸腰の俺へ、油まみれの手が伸びる。素早く、風を巻き起こして。
 待て! 何で俺だ!?
「危ない!」
 瞬間、視界いっぱいに広がった金髪を、意識が認識する前に突き飛ばした。
 その隙が仇になって、俺は全身を撥ねられて数メートルは吹っ飛ぶ。
「って!」
 受身を取る前に、無様に床へ叩きつけられた。
 肋骨が嫌な音を発てたのが本気でくやしい。受身さえ取れてれば負わないレベルの怪我だ。その程度のこともできないくらい体がイカレてやがるのが、無性にくやしかった。
 痛む胸元を握り締めれば、べったりと手の平に重油が付着する。あーあ最悪。落ちないぞコレ。
 口の中いっぱいに広がった血の味を自覚して、俺は半分無意識に笑う。もちろん楽しいからでも美味しいからでもない。
 ほら、ムカつきすぎると笑えてくるじゃないか。
 そうさ。
 おっさんが『魔物ばらい』なら、なぜ敵は俺たちを追う?
 ――俺たちもまた、ヤツラの食糧だから。
 目の見えない敵が、どうやってついて来た?
 ――耳を頼りに? 片耳は俺が削いだはずだ。
 ならばなぜ俺だけを狙う?
 ――……血の匂いを辿って。
 自分の失態にハラワタが煮えくり返るね。
「……ルシェクリード」
 口元をぬぐいながら膝を立てる。すぐさま立ち上がるなんて芸当はとてもじゃないができない。
「ちょっとした魔法なら、使えるか?」
 ふらつく頭を上げてみれば、ずいぶん遠くへ吹っ飛ばされたものだ。
 離れていたはずの友人の顔がすぐ近くにあった。よくよく見れば、まあ、悪い部類じゃない。かな。明るくてよく分かんないけど。
「魔法は無理だが……これがある」
 友人がポケットから取り出したものを見て、俺がニヤリと笑みを返す。
 手の中でカシャカシャと鳴る簡易着火具。通称マッチ。
 敵さんは石油まみれの真っ黒けだ。火をつければどうなるか、考えるまでもない。
「だが、先に外へ出なければ」
 小箱を握りしめて、ルシェクリードが小さく舌打ちした。
 一撃必殺の手段だが、この狭い地下じゃ燃えてくれる酸素がない。加えて気化燃料で一帯がボン! なんて可能性もある。
「分かった、お前は下がってろ。その腕、使いもんにならないんだろ。俺に任せとけよ」
「何をする気だ?」
 勘の良い友人が鋭く睨む。
 ボロボロのお前に何ができると告げてくる冷酷な視線を、俺はさらっと流して捨てた。
「ジョムスのおっさんは魔物ばらいだ。となると、奴の狙いは俺たち三人。それも一番出血が多い俺の匂いを頼りにしてる。俺が囮になれば、うまく奴を利用してこの壁に大穴を開けられるかもしれない」
「駄目だ。今のお前じゃ避けられない」
 冷たく言い切る中に焦りが滲んでいた。
 無駄話は仕舞いだと、顔をそらした友の横顔を真っ直ぐ見据える。
「あいつは両目が潰れているうえに、耳も片方ないんだぞ。もう血の匂いにしか反応できない。俺じゃなきゃ引き付けられないんだ」
「駄目だ。――レニィ! そいつをここへぶち当てろ!」
 話もそこそこに、ルシェクリードが前線へ指示を飛ばす。
 魔物をこちらへ来させないよう、矢のような攻撃を加えていたレニィが慌てて答えた。
「どうやって!? きゃっ」
 発した声を頼りに魔物が一撃を加える。
 間髪よける華奢な身体。鮮やかな金髪が差し込む光を反射して、きらきらと輝いた。
 指示の甘さを指摘されて、ルシェクリードが一瞬うろたえる。
「それは――……」
「俺が囮になる!! こっちへ誘導してくれ!」
 友の声に被さるようにして、女史へ手をあげた。
 鋭く睨み付けてくる紫の猫の目。
 笑って答えた。
「悪いな。ここは俺の『ドクダンジョー』だ」
「本当は『独擅場どくせんじょう』が正しいらしいぞ」
「ああ、それいいね、『独戦場』」
 軽くふざけて友人の手から鞘とマッチをひったくり、立ち位置を交代する。
「お前はおっさんと一緒に下がってな。あと、そう」
 穏やかに友の肩を押しやった。
「腕、悪かったな」
 友人は無言で俺を睨みつけていた。自分の無力を呪って、口元をきつく引き結ぶ。
 強い視線から逃れるように、俺は友へ背を向けた。
 同時、バシリと痛そうな音がして、レニィが壁へはね飛ばされた。気を失ったのかそのままずるずるとへたり込む。
「レニ……!」
 動かなくなったのか幸いしてか、目の見えない魔物では位置が把握できなくなったらしい。
 魔物が鼻で匂いをたどるように俺へ向き直った。その、油にまみれた醜い顔。
 闇に浮かぶ黒い巨体へ、挑発するように笑いかけた。
「さあ。来いよ、デカブツ」
 今、この中でヤツの注意を引くものは、頭から足まで全身血だらけの俺だけだ。
 さぞや甘い匂いを漂わせていることだろう。
 ま、俺自身はもう鼻が麻痺してて分からないんだけどさ。
 でも、俺もお前の気持ち、よく分かるよ。
「めちゃめちゃ旨そう、だろ」
 小さく上唇を舐めるのと同時、魔物がこちらへ歩きだした。狭い通路を擦るようにして、一歩一歩確実に間を詰めてくる。
 おっさんはこの動き、見えてんのかな? なんてどうでも良いことを考えつつ、俺は腰を落として鞘を構えた。
 鞘はあくまで防御だ。理想は紙一重で避け切ることだが、そう上手くはいかないだろう。巻き込まれそうな部分は鞘で受け流しつつ、致命傷を追わなければ大成功。
 失敗は即ち、死を意味する。
 鋭い鍵爪へ標準を合わせた瞬間、魔物が鼻を蠢かせて顔を上げた。
 一瞬ためらうように止まり――駆け出す。
 壁際に立つ俺を通り過ぎ、ルシェクリードとおっさんへ。
「え、ちょ、オイ――!?」
 ここまで来てソッチかよ!!
 俺は状況が飲み込めないまま後を追う。驚きで頭のタガが外れたのか、ボロボロの体にしては上出来なぐらい素早く動けた。
 重い体が仇になる魔物と違い、俺たちは素早い。すぐに追いついてギリギリで前へ回り込む。
「ひええっ」
 腰を抜かせたおっさんをルシェクリードが蹴飛ばしたのと、奴の前で俺の鞘が鍵爪を受け流したのはほぼ同時。安物が災いしてか、皮の装丁が千切れて飛んだ。
「なんでお前ばっかり大人気なんだよ!!」
 壁の前に二人重なって追い詰められ、俺がキレて吼えた。
「……たぶん」
 さすがに引きつった声が背後から届く。
「避けられたのは、お前のその、服の汚れのせいじゃないか?」
――あ。」
 自分の胸元を握り締める。
 さっき魔物と接触した時、胸の辺りにべったりと付着した重油。科学的な悪臭を撒き散らす服を嫌がって、魔物は俺を避けた。ルシェクリードは俺に噛まれた腕の怪我があるから、わずかとはいえ血の匂いを纏わせているだろうし。
 なるほどねー。
 とか言ってる余裕はない。左から頭を狙う拳をかがんで避ける。
 間髪入れず、右から追撃。鞘で受けて逸らした。先半分が折れて吹っ飛ぶ。
 ほとんど反射で対応しながら、俺は自分の置かれた状況を理解した。半分になった鞘でどれだけもつか。運命の女神が口を挟む隙間もない、必然的な死のルートが見えた。
「ロイエス」
「なんだよっ!」
 知らず気が立っていたらしい。勢いのままに振り返りそうになったのを、後頭部を掴まれて止められた。五本の指に込められた力が『ここで集中を切らしたら死ぬぞ』と伝えてくる。
 首の後ろから、きわめて冷静なささやきが届いた。
「さっき刺したサーベルの位置、覚えてるか?」
 気付くのと同時、一撃を繰り出そうとしていた魔物の脇内に鞘を投げつけた。滑るように身を屈め、懐へ潜り込む。
 べったりと分厚く原油を纏った黒い魔物の胸板。一目見ただけでその突起に気付くのは難しい。油にまみれながらわずかに盛り上がったその場所へ、記憶を頼りに手を伸ばした。
 頼む。あってくれ!!
 指先が堅いものに触れる。
「握れ。絶対に手を滑らすな」
 魔物の腹に刺さったサーベルの柄を強く握る。
 合わせて右側へ付いてきていたルシェクリードの左手が、俺の右手首を掴んだ。
 バカ力で俺ごと剣を振るう。
 手の中で感じるのは魔物の肉が裂けていく感触と、切っ先が骨に引っかかる違和感。
 やばい、剣が折れる!
 ルシェクリードは剣の握り方も知らない素人だ。俺を介して力任せに薙いでいるだけで、技術のギの字も分かっちゃいない。
 とっさに手首を返して、切っ先まで流麗に力を伝えた。
 鈍い感触がして、魔物の太い骨が折れる。
 冗談じゃねぇ。
 こいつ、剣で魔物の骨を断ちやがった。
 轟く、耳をつんざく咆哮。
 そのまま二人、重なるようにして床へ滑り込んだ。
 首をめぐらせて上を見れば、魔物が倒れ込む勢いで頭から岩を突き破るところだった。
 一気に降り注いだ太陽の光に、目が焼かれそうだ。
 真っ白な視界の中、俺の頭上をゆっくりと小さな赤い炎が飛んでいった。
 赤?
 違和感に気付くより早く、火種は魔物へ着地する。
 原油にまみれたその背中へ。
 一瞬で炎が巨躯を包んだ。
 天を仰いで魔物が絶叫する。
 青い空に、その絵は実によく映えた。



 床に投げ出されたまま一ミリも動けないでいた俺を助け起こしながら、おっさんはやっぱりへらっと笑った。
「いやあ、危機一髪でしたねぇー」
 太陽の下で見たおっさんは、ぐしゃぐしゃの茶髪が目立つ、やっぱり普通のおっさんだった。その手にはへたくそな馬の絵が付いたマッチ箱が握られている。俺たちが使う色つきマッチとは品格もまったく劣る、安っぽくて簡単な包装だ。クシャッと握ればそれまでのモノ。
「まさかおっさんに美味しいところを取られるとは思わなかったぜ」
「同感だ」
 倒れ込んだ拍子に頭を打ったらしく、ルシェクリードが頭を押さえて立ち上がった。
「いやいや、とっさにレニィさんが指示してくれなければ、私には見えてませんでしたからー」
 俺たちの発言を素直に褒め言葉と受け取ったおっさんが、照れて頭をぼりぼりかく。ああ、何かが若干伝わらない……そこが人間か。
「この二人が追い詰められている間にジョムスさんが介抱してくれなければ、私はずっと気を失ったままでした。ジョムスさんのお手柄ですよ」
 するりと闇を脱ぐように、レニィが光の差し込む位置へ現れた。
「レニィ! 無事だったのか!」
「おかげさまで。ジョムスさんが気付け薬を持ってて助かったわ」
 彼女は俺と同じく全身ボロボロで、綺麗な金髪や頬にまで原油がべったりと付着している。怪我も少なくないが、気丈に背筋をピンと伸ばす姿に弱さは見受けられなかった。
「よかったー、レニィが倒れたときは俺、どうしようかと」
「私が気を失う寸前に見たあなたは、必死でルシェクリードの元へ駆け寄っていたようだけどね」
「えあっ!? それはその、魔物があっちへ行ったからで。戦うためで! 決してルシェクリードの野郎のほうが大事だとか心配だとかではなくっ」
「あら、照れなくていいのに」
「照れてません! 頼むからこれ以上誤解を深めないでくださいッ!!」
 必死で頼み込む俺へ、レニィは肩をすくめてうそぶいた。
「誤解なんかしてないわよ。ねえ、ルシェクリード」
「レニィ、お前、わざとやってるだろ……」
 ぼそりと呟いた声が疲れきっている。久々に太陽の下で見るルシェクリードは、やっぱりどこかパッとしない。
 そんな友へ、女史は気心知れた笑顔を向けた。
「だってあなたたち、仲が良すぎて妬けるんですもの」
 その笑みが一瞬で消える。
 彼女が鋭い一瞥を向けた先では、魔物が燃え上がりながらゆっくりと立ち上がろうとしていた。
 それを見た瞬間、俺の意識が一気に覚醒した。あたりに漂う科学的な刺激臭と、有機物が焼け焦げる独特の匂いを自覚する。
「どうする?」
「外に出られたのだから、逃げたほうが良いわ」
「ああ。俺がおっさんを抱えるから、ロイエスは――
 的確な指示が止まった。
 同時、三人がおっさんに覆いかぶさるようにして地面へ身を投げる。
 回避したのは目の前の魔物の攻撃じゃない。後ろだ。
 後方から水平に飛来した無数の剣が、炎を巻き上げ続ける魔物の体に突き刺さった。

「また会ったようだね、坊やたち」

 低く、どこか甘い声が降りかかる。
 目を上げれば、顔のすぐわきに磨きぬかれた黒革のブーツ。
 漆黒の軍服に身を包んだ調査団長が立っていた。
 白日の下、銀に近い淡い髪が柔らかく風にうねる。年のころは人間で言えば四十前といったところだろうか。もっとも同族の、特に成人の年齢は見た目じゃ分からないんだが。
「色々と話を聞きたいところだが……魔物の討伐は軍の規約において最優先事項。少々待っていてくれないかね?」
 くすりと微笑む横顔が楽しげに魔物を捉えている。
 俺が答えようとする前に、彼は地を蹴って軽やかに跳躍した。長いコートのすそが青空に踊る。
 燃え盛る魔物の頭上に音もなく着地し、その首を狙って得物を高く振りかぶる。自身の身の丈をゆうに超えた長い柄を持つ、巨大な戦斧。鈍色の斧頭が魔物の頭部と同じぐらい大きい。
 垂直に掲げられた切っ先が、日の光を反射して眩しく輝いていた。



「……さてと。お待ちいただき有難う。では、以前の続きをお話ししましょうか」
 血の滴る大斧をステッキでもつくみたいに軽々と大地へ立てて、調査団長が俺たちへ向き直った。
 周囲を奴の部下に取り囲まれている以上、おとなしくしておくのが賢い。しかも最悪なことに、さっき三人で突き飛ばしたせいで、か弱いおっさんはすっかり気を失ってしまっている。これだけの数の同族を前に人間を抱えて逃げられるほど、俺たちの体力は残っちゃいなかった。
 俺は覇気をなくして、小さく溜息をつく。
 あれだけ手こずった相手を目の前で手品みたいに片付けられれば、誰だって落ち込むだろう。ドスンと落ちた魔物の頭なんて、しばらく夢に見そうだ。
 剣とあんな大斧を比べるわけじゃないが、どちらも素材に大差はない。どっかのバカ力ならいざ知らず、骨に当たればピシッとヒビが入るのが常識だ。今みたいに一瞬で首を落としてみせるには、頸椎の間を埋める椎間板を見定めていないと不可能で。そうなるには相当の経験と熟練とセンスが必要で。
 そんな相手が目の前にいるうえに、周りはその部下で固められている、と。
 あっれー、冷や汗が止まんないぞ〜?
 俺たち四人は口角に乾いた笑みを貼り付けて、じりじり寄り集まった。
「ち、ちょっと待ってください。あの、なぜ僕たちがここにいると……?」
 誰が聴いてもわかる、苦し紛れの時間稼ぎ。声も態度も、自分で自分に同情したくなるぐらい情けなかった。
 隊長が元貴族特有の薄い氷のような笑みを浮かべる。
「それはこのカラシェラッチェ遺跡へ、という意味かね? それとも今、我々がニーダン遺跡へ続く地下通路の周辺で待機していたことについてかな?」
「遺跡へ続いている……?」
 即座に反応したのはルシェクリードだった。こんな時でも遺跡バカなのかお前はっ!
 頷く代わりに、男がすっと西を示した。手袋を取った手は、あんな巨大な斧を振り回せるなんて思えないくらい繊細な指だった。
「前回の調査場所がニーダン遺跡でね。面白い連絡通路が見つかったものの、途中で分断されていたので、到達地点と予測されるこの遺跡を調べる手筈になっていたんだ。このままうまく進めば三日ほどで着いていただろう。人間を連れてなら、その三倍はかかったかもしれないが」
「先回りするつもりだったんですか?」
「君たちがそこまでもてば、最終的にはそうなっていただろうね。この辺りは昔から地殻変動の多いところだ。部分的に石灰質も含んでいる。水路や通路が鍾乳洞で網の目状に繋がっているせいで、我々も手出しがしづらくてね……。成長期の子供では餓えに耐え切れまいと判断して、地上で待ち構えていたよ。楽しかったろう? 大自然の迷宮は」
 俺たちの行動半径を予測して、地表でじわじわと囲い込んでいたわけか……。同族の耳は人によっちゃあ半端なく良いから、地下での騒ぎも察知されてたかもしれない。
 事情を察して、ルシェクリードが鋭く舌打ちした。
「先にそっちの遺跡で同様の宝玉が見つかっているから、どいつもこいつも執拗に宝を欲しがるわけか……」
「その通り。物分りの良い子たちだから繰り返す必要はないね。――さあ、渡しなさい。持っているのだろう?」
 こいつらの狙いはあの宝玉ただ一つで、調査なんてどうでもいいらしい。これじゃあ遺跡泥棒と呼ばれてもしょうがないか。俺たちも同類だけど。
「残念ながら、魔物とおっかけっこしてるうちにどっか行きました。命が掛かってたらお宝なんて相手にしてられませんー」
 あながち嘘じゃない。実際俺は落とし穴に落ちた後、あのダイヤをどこにしまって誰が持ってるのか、まったく把握していなかった。
 すぐさま取り巻きに脇腹を蹴り飛ばされる。地面に倒れこんで文字通り砂を噛んだ。背骨が折れなかったから手加減はしてくれたようだが、弱った体にはマジでよく効く。
「あります」
 硬い声の主はレニィ。
 彼女の細い人差し指と親指が大きなピンクダイヤを挟んでいる。
 男が目元を細めてレニィを見た。裏側にウジャウジャしたものを飼ってそうな微笑みは少しも揺らがない。うすら寒い薄紫の目が猫というより爬虫類を思い出させた。
「殊勝な娘さんだ。こちらへ」
 強張った表情のままレニィは動かない。鮮やかな緑の瞳が男を射抜く。
「……私たちと、この人間の安全を約束してください」
「人間まで? 厄介な……」
 つとめて嫌そうに、隊長が眉を寄せた。
 それだけで相手の腹積もりがわかる。この男を含め、この場にいる同族は10人以上。彼ら全員に手を出すなと命じたとして、どこまで効くかは上司の腕と日ごろの目の光らせ方に寄る。おそらくこの男は、端々まで管理するのが面倒で仕方ない放任主義なんだろう。才能だけでのし上がったタイプに多いと聞く。
 ため息をついて、隊長が腰に左手を添えた。右手はしっかり斧を握っている。
「いいですか。私たちには力をもってそれを奪うという選択肢もあるのですよ?」
「約束してください。じゃないと」
 聞き分けのない子供のように相手の言葉を制して、レニアローツェが右腕を振り上げた。いつでも地面に叩きつけられるよう、ダイヤを硬く握り締めて。
 最高の強度を誇るダイヤモンドも衝撃には弱いと、最初にレニィが言っていた。同族の力で真上から叩き潰せば、パーンってなるかもしれない。パーンって。
 びりっと緊張が走った取巻きたちと違い、隊長さんは平静を崩さなかった。
「脅しにはのらないよ。そのダイヤには古代の呪法がかかっている。落とそうが叩こうが雷に打たれようが、決して傷つかない」
「そうでもない」
 気負いない声の主はルシェクリード。すっかりぼさぼさになった黒髪を目元に被せ、その下から鋭い視線を送っている。
「その魔法陣はもう機能していない。俺は魔法使いだから分かる」
「同族の魔法使い……ね。君が噂の秘蔵っ子か」
 男はわけ知り顔で頷くと、興味深げにルシェクリードを眺めた。何を思ったか、ふいにその笑みが一つ、深くなる。
 品定めするような視線を、友は無頓着に受け流した。
「言っておくが脅しじゃない。なんなら今すぐその魔方陣を消し去ってやろうか?」
 ピシリと空気がガラスになったかのように、俺とレニィを含めた周りの動きが止まった。
 ダイヤに描かれた魔法人陣を消すだって?
 おいおいおい、ハッタリすぎるだろ。
 そんな力がこの低魔力のヘタレに残ってるはずがねぇ。
 引きつりそうになる顔を必死で抑えて、俺は地面に伏したままの身を起こした。見上げた友の顔は平然を通りこして超然としている。……いい根性してるよ、ほんと。
 面の皮の厚さならこちらも負けじと、隊長が威圧を含めて視線を尖らせた。
「言葉遣いには気をつけたまえ。そうなる前に君の首をへし折ることだってできるのだから」
「させませんよ」
 俺は素早く立ち上がり、右手に携えたサーベルを構えた。
 一つ前へ出て、隊長と正面から対峙する。
 男の目が蔑みをたたえて嗤った。
「自分を見てみたまえ。その状態で何ができるというのだね」
「前衛の本分は捨て駒でしょう?」
 そうだよ、今の俺はボロボロのズタズタだ。本音を言えば貧血で目が回る。あっちこっちにガタが来て、なんで動けるのかも分からない。けどそんなのは後回しだ。
 振り返って、面の皮の厚い友人に笑いかけた。
「一瞬あれば、十分だろ?」
「ああ」
 ハッタリをさらっと嘘で返してくる。いつも自分は本心しか言わないって顔してるくせに、いざとなるとこうだもんな。ほんとに元貴族育ちは恐ろしい。
 レニアローツェが握り込むようにダイヤへ力を込めた。きつめの目元が強く相手を見据える。無駄な迫力は出さず、威嚇もない。けれど無駄のない強かさがある。
「約束してください。絶対にこの人間には手を出さないと」
 その目が一言だけ添える。必要ならばやる、と。
 俺とルシェクリードが視線で頷きあった。
 隊長が呻くように呟いた。
「まったく。明日の軍旗を背負おうという若者が、こんなところで命を無駄にするなど……」
 ええ、軟弱でしょう。分かってるよ。これがこの上なく甘ったれた、恥ずかしい手段だってことは。
 一歩、隊長が間合いを詰める。それに合わせて取巻きたちも円陣を狭めた。
 気絶したおっさんをかかえた俺たちには、もう行き場がない。気を抜くと心音が乱れそうだ。耳の良い奴には微妙な息遣いでビビってるのがモロバレだろう。
 奥歯を噛み締めて覚悟を決めた。
 薄い紫の瞳が眩しげに細められる。偶然に俺のサーベルが日の光を反射したのかもしれないが、それだけじゃない気もする。
「ばかげている。まったくばかげている。――――良いでしょう。我が名と命、そして偉大なるヴァルツァーラ大憲法にかけて、その人間の命を保障すると誓いましょう」
「え?」
 あっさりと言い切られ、俺たち三人が目を見張る。
 な、何があったの。今の沈黙の間にこの方の中で何があったのっ!?
 俺たち三人はそろそろと互いに顔を見合わせて、それぞれが読んだ空気を確認し合う。……信用でき……る、のか?
「そんなに心配しなくても、部下たちが証人です。日ごろからそれほど慕われていないので、私が誓いに反すれば喜んで陥れてくれるでしょう。彼らもそろそろ一つ上のポストが欲しい頃でしょうし。ねぇ?」
 いやらしい笑みで周りを見回す隊長と、さりげなく目を逸らす部下の方々。うわ、この人たち、実はスンゲー苦労してる。なんか知らないけどそんな気がする。
 彼らの態度に偽りなしと判断した瞬間、俺はその場にバッタリと倒れこんだ。
 もう、指ひとつ動かねぇ。



 調査団に保護された俺たちは、怪我の手当てをしてもらった。怪我はそこそこひどいけど、血液さえ摂取できてれば心配するほどじゃない。しばらく寝てりゃ治るレベルだ。あ、折れた骨だけはちゃんと固定してもらわないと困るけどさ。
 しかも、見るからにボロボロの俺たち(特に俺)に同情したのか、血液パックまで分けてくれた。正直涙出そうになった。
「いっただっきまーす!」
 喜び勇んでかぶりつく。
 その時、俺はすっかり忘れてたんだ。
 普通にお湯で解凍された血液が、めちゃめちゃマズイってことを。
「うぼぇっ」
 どろっとした下舌触りに呻く。やべぇ、本能で吐き出さなかった自分の餓えっぷりが怖いぐらいマズイ! ここのところルシェクリードに魔法で解凍してもらってたせいで、すっかり口が肥えてたみたいだ。
「ロイエス、もったいないことしないで」
「うええ、よく飲めんなレニィ。これ、タンパク質が凝固してんじゃん。保存状況も絶対よろしくないぜ?」
「文句も言わない。野外では雑菌の繁殖を防ぐために一度沸騰させるって、授業で習ったでしょう」
「そうだっけ?」
 調査団の人に聞くと、加熱処理に加えて、諸事情で一度解凍したのをまた凍らせて保存してたとか。「戦地では多重解凍なんてよくあることだから、慣れておくに越したことはない」とか軽くいなされた。ううう、過酷だ。
 これならルシェクリードの血のほうが百倍マシだったぜ……。気分的には最悪だけど。
 はあっと溜め息をついて下を見おろすと、右手がガチガチにサーベルを握り締めていた。無意識に手放してなかったらしいんだけど、それ以外の動作をナチュラルに左手でやってた自分にも驚きだ。いや、学院でそういう動作を叩き込まれてるんだけどさ。実際できるわけねーじゃんって思ってた類の訓練だったから、ついね。
「そうだ忘れてた。レニィ、預かってた剣、返すよ」
 固まった指を引っぺがして、サーベルを差し出す。細い刀身は血と原油にまみれてぐちゃぐちゃだけど、刃こぼれだけはしてないようだった。
「粗末に扱ってごめんな。ほんと助かった」
――もう」
 ふわりと鳥の羽が風に舞い上がるような軽さでレニアローツェが微笑む。
 白い手が伸びて、緩やかな動作で剣の柄を握り、
 返す勢いで、俺のこめかみを横殴りに叩きつけた。
「いっ……!!」
 ガツーンと飛び込んできた衝撃に、目の奥で火花がぱあっと散る。
「あなたが粗末にしてるのは武器だけじゃないわ。頭抱えて反省なさい」
「ええええっ、ナニッ? 何!? 俺、何か悪いことしましたかレニアローツェ女史!!」
 頭を抱えながらとっさに叫ぶも、さっと背を向けて歩き去られて、俺もう呆然。
 なんだろなんだろ。何かレニィの癇に障るようなことしたっけ? 粗末にしてる……粗末って……あっ、自分の剣バッキバキに折っちゃったことかな!? それとも学食で嫌いな食いモンが出るとコッソリ捨ててることがバレてた!?
「つくづく女泣かせですねぇ、ロイエス君は」
 真剣に困り果てる俺へ、いつの間にか意識を取り戻したおっさんがやってきて、しみじみと頷きかけてきた。
「はいィイッ!? ちょぇ、おっさん起きてたの!? いきなり現れて意味わかんないんすけど!!」
 おっさんに付き添っていたルシェクリードも、水を飲みながら現れる。
「元気になると途端に騒がしいな、お前」
「ルシェクリード! 聞いてくれよ、なんか知らんがレニィに怒られた!」
「見てた。自業自得すぎて何も言えん」
 相変わらず、言い様に愛嬌のカケラもねぇ。
 友はこんな時でもポーカーフェイスを崩さず、親指で背後を示した。
「そんなことより調査団がジープを持ってきてくれたぞ。今すぐ行って着替えて来い。お前のその格好、同族には刺激が強すぎる」
「気持ち悪いこと言うな。ああそうだ。お前の怪我も手当てしてもらえよ。最初ちょっと沁みるけど、楽になるぞ」
 ちょっとどころじゃなく沁みたけどな。
 涙目で治療を受けていた俺の姿を思い出したのか、友は引いた顔で腕をさすり、
「あー…………。今は遠慮す」
「子供は遠慮なんてしなくて良いんです。我々とて、どうせこのまま帰るだけの仕事ですからね」
「うあっ! 隊長さん!」
 背後からいきなり声をかけられてのぞけった。
 振り向けば、隊長さんが鋭い視線をルシェクリードへ向けている。
「君。その腕の傷は?」
 隊長さんはつかつかと友へ歩み寄り、その右手を掴んで掲げた。
 突っ張った袖口から腕が伸び、太陽の光にさらされる。
 明らかな噛み跡。
 傷の間隔から、一目で女の細顎ではありえないと分かる。
 とっさに何も言えず、俺たち二人の間に気まずい沈黙がよぎった。
「……これはこれは。完璧を誇る我らが法にも、面白い抜け穴があるものだ」
 隊長さんはわざと大げさに目を見張ると、にやりと笑って肩をすくめた。
「これで少しは君達も分かってくれただろうか、戦場の過酷さを」
 ……その後、俺たちが言葉少なに同意したのは言うまでもない。
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