3.ご褒美はちょっとおあずけ 段の高い石造りの階段をのぼると、ひらけた場所に出た。 高い天井はドーム型にくりぬかれていて、内側にうっすら絵らしきものが窺える。支える柱は半端なく太く、でかい。風のない地下での保存状態は想像以上に良くて、彫り込まれた彫刻の跡すら見分けることができた。 「教会みたいね……」 レニィが天井を見上げつつ、感動を込めて呟いた。 吸血鬼が教会なんてよく知ってるとか人間たちは言うんだろうが、俺たちにだって宗教ぐらいある。しかも人間が崇めてるのとほぼ同じなんだなコレが。宗派が違うから微妙に教義が違うんだけどさ。 「ああ。いわば教会の原型だ。ヴァルツの教会も元は……」 知ったかぶって説明を加えようとしたルシェクリードが、うっかりヴァルツの名前を出して口をつぐんだ。 俺たちは国という概念を持たない。人間たちが自分の感覚で地図に線を引いているのとは別に、俺たちの祖先は自らの領地を持っていた。縄張りと言ってもいい。それが、人間によって迫害され、西の果ての荒野まで追いやられたという。 水の代わりに漆黒の油が湧く不毛の地で同族が寄り集まって作った街、それがヴァルツだ。今は大総統の私有地という扱いになっている。 人間たちはヴァルツの存在を知らない。 俺たちとかかわりを持とうとするごく一部の人間を除いて、吸血鬼とやらは闇の中に住む化け物だと思っているからだ。この世のどこでもない場所に潜み、陽光で灰と化す、儚くも哀れな存在。 なあーんて、ファンタスティック! 人間の見事な誤解っぷりを聞くたび、俺は呆れるとともに「実物はこんなんでゴメンナサイ」とか思う。 血こそ飲むものの、俺たちは健康に生きてるし、太陽の光だって何の害もない。杭なんぞ胸に刺さなくても、剣で斬られりゃ普通に死ぬし。そりゃあ、弱っちい人間たちとは比べ物にならないぐらいの耐久性はありますが。 などとどうでも良いことをつらつら考えているうちに、広間の全貌が分かってきた。 祭壇の中央にはお決まりのように石の台座があって、その上にでっかい水晶玉が燦然と輝いていた。台座の上に据えられた土台にすっぽり嵌っている。磨き上げられた表面がカンテラの明かりを反射して、グラサン越しでも眩しいぐらいだ。 「うっわ、俺こういう映画見たことある! この後パーティのダメっぽい奴が欲望に駆られてこっそり盗っちゃって、トラップ発動とかすんの。もしくは遺跡大崩壊」 「今その役をするならお前だな」 「しねえし!」 「ロイエスは近づいちゃダメよ。あなた絶対転んで割っちゃうタイプだわ」 「何そのイメージ!?」 俺ってそんなドジっ子ですか。野郎でドジっ子って痛すぎだろ。 感動も何もあったもんじゃない俺とは対照的に、おっさんはノリノリで祭壇の周りをうろちょろしている。子供みたいに目をキラキラさせてメモを取りまくるものの、決してオーブには触らない。このへんプロっすね。 「あー、これはごく普通の水晶ですねぇー。この系統の神殿跡にはよく見られる物です。それほど珍しい物では……おや、おかしいなぁ。どうもこれはー……」 言うなりおっさん、ペンでオーブをコンコンとつつきやがった。 「あ」 ごっとん、と土台からオーブが外れる。 「おっさあああん!?」 あんたプロじゃん。専門家じゃん。何やってんのプロフェッショナル!! 俺があんぐりと口を開けたまま身動きできないでいた、その瞬間。 「「バカ!!」」 「うぼあっ!」 今度はレニィとルシェクリード、二人が同時に俺をぶっ飛ばした。 一人は女の子とはいえ、同族の腕力は半端ない。俺は上半身をねじって吹っ飛び、横っ面から壁にぶち当たった。持ってたおっさんのリュックがどっかに吹っ飛んでガシャンゴシャンと嫌な音をたてたが、気にしてなんかいられない。 痛い。コレは痛い。心の痛みが半端ない。バカって。俺なんもしてないじゃんかー! なんて冗談はさておき。 俺は吹っ飛ばされながらも、自分のいた場所が抉れる物騒な音を聞き逃しはしなかった。すぐさま剣を抜き放ち、壁を蹴って斬り込む。 飛び掛った勢いのまま床に足を取られているのは、大型の魔物だ。成人男性の三倍はある身の丈と、盛り上がったむき出しの筋肉、鋭い鍵爪と極太の牙を持つ。兜のような突起を持つ頭部は、骨か筋肉が変形しているのだろう。魔物は人体の形から離れるほど強靭で凶暴になる。にもかかわらず、知能が出てきて厄介だ。 野郎、ひっそり近づくだけじゃなく、俺に気付かれないよう上から降ってきやがった。視線より上には注意がいきにくいってことをよく知ってやがる。 俺の胴体ほどもある腕が横薙ぎに振られ、剣と正面からぶつかる。斬りつける以前に力で押し負けて、かすり傷しかつかない。 「チッ!」 俺はあっさり諦めるとその腕に足をつき、ひらりとバク転。追撃をかわす。 同時に魔物の背後からレニアローツェが横腹を刺した。腹部は背骨以外に障害物がないから、骨格が把握しづらい大型の魔物には有効だ。が、貫いた筋肉に挟まれてサーベルが抜けない。 引くべきか、その一瞬の迷いが仇となり、彼女のしなやかな肢体が宙を舞った。 代わって魔物の懐に潜りこんだルシェクリードが呪文を省略した魔法を放つ。威力は劣るものの、瞬発力に優れる簡易魔法だ。 紫に輝く光は電撃。サーベルを伝わせ、内臓へ直接叩き込んだのだろう。サーベルの刺さった周りが黒く焦げ、肉の焼ける臭いがした。 ルシェクリードはすぐにひらりと身をかわして間合いを取る。魔法は一つ使うと次の準備が面倒なため、ヒット・アンド・アウェイが基本だ。 さすがにこれは効いたのか、魔物は呻き声をあげている。その隙を突き、俺は刺さったままのサーベルに足をかけて、巨大な背を駆け上がった。頭部の突起を掴み、振り落とされないようバランスを保つ。 「さあて、どうしようか。デカブツ」 言いながら手短な耳を斬り飛ばす。半端なくでかいそれは血の尾を引きながら落下し、ぼとりと鈍い音をたてた。 雄叫びを上げながら頭を振るも、強靭な角が仇となって俺を落とすことはできない。 俺は片手で角を掴みながら、続いて鼻先を削ぎ落とす。 頭部ほど魔物の弱点が詰まった場所はない。 ……どう屠ってやろうか。 お楽しみを前に、俺が唇を舐めた瞬間。 「遊ぶなロイエス」 ルシェクリードが顔をしかめて釘を刺した。 「えー。ちょっとぐらい良いじゃんか」 笑って応えつつ、頬を貫いて舌を縫いとめる。 学校じゃしらけた訓練しかできないんだ。こうして実践の高揚感を味わえることはそうそうない。 同族の例に漏れず、俺も戦闘の陶酔感が大好きだ。もうさ、獲物を追い詰める感覚とか、最適の一撃を繰り出す瞬間とか、剣を伝ってくる肉を斬る感覚、噴出す血糊とその臭いとか、とにかくテンションあがるよね。 「変態め」 「ちょ、それ傷付くんですけ――」 「ロイエス!」 一瞬気がそれた俺へ、足を引きずったレニィが注意を飛ばす。 お喋りが過ぎたらしい。魔物がその馬鹿でかい両手を頭部へ伸ばしてきている。 「やっべ」 慌てて飛び降りつつ、巨大な片目を斬りつける。できるなら両目を潰したかったが、状況とサイズ的に難しかった。 あーあ、せっかくのチャンスだったのに。ルシェクリードのバーカ。 バランスを失って魔物がよろける。 そこを一突きしようと踏み込んだ足場が、ずぼっと崩れた。 「うっげ!」 慌てて床にめり込んだ足を引き抜いたものの、そのまま倒れこんでは意味がない。起き上がろうと上半身を起こした俺と、魔物の片目がばっちり合った。 巨大な腕が真上から直角に振り下ろされる。 うーわー俺、死ぬかもしんない。 ローラーに轢かれた蛙みたいに、ピッタンコのペッタンコになるかもしんない。 ねえ閣下、これって殉職手当て出る? まだ士官してないんだけど。 俺が一瞬の間に全てを手放しかけた時、 「ロイエス!」 レニアローツェの悲痛な叫び声が聞こえた。 ははっと、こんなときでも笑いが零れる。 俺は俊発的に起き上がり、魔物の懐へ転がり込んだ。 ゴッと鈍い音を断てて床が砕け、破片が背中に飛び散る。いくつか破片が刺さるも、そんなのは後だ。 相手の腹部に刺さったサーベルを、渾身の力を込めて引く。雷撃で焦げた肉からは拍子抜けするくらいあっさりと引っこ抜けた。 仰け反ろうとする魔物を飛び追う。 顎下から、剣とサーベルを二つ重ねて突き込んだ。 が、上顎の骨に当たって弾かれる。 「退け、ロイエス!」 飛び込んできたルシェクリードの掛け声に、即座に従う。 一足飛びで安全な場所に降り立ち、ルシェクリードを振り返ると、奴の差し出した指先に小さな幾何学模様が浮かんでいた。そのまま手で掴めそうなサイズだが、簡易魔法では現れなかったところをみると、正式な手順を踏んだものらしい。 一本の光の筋がくるりと奴を取り巻いている。よく見ればそれは、小さな数字が連なってできていた。俺にはランダムに並んでいるように見えるが、本人には何らかの意味があるんだろう。 「……唸れ、狂え、滅びの大地。其の怒り解き放ち、我に仇なす愚物を喰らい尽くすがいい!」 呪文らしきものを言い終えると同時、奴の指先の幾何学模様が突然収束して消えた。 そういえばルシェクリードのまともな魔法って初めて見るなぁと暢気なことを考えていた俺は、一瞬の後に魔物の足元へ現れた巨大な光の幾何学模様に本気でビビった。サイズこそ違うものの、その独特な直線的構造は奴の手元に浮かんでいたものと同じだ。 小刻みな縦揺れが始まり、魔物がグラグラと揺らぐ。勢いはどんどんと増し、最高潮になった瞬間、幾何学模様そのままの形にごっそりと床が抜け落ちた。 足場を失い、魔物が咆哮をあげて落ちていく。遠く遠く離れた先で、重いものが落ちる音がした。 「……すっげぇー」 穴の端から覗き込んでみたが、ぽっかりと黒い空間があるだけで何も見えなかった。 「終わったな……」 同様にルシェクリードも大穴を覗き込む。息があがっている様子から、相当疲れているようだ。これまで魔力の消耗を恐れて簡易魔法しか使ってこなかった奴にしては、頑張ったほうなのかもしれない。 「なあルシェクリード、どうしてこの下が空洞だって分かったんだ?」 奴は息を整えつつ、ちらりと微妙な視線を送ってきた。 一息ついてから、ルシェクリードが顔を上げる。無意識にメンチ切んな。 「もともとこういう場所は宝を奪った奴を落とすためのトラップがあるものなんだ。俺も別の場所で何度かハメられた。まあ、思い出したのはお前が足をとられた時だったが」 そういえばさっき床が抜けて足をとられたんだった。石床は見たところ頑丈そうだが、経年劣化でだいぶ脆くなってきているらしい。 皮肉にも俺の不手際でそれを見抜いたルシェクリードは、俺が態勢を立て直すと同時に地属性の魔法を放った。一歩間違えば地下にあるこの空間全体が崩壊する危険があったにもかかわらず。 ったく。 無茶しやがる。 「ロイエス!」 名を呼ばれて振り返ると、レニアローツェが挫いた足を庇いながらも駆け寄ってきてくれていた。 真剣な表情で真っ直ぐ俺を見ているレニィ。その表情は見たこともないぐらい柔らかく、歓喜に微笑んでいる。 やばい、可愛いっ!! 彼女は俺の前に立つと、綺麗な指をそっと俺の手に添え、 「ありがとう! 私のサーベルを取り返してくれて!」 自分の剣を、思いっきり奪い取った。 「……え……?」 「この剣ね、閣下が特別に誓いの銘を刻むことを許してくださった大切なものなの! 『あなたに一生を捧げ、お使え致します』って。だから私、剣をとられたときは気が気じゃなくって」 頬を上気させ、滅多に見せない嬉しそうな笑顔を浮かべる女史。 いやあもう可愛いなんてもんじゃないんですよ。いつものクールさが嘘みたいな、まるで花のような笑顔ですよ。もう、こちとら破壊力抜群ですよ。……正しい意味で。 がっくりと肩を落とした俺を、ルシェクリードが呆れと同情の入り混じった、ようはバカにした目で見てきた。 「まあ、ポイントは稼げたんじゃないか」 「閣下のおかげでな……」 ああ遠い。遠すぎるよ閣下。あんたに勝てなきゃレニィの眼中に入れないって、どんだけハードル高いんですか。 漢泣きに泣いてやろうとした俺は、台座の後ろでこそこそしているおっさんを見つけて涙も何も引っ込んだ。 やっべ。すっかり存在忘れてた。 どうしよ、思いっきりフルパワーで戦っちゃってたよ。コードレス空中ブランコってくらいアクロバティックなこともしちゃってた気がするよ、俺。 「あの……おっさん? ジョムスのおっさん何してんの?」 名前を呼ばれて、おっさんが祭壇の向こうからひょこっと顔を出した。 「あ、終わりました? じゃあちょっと見てくださいよー! すごいんですよ! これはカパムジャッカ帝国の次に成立する、リャンダム王国の特徴を備えた祭壇でして! 歴史の空白を埋める素晴らしい発見かもしれません。ここに見られるレリーフが示す当時の宗教観がですねぇー……って、私の話、聞いてます?」 「えっごめん全然意味分かんない」 あんたの頭の中身が。 「おや、リャンダム王国をご存じないですか? かの王国はさかのぼること八千年前〜〜」 つらつらと歴史の講義を始めるおっさん。 何この人。 あれだけ派手に俺たちが戦ってたのに、全部スルーして台座なんかを見てたのか!? ちょ、魔物とか恐くないの? え、ホントに人間? 「かの王国の繁栄は聖マンゼル著『千年永代記』にも記されており、また遥か東のハドゥルバーンの地にても〜〜」 「いやそれは良いから。ちょっとルシェクリード、何とか言ってやれ」 「リャンダム王国とはあのルヤンダイム王国のことか? 帝国崩壊の四百年後に突如現れたという?」 真顔で応じちゃうルシェクリード。言うことちげーし。しかもひょいひょい台座を見に行くな! ああもうなにやってんのお前。 「うあだっ」 疲れた顔で二人を眺める俺の背中に、突然激痛が走る。 「動かないで」 「い、痛いってレニィ!」 振り返ると、レニアローツェ女史が俺の背中に刺さった床の破片を引っこ抜いていた。さっきの魔物との戦いで床の破片がいくつか刺さったんだが、それを手当てしてくれているようだ。 しかしあの、お気持ちは嬉しいんですが、こういうことはせめて一声かけてからにしてくれませんか。 「化膿したらいけないわ。すぐ済むから騒がないで」 「うぎゃ、消毒はあとで! あとでいいから!」 「服の上からでもいいから軽くしときなさい。ちゃんとした手当てはここを出てからね」 そう言って、レニィはハンカチへめちゃめちゃ沁みる消毒液を染み込ませ、ベシッと背中へ叩きつけた。 「〜〜〜〜ッ!!」 ああ、愛しのレニアローツェ女史。なぜあなたは意外なところで大雑把なんですか。『心配+手当て』なんて、本来ならこれ以上ないくらいオイシイ展開なのに、とてもオシイことになってますううう! 「それにしても……」 半泣きの俺へ、背後からレニィの不思議そうな呟きが届いた。 「ルシェクリードって魔法だけじゃなくて、歴史オタクでもあったのね」 「それはこの遺跡に入った瞬間から分かってなかったっけ……?」 ついでにあなたの最愛の閣下も。 俺は背中の痛みに耐えながら、深く深く溜息をついた。 ……ああ、なんか、スゲー疲れた。 色んな意味で打ちひしがれていたため、俺は頭を垂れるぐらいしかすることがなかった。 だからあのでっかい水晶のオーブが足元に転がっているのを発見できたんだ、が。 玉をひょいと拾い上げ、まじまじと見詰める。 つるりとした表面は綺麗に磨かれていて、俺の顔がはっきり映るぐらいだ。水晶全体は淡いピンク色で、どことなくかわいいかんじ。 「ねーねーおっさん。このお宝ってどうすんの? 持って帰る気なわけ?」 もともと俺たちはこの遺跡に宝を探しに来たわけで、このおっさんの手伝いをしにきたわけでもなければ、魔物と喧嘩をしにきたわけでもない。ついでに言えば、ルシェクリードのマニアックな趣味に付き合いにきたわけでもない。 軍の調査団に盗られる前に、このお宝を確保しにきたのだ。 「あーそれはですねぇー」 おっさんが間延びした調子で振り返った瞬間、背後からチャキリと剣の鍔が鳴る音がした。 「我々がいただこう」 同時に押し寄せてきた殺気に、俺は剣士の堪で振り返るのを諦めた。柄を握った手をゆるゆると外す。 視線で回りを確認すれば、ルシェクリードもレニアローツェも同じくぴたりと石化している。おっさんだけがきょろきょろごそごそ台座を調べっぱなしだった。 「それをこちらへお渡しなさい。そうすればすぐにヴァルツへ帰してあげよう。子供がこんな所にいては危険だよ」 背後の声は穏やかで、どこか甘ったるい。魔女が子供を騙す時に使う声色だった。 俺は少し首を動かして、満足そうに笑う声の主を横目でじっくりと確認する。 夏だというのに黒のロングコートを一分の隙もなくかっちりと着込み、白と真紅の帯をたすき掛けにしている。肩やら袖口についたフサフサは血の真紅。 見間違えようもない。俺たち士官学院生が求めてやまない、我等が軍の制服だ。 俺の視界からじゃ正確な数は確認できないが、ゆうに十は越えている。ちらっと見えた一番偉そうな相手の胸にあるバッジの数や派手派手しさを見て、眩暈がしそうになった。何その階級。何でこんなトコにいらっしゃるんですか、あなた。 幾本もの剣を向けられた状態で、俺はそいつらと向き合う。 どいつもこいつも黒い制服。間違いない。話に聞く正規の調査団だ。 予定じゃ、ここに着くのは四日後の深夜だったはず。何でこんな早くに出てくるんだよ。 相手は軍の正式な許可をもってこの遺跡に入っている。一方俺たちは閣下に命令されたとはいえ、いわばモグリのトレジャーハンター。 ここで騒いで捕まれば、確実にヴァルツの監獄へ放り込まれるだろう。あの、この世の地獄と恐れられる監獄に。そうなれば士官学院へ戻ることは愚か、まともな社会生活すら望めなくなる。肉体的にも精神的にも、今のままでは出てこられないだろう。 「さあ、渡しなさい」 すっと、黒い手袋に包まれた手が伸びる。 オーブを持った手に力が入る。巨大な水晶は冷たく、硬く、重い。 「さあ」 「……ロイエス」 隣のレニアローツェ女史が、小さく呟く。彼女もこの玉のせいで積年の夢が壊れるのが嫌なんだろう。俺だって嫌だ。士官学校で、いや学校に入る前からどれだけの努力をしてきたと思ってる。生半可な意思なら、とうに潰えていたと自信を持って言える。 こんなところで俺達の未来を終わらせるわけにはいかない。 だが、と俺の中の冷静な部分が呟く。 ここで俺がオーブを渡しても、身の保障はない。 俺は正面に立つ一番階級の高い男を見据える。 甘言を吐く口元の歪み。柔和な振りをしながら、冷たい光しか宿さない目。それらの示す全てが、男が口先で作り上げる人物像よりもずっと冷酷な人間だと語っている。 相手はにやけた面で俺の目を真っ直ぐ見返しながら、たった今気づいたような声を出す。 「おや、そちらにいるのは人間ですね」 「…………」 「珍しい。ヴァルツよりも西に人間が居ることは滅多にないというのに……いいですねぇ」 何がいいのか。 問いかけるまでもなく、男が舌なめずりをした。 「このような辺境、いえ、対魔物の最前線では、新鮮な喰料は滅多に手に入らないのです。保存されたものなど、口にするにも値しませんしね」 「直接的な接触は、法で禁じられているはずです」 あなたは普段何を喰ってるんですか。そう暗に含める。 緊張でほとんど睨みつけている俺へ、周りの男たちが馬鹿にしたような笑い方をした。 その視線はちらちらとおっさんを捕らえている。餓えた目で舌なめずりをする様が、聞くまでもなく品性を教えてくれた。 こんな奴らが俺らの先輩、か。 男は少しだけ眩しいものを見るように、目を細めた。 「……あなたも士官すれば、いずれ身をもって経験するでしょう。戦場の過酷さを。そこでは法は無力だ。拘束という意味ではない。何の助けにもならないという意味だ」 「ここは戦場ではありません。僕たちはあなた方の敵ではない」 「そうですね。ですが我々は任務中です」 柔らかい語調のまま、斬りつけたように終わる語尾。 「…………」 「おとなしくしていれば危害は加えないと約束しましょう。さあ、それをこちらへ」 俺は黙って、差し出されたままの手を見つめる。 この手が引っ込む前に、結論を出さなきゃならない。 といっても、こいつらを信じて身を明け渡すしか道はないわけですが。 この怪我で足を挫いたレニィと魔力空っぽのルシェクリードを抱えて逃げるなんて無理だ。小隊とはいえ十人以上だぞ。大人の同族、それも軍人相手に学生が太刀打ちできる数じゃない。抵抗しなければ身の保障はするって言ってるんだから、いっちょ賭けてみるのも良いかもしれない。 まあ、オッサンはその、確実にかわいそうだけどさ。もしかしたら生きて開放されるかもしんないじゃん? でもさあ。 今の会話で気づいちゃったんだけどさ。 なんでかこのおっさんたち、俺らが士官学院の学生って知ってんだよね。 臭いで同族とバレたとしても、今日から夏休みな俺たちは完璧に私服だ。剣だって学校で支給される安物じゃなくて自前だし。どこを見てもモグリのガキンチョトレジャーハンターにしか見えないはずなのに。 だいたい四日も早くここへ到着している時点でおかしい。軍なんて堅物が、どうしてそんなに手際がいいんだ? 日程が送れることはあっても、早まることはほぼないのがお役所仕事の良い所のはず。 これは何か問題があったか、もしくは。 閣下経由とは思わないが、どこかから情報が漏れたに違いない。つまり、俺たちが閣下の手のものであるとバレている。 ならば、わざわざ閣下の手が届くヴァルツへ連行するよりも、直接監獄送りにするか、ここで始末してしまった方が何十倍も安全だと考えるはずだ。 「ロイエス」 台座の向こうからルシェクリードが呼びかける。その声にははっきりとした意思があった。 わずかに振り返ると、友はオーブのはまっていた台座に手をかけ、こちらを真っ直ぐに見つめていた。一瞬、視線を床へ移す。 俺がその視線の先を確認するのを待たず、友の手がゆっくりと倒れ始めた。手を掛けた台座ごと。 「りょーかい」 俺はすっと元締めさんにオーブを差し出し、 そのままひょいっと穴へ投げ入れた。 「なに!?」 一瞬隊列が乱れた隙に、レニィの細い腰を抱えて自分も床の大穴に飛び込む。 同時にガコンと音がして、祭壇のある場所の床が抜けた。落ちながらおっさんの間の抜けた声が聞こえてきたところから、闇の向こう側で二人も一緒に落下しているらしい。 ただ、暗闇の中を落ちていく。 やがて来るであろう地面も、何も見えなかった。 一瞬と永遠を足したような時間の中で、俺は腕の中の彼女を強く抱きしめた。 |
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